3
八の月、第二週の月曜日早朝。
いよいよ、本日から慰安旅行に出発である。
ミーシャは朝早くから家の玄関先に立っていた。
ミーシャ達が住まう邸にはマーサによって特殊な結界が張られており、血縁の者以外は、家の者に招かれなければ入ることができない。
その為、ミーシャはいつ誰が来てもいいように早朝6時から玄関先に立っていた。因みに集合時間は8時である。
「ミィ。幾らなんでも早すぎない?」
「だって、待たせたりしたら失礼になるじゃない」
「いや、そうかもしれないけど、流石に2時間前には来ないでしょ。立って待つなら7時くらいからでいいんじゃない?」
「うーん。いいのかしら?でも、やっぱりちょっと心配だから、立っとくわ 」
「ミィって結構心配性だよね」
「あー……そうかも 」
出勤前のマーシャルと玄関先で話していると、ロバートが顔を出した。
「マァ。ご飯食べないと間に合わないよ!ミィもご飯食べてよ」
「分かった」
「私、今日はいいわ。緊張しちゃって食べれる気しないのよ」
「珍しいね」
「ミィ。ご飯食べないとマーサ様にチクるよ?」
「うっ。それはちょっとヤメテちょうだい」
「じゃあ、食べてね。そんなに心配しなくてもまだ来ないし、仮に来たとしても呼び鈴鳴るから大丈夫だよ」
「……うー。そうね。分かった。食べるわ」
ミーシャの応えにロバートはニコリと笑った。
「うん。そうしてね。朝ご飯が一番大事だからね」
「そうね」
3人でロバートが作った朝食をとり、ミーシャは手持ちぶさただったため、片付けを申し出た。
軍人二人はそれから慌ただしく準備して出勤して行った。
片付けを終えて、待ってる間に出すお客さん用の茶器などを用意していると気づいたら7時半前になっていた。
もうそろそろ、誰か来るかもと思った矢先、呼び鈴が鳴った。
ミーシャは慌てて玄関に向かった。
玄関をあけると、そこにはルート先輩が立っていた。
「おはようございます」
「おはよう。少し早かったか?」
「いえ、まだ先輩以外来られてませんが、此方は既に準備が整ってますから、いつでも大丈夫です」
言いながら、家の中へとルート先輩を誘導して、居間に案内する。
ルート先輩は肩掛けのバック一つだけ持っていた。私服を見るのは初めてだが、かっちりとした礼装のような服を着ていた。
「お茶は如何ですか?」
「いや、結構だ。もう小一時間もしたら出るだろう?」
「はい」
普段と違う格好をしている先輩に、なんとなく落ち着かない感じがして、ミーシャはちょっと困った。
(何か話した方がいいのかしら!?)
内心、どうしようか悩んでいると、タイミング良く、呼び鈴がなった。
慌てて玄関先に出る。
マルクス先輩とヒューブ先輩だった。
家が近いので、一緒に来たらしい。
彼らを居間に案内すると、そこから次々と薬師局の面々がやって来た。
最後に薬師局長がやって来て、8時10分前には全員が揃っていた。
「転移陣の起動は8時ちょうどかい?」
「はい」
「そうかい。此方のお家にはどなたかいらっしゃるのかな?いらっしゃるならご挨拶させてもらいたいのだけれど」
「いえ。今は私だけです。弟達も一緒に住んでいますが、今は仕事に行っています。母の方針で使用人は置いていません」
「おや、そうなのかい?見たところ大きなお屋敷だけど、君達だけで管理しているのかい?」
「はい」
「この間の一件といい、君の家はやはり少々型破りだね」
「そうみたいです」
話しながら居間へと薬師局長を案内する。他の面々と挨拶をかわし、そのまま其々自分の荷物を持って転移陣のある部屋へ移動した。
「転移陣を初めて利用される方で三半規管に自信のない方は私と手を繋いでください。場合によっては酔ってしまうことがありますので」
「おや、そうなのか」
おずおずとマルクス先輩が手を挙げた。
「すまないね、ミーシャちゃん。僕、結構酔いやすいんだ」
「行きの馬車は大丈夫でしたか?」
「一応酔い止めを飲んできてるから、今は平気だけど、転移陣は初めて使うからさ。ちょっと心配で」
マルクス先輩は照れたように頭を掻いた。ミーシャは彼の手を軽く握り、横に並んだ。マルクスは背が低いため、下を見ても彼の旋毛しか見えない。
そのまま、腕時計を見ながらカウントを始める。
「転移陣起動まであと5分」
「なんか緊張してきた」
「俺もだ」
「転移陣起動まであと4分」
皆、今か今かと待っている。
「転移陣起動まであと3分」
マルクス先輩は緊張しているのか、繋いだ手がじんわり汗ばんできている。それに本人も気づいたのか、慌てた様子でミーシャに謝ってきた。
「ごめんよ。ミーシャちゃん」
「いえ、大丈夫です」
「気持ち悪かったら、本当、すぐ手を離してくれていいからね」
「本当に大丈夫です。気にしませんから」
安心させるように繋いだ手を少し振った。
