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大将

陸が海で覆われているように、世界は物語で溢れている。

物語は海のように広く、深く、現実という陸を覆っている。

言葉という波で、穏やかに時に荒々しく、寂し気で時に陽気な姿へ変容し、その様々な表情で孤独を飲み込み、悲しみを吐き出し、安らぎや恐れさえも与える。

物語は生み出されたその瞬間から息づき、陸とは異なる生きた世界として存在し広がるのだ。

ここはそんな海の片隅でひっそりとただずむ、小さな、小さな、名もない居酒屋。

灯りがもれるこの店の戸口を、あなたは今開けてしまった。

へい!らっしゃい!!


お?見ない顔だねぇ。

この店初めてかい?


そうかい、そうかい。

まあ、名店でもなけりゃ、大した酒も美味い料理も置いてねえ。

こんな海深く、ひっそりとやってるしがない店によく入ってくれたもんだ。俺ぁ嬉しいねぇ。

お前さんがここに来たのも奇跡だ。

広い海ん中、こんな小せえ店に出くわすなんてこと偶然で片付けちゃいけねえ。


お、悪い悪い。立ちっぱなしもなんだ、好きな席に座ってくれぇ。


ビールでいいか?ギンギンに冷えてるぜ?つまみはひとまず枝豆でいいか?


おし来た。なら今朝方入ったコレ、焼いてやんよ。ちょっと待っててくれぇ。


ん?俺の飲んでるこれか?

馬鹿言っちゃいけねぇ、水なわけあるか。

これはな、希少品種で作った純米大吟醸だ。わざわざ陸から取り寄せてんだ。

うめぇぞ?お前さんも飲むかい?

よしよし。


とととと、あいよ!いい飲みっぷりだなぁ。


だろ?うめぇだろ?


おお、お前さんウマいこと言うなぁ。

確かにな、俺も甘みの後にくるこの辛みと米の香りが堪らんのよ。


んー、お前さんも相当の酒好きだなぁ。

俺なんか、辛子明太子と日本酒さえありゃ飯はいらねぇ。

それにな、こう見えて赤ワインとチーズが俺の恋人よ。たまにチョコレートになんかも手ェだしちまうんだが、これまたワインにあうんだわ。

持ちのろん、日本酒に嫉妬させちまうような野暮なことはしねぇ。俺は両方愛してんだ。

まあ、ワインが一番嫉妬深ぇから、俺は片時も手離せぇんだがなぁ。


ん?そのノートは何かって?

大したもんじゃねぇ。ただの落書き帳だ。


海之本てぇ常連のガキが陸に出稼ぎに行ってるんだがな、たまにひょっくら帰って来てはどういう訳だか店に顔出しにきやがる。

そのくせ飲み食いそっちのけでこそこそ書いては置いていきやがるんだよ。


最初はな、俺の気づかねえとこでそこ、ちょうどお前さんが座ってるテーブルにたらたら意味の分かんねぇ文字連ねた落書きしやがったんだよ。

俺の店に何しやがるんだ!って怒ってやったら、しゅんっと小さくなっちまう。

まるで俺が悪いことしたみてぇじゃねえか。

気分悪ぃから、何書いてたんだって聞いてやったんだ。


だらよ、別に大したことは書いていない、ただむしょうに書きたくて堪らなくなる衝動に襲われるんだ、てよ。

けったいなやつだよな?俺の店はお前の落書きのためにあるんじゃねぇてぇの。


けどよ、聞いてるとよ、陸でのしがらみとかあいつ自身の弱ぇ力のせいで、衝動はあるが思うように書けねぇらしいんだ。書くことであいつは、テレビのねぇ小さな部屋でも自由を感じられるんだと。

だから思うように書けねぇていうのは堪えるらしい。

だが俺んとこなら、何故だか分からんが思う存分好きなように書ける。

それが楽しいんだ、そんなこと言われちゃ、この店やってる身としちゃ悪い気がしねえ。


上手く乗せられたわけじゃねえぞ?

俺にもよ、分かるんだ。

陸や海では形こそ違え、色ぉんな事がある。そんな中で俺の店に来てくれる客たちには、ほっと一息つけるようなそんな時間を持って欲しいじゃねぇか。

俺ぁそんな思いでこの店を始めたもんでよ。

あいつの話、聞いてたらそんなこと思い出しちまってさ。


いや、なんか、照れくせぇこと言っちまったな。


まあなんだ、だからよ、しょうがねえからそのノート用意してやったんだ。

そこになら何書いても怒んねえから好きにしろってな。

そうしたらあいつ、もう調子に乗って好き放題書くわ書くわ。

ノートぐらい自分で用意しろってんだ、まったく。


ま、俺も店に落書きされるよりかはましだ。それにあいつもすっきりした顔で帰っていくしな。


え?俺は読んでるのかって?


まあな、あいつも俺に向けて書いてるからこそ書けるみたいだしな。

しょうがねえから、読んでやってんよ。この店も結構暇だしよ。


そうだ、お前さんも酒飲みながら暇つぶしにでも見てやってくれ。

陸で拾い集めた石ころがキレイなんだって誰かに言いてぇだけのガキの戯れ言だがな。

イビツな中にも、なかなかに見てると不思議なもんで愛着が湧くんだわ。

まあ、常連客可愛さの俺の贔屓目もあるがな。

気が向いたらでいい。こんな店にふらり立ち寄ってくれる、お前さんみたいな粋な人に読んでもらえたら、あいつも本望だろよ。


でもよ、あいつの鈍い感性と幼稚な文章でけったいなことばかり書いてやがるから、酒がまずくなったら悪ぃ。勘弁してやってくれ。


おっと!


「らっしゃい!!」


客が来たから、ちょっと失礼するよ?

ほんじゃ、まあ好きなだけ飲んでってくれ。

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