折原朱音
「いつも早いなあ、まなちゃんは。ずっと体育館にいるみたい」
折原朱音は、いつもそう言ってからかう。
私は授業が終わると、体育館にいの一番に入って、バスケ部の誰よりも先に練習をしている。
ゴール下からミドルレンジ、振り向き様のターン・アラウンドショットにドリブルから止まってのジャンプシュートなど、様々なシュートを繰り返し繰り返し行っている内に、いつの間にか来ていた折原が、後ろの入り口の方から私を見つめていて、私が気がついて振り向くと早いなあと笑っているのだ。
だけど、その日に限って、折原は寂しそうに微笑み、じっと私を見ているだけだった。
中体連を間近に控えた、夏休み直前の放課後のことである
「どうしたのよ?」
「ううん。まなちゃんは相変わらずシュートが上手いなあ、て感心してたの」
「ミス・トリプルダブルが何、言ってんの」
折原朱音は、のんびり口調にいつも穏やかな笑みをたたえる一見、地味な眼鏡っこだが、コートに立つと豹変する。センターにふさわしくでかい図体からのインサイドワークは他校を恐れさせ、かつ巧みなドリブルや綺麗なシュートフォームを持っていて、実際のとこ彼女を中心に廻っていた。
「そんなこと無いよ。まなちゃんの勝負強さには私、敵わないもの」
やっぱり神林中学の看板エースだよ、などと変に真面目な顔をして言うので、私は照れ臭くなってしまい、中体連もうすぐだねと話を逸らした。
「今年はベスト4狙えるかな?」
「そうだねえ、早いうちに山崎さんのところにぶつかると困っちゃうけど」
嫌だとか言わないで、困ると表現するのが折原朱音だ。
山崎さんとは成田東一中の山崎佐代子さんで、全国常連の強豪校だ。去年の中体連で当たってワンゴール差で負けている。
それでもベスト8になれたので、今年はそれ以上を目指してもいいはず。
不意に体育館の入り口から複数の生徒の声が聞こえ、振り向くと一年生数名がが見るからにかったるい足取りで入ってくる。
「あざーす」
「こらっ!一年がそんな気力無くてどうすんの!一年ならもっとハキハキと!」
「す、すんません!」「はい、さっさと準備始める!」
「まなちゃんはいつも元気だねえ」
私が後輩たちを追い散らし、部室へと駆け出していく。彼女らの背中を眺めながら折原が言った。
「元気だけが取り柄ですからね」
私はおどけて言ったつもりだったが折原は暗い顔をして後輩たちを見送っていた。
「こうやって、ずっと、まなちゃんと一緒にいたかったのにな」
「え?どゆこと」
「うんとね。ええと……」
言葉を選ぶように俯く折原に、私はその言葉を待っていると、「集合!」という声が体育館に響いた。声の方を見ると、いつの間にか顧問の吉橋先生が来てしまっている。
「また、後で。ね?」
「う、うん……」
私がそう答えると、折原はピシャリと頬を叩いて吉橋先生の下へと駆けていった。
「……折原朱音は、今大会が最後なんだ」
練習が終わって、恒例の先生の長いお説教と思いきや、予想外の内容に、えっと私は思わず声を上げた。
「クラスよりこっちの方が先になってしまったが、中体連が最後だ。夏休み終わったら、折原は岐阜に転校する」
シン、と私たちの空気が見えない糸のようなもので締めつけられたような感覚があった。突然の出来事に、みんなお互いの顔を伺っている
当然だ。
折原は我が神林中学の絶対的エース。
おまけに岐阜とかよくわからない。
琵琶湖のあるとこだっけ。
他の人はどうかは知らないけれど、私はそんな感覚だったし、先輩後輩同期も、どう反応したら良いのかわからないといった目でお互いを探りあっている。折原だけが、ずっとうつむいたままだ。その姿勢のまま、おずおずと折原は先生の隣に立った。
「……せっかくみなさんと、全国目指せる目標ができたのに申し訳ありません」
「どこ?どこに行くのよ」
「岐阜の可児市にある西南中というところです」
西南中。
聞いたこともない。
みんな口を堅く結んで黙り込んでいる。
無理もない。
折原は間違いなくエースで、このチームの中心だったからだ。それが突然、大会終了とともに欠ける。
こんな時、どんな風に対応すれば正解なんだろう。
答えが見つからないまま、じっと折原を凝視していると、折原は私たちをまっすぐ見つめ決然とした口調で言った。
「みなさん。これって、おいしくないですか?輝けるチャンスですよ?」
「いや、おいしいとか言われるよか、お前が転校するのが一番ショックというか……」
長束という三年の先輩が突っ込みなニュアンスで言った。私には思い浮かばなかったから、そんなとこ、やっぱり先輩だと思った。
長束先輩に言われ、折原はしばらく黙り込んでいたが、不意に顔を上げ、「とにかく全国出場です!」と声を張り上げた。
「暗い雰囲気となってしまったこのバスケ部を、全国でtueeeして、ハッピーエンドにしてやりましょう!」
※
「ごめんね。言うのが遅れて」
帰り道、隣を歩く折原が視線を落としたまま謝ってきた。
「タイミングがずれただけだし、そんなの気にしてないよ」
「……」
「いつ頃、引っ越し?」
「大会、終わって三日くらい後の日曜なんだ」
「それにしても岐阜かあ。遠いねえ」
「周りが山ばっかりでちょっと違和感」
そうなんだと返事をしてみたものの、そういえば可児て岐阜のどのあたりにあるのかイメージが湧かない。周りが山ばっかなんて、君津とか鴨川の410号線沿いとか、あの辺を風景を思い出す。
「……そんな山の中ならコンビニとかマックあるのかな?」
そんなに山中じゃないよと、私が冗談を言ったと思ったのか、折原は可笑しそうに笑った。どんな形であれ、折原が笑ってくれたのが嬉しくて私も笑い声をあげた。
「周りが山に囲まれているてくらいで、けっこう拓けたとこだよ。大きなスーパーあるし。コンビニ、マック以外にもファミレスだってあるから」
「そうなんだ」
でも、それもほんの束の間といったところで、そのやり取りがおわると私たちは一様に無口になって、帰り道を歩いた。
夏の陽射しはまだ高く、強い光が肌を刺してくる。周りを歩く人たちも眩しい太陽にうんざりした様子で、時おり、恨みがましい顔を太陽に向けながら通りすぎてゆく人もいた。
「……」
いつもなら可愛いぬいぐるみとか、最近胸が出てきただの、誰それが付き合ってるだのといった会話で盛り上がっているはずなのに、転校という前には相応しくないように思えた。
だけど、それに相応しいものというのが、言葉になって浮かんでこない。
「……じゃあ、また明日ね」
並木町の十字の交差点に差し掛かった時、折原が立ち止まった。気がつくと、いつも折原と別れる交差点まで着いてしまっていた。
「うん、また……」
名残惜しい気持ちもあった。もっと何か話したいことがあった。だけど何を話したら、この場合ふさわしいのだろう
じゃあね、と手を振りながら折原は並木町へと向かって歩き始めた。私は反対の鏑木町だ。振り返る度に折原もこちらを見ていて、その度に手を振り返す。
間を通りすぎる車に遮られながら、何度も何度も折原の姿が豆粒大くらいになっても、私たちは手を振った。
やがて、折原が角を曲がって見えなくなると、折原が消えてしまったような、どうしようない切なさが私の心を締め付けてきて、折原のいなくなった道を呆然と眺めていた。