「転移陣起動まであと1分」
一同の緊張が高まった。
「転移陣起動まで10、9、8、7、6、5、4、3、2、1」
「転移陣起動」
強い光に包まれて、次の瞬間には聖地神殿の転移陣の上に立っていた。
「いらっしゃーーあい!サンガレア!!」
目の前でマーサ達がくす玉を割り、紙吹雪が舞った。
薬師局の面々は、咄嗟の事に反応できず、皆ポカンとしていた。
「あらやだ。皆さん大丈夫?」
「母様」
「ミーシャ。おかえりなさい」
「ただいま」
ミーシャ達の会話でハッとしたのか、全員がその場に平伏した。
その様子を見て、マーサが首をかしげた。
「ミーシャ。説明の時に言ってないの?」
「忘れてた」
「あらあら、もう」
マーサが呆れたように肩をすくめ、薬師局の面々の正面に立った。
「おはようございます。とりあえず皆さん立ってくださいな」
マーサの言葉に全員立ち上がった。
「初めに言っておきますけど、うちでは平伏は禁じているのよ。するなら立礼までね。平伏されるの、私嫌いなのよ。ここには他の神子達も出入りしてるけど、会っても立礼だけにしたちょうだいね」
「御意」
「はい、お願いします。じゃあ、とりあえず家に案内するわ。ついてきてくださいな」
マーサがそう言うと、隣にある領館に向けて歩き出した。薬師局の面々がそれに続く。ミーシャは最後尾で歩き出した。
先頭で話すマーサと薬師局長の声が聞こえていた。
「久しぶりね、薬師局長」
「はい。神子様はご健勝のようで何よりでございます」
「ありがとう。大分魔力も戻ってきてるわ。八の月中には完全に戻りそうよ」
「それは何よりでございます」
「こちらは王都に比べて暑いでしょう?」
「そうですね。少々暖かいです」
「ここはまだ土竜の森の結界の中だからまだマシだけど、外に出たら、もっと暑いわよ」
「熱中症対策の話しはミーシャ君より聞いておりますが、そんなにですか?」
「えぇ。本来なら外部からの観光客は夏場は自粛を促しているのよ。如何せん、熱中症で倒れる者が多かったものだから。でも、薬師局の人達は自分達で対処できるから大丈夫でしょ?多分」
「はい。事前に説明は聞いていましたから、その心づもりで来ております」
「それは良かった。こないだの件のお詫びがしたかったから、陛下に頼んでみたのよ。慰安旅行があるってのは聞いてたし」
「お心遣いありがとうございます。皆、楽しみにして参りました」
「そう。是非楽しんでいってくださいな」
話し声を聞くともなしに聞いていると、領館が見えてきた。
領軍の訓練所を横目に領館の中へ入っていく。広い応接間に案内された。
人数分の椅子と長机が用意されており、机の上には人数分の冊子と涼感スプレー、虫除けスプレーが用意されていた。
全員が着席すると、父のリチャードと一緒に下の兄弟達が冷たいお茶を持って、別の入り口から入ってきた。
「ちょっと歩いただけだけど、暑かったでしょ?お茶をどうぞ」
「ありがとうございます」
「一応、うちの家族を紹介しとくわね。夫のリチャードと、右からイーシャ、エーシャ、ナターシャ、チーファ、ターニャ、サーシャよ。ミーシャのすぐ下の弟達は仕事で王都にいるから、今いるのはこれで全部よ」
「先の一件以来だな、薬師局長。いつも娘がお世話になっている」
「お久しゅうございます、サンガレア卿。頑張り屋なお嬢さんで、こちらとしても助かっております」
「そうか。まだまだ未熟者故、ガンガン鍛えてやってくれると有難い。よろしく頼む」
「御意」
「今回のそちらの慰安旅行は、先の件の詫びを兼ねている故、ゆっくり楽しんでいってくれ」
「ありがとうございます」
「マーサ」
「あいよ」
マーサがブレスレットを取り出した。
「はい。これね、身分証も兼ねてるんだけど、公共施設や飲食店でこれ見せたらタダになるから」
「えっ!?」
皆、驚いた。ミーシャも驚いた。
「お詫びも兼ねてるって言ったでしょ?今回の旅行での衣食住に関する費用はうちで持つから」
「神子様。流石にそれは申し訳ないのですが……」
「いいのよ。先の一件だけじゃなくて、普段から娘がお世話になってるし。瘴気戦の折りも、迷惑かけちゃってるから。まとめてお詫びってことで」
「……そういうことでしたら、有り難くお受け致します」
薬師局一同が薬師局長と共に全員頭を下げた。ミーシャも一緒に頭を下げる。
「机の上の涼感スプレーと虫除けスプレーも夏場の必需品だから持っていってちょうだいな。その冊子はうちの観光案内書みたいなものだから、利用してみてね。あと、宿に行く前に服屋に行くなら馬車を用意してあるけど」
「甘えさせていただきます」
「うん。ここは暑いけど、暑いなりに楽しみ方ってもんがあるからさ。サンガレアを楽しんでいってちょうだい」
「はい」
皆で再びマーサらに頭を下げた。