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マリーの失恋

「お姉様、ルーセント兄様、ご婚約おめでとうございます」


 私は自分にできる最高の笑顔を思い浮かべながら、二人に挨拶をした。


 今日は私の姉であるマデリーンとお隣のルーセントの婚約式。

 これから、うちの広間とそこに続く中庭では、婚約のパーティーが開かれることになっている。普通は旦那様になる方の家で催されるものらしいが、うちの庭のサーモンピンクの薔薇があまりにも見事で、それがパーティーにどうしても必要だと言い張る姉様のせいで、我が家で行われることになった。


 まだお客様は来ていない。

 姉のマデリーンとルーセントが客間のテラスでお茶を飲んでいるところに、私は挨拶に来たところだった。


 私が先のような挨拶をしたところ、姉もルーセントも固まってしまったかのように動かなくなった。


 どうしたのかしら? 私、どこかへん? 顔に何かついてる?

 ――まだパーティー用のドレスは着ていないが、いきなり誰が来るかわからない今日は、普段着よりは華やかなドレスを着ている。


そのへんな沈黙を破ったのは姉だった。


「マリー……どうしたの?」

「えっ?」

「そうだ、どうしたんだ?」


 ルーセントまで、呆然としたような、心配そうな声で言う。


「あなた、真っ青よ。その上、泣いているような顔で笑うなんて……」


 今度は私が呆然とする番だった。


「ご、ごめんなさい、今朝、そう、今朝、少し頭痛がしたもの……だから……」


 あわてて言いつのった私に、


「うそおっしゃい」

「うそだろう」


と、二人は声をそろえた。

 もうごまかせない。そう悟った私は、すぐさま自分の部屋に向かって走った。

 あの二人は、昔からそうだった。私の感情を私よりも上手に見極めることができるのだ。それだけわかりやすいと言えばそうなのだが、父様や母様でさえわからないような細かい変化を見逃してくれないのだ。

 二人は幼い頃からずっと私をかわいがってくれた。いつもなにくれとなく気にかけてくれ、愛してくれるのだ。そんな二人の婚約式に、まともに挨拶もできない私。


 原因は――わかっている。そう、私は隣家の5つ年上のルーセントのことを好きなのだ。




 ベッドにうつぶせになった私は泣くのをこらえていた。

 一度泣いてしまったら、もう止められない自信がある。そんな自信はなくたっていいのに。今泣いたら、せっかくのパーティーに出られる顔に戻すのは絶望的だ。

 深呼吸を繰り返して、泣くのを我慢していると、姉の声がした。


「マリー」


 黙っていると、姉が続ける。


「私、たぶん、あなたの思っていることを当てることができると思うわ」


 私は、かなりびっくりして振り返り、姉の顔を見た。


「なぜ言わなかったの? なぜ今まで心にしまっていたの。私でさえ気がつかないほど、きっちりとふたをするなんて……。あなた、ルーセントを好きなのね?」


 心臓が飛び出すかと思った。


 姉とルーセントの婚約は、3カ月前に決まった。そのときに、私は自分がルーセントに恋をしているのだとはっきり自覚した。いや、好きなことには気づいていたのだが、なんとなく淡いふわふわした気持ちで、たまに会うルーセントと話したあとは、くすぐったいような、幸せな気分になるのを「好きなのではないかしら」と思っていたぐらいだったのだ。だから、両親から二人の婚約の話を聞いたときには、確かにショックで息がつけなかった。


 ただ、姉は父の秘書として、このところ領地の視察についてまわっていてじっくりとお話しする時間はあまりなかったし、ルーセントは文官として重要なお仕事をしているのでお城に詰めていることが多く、このごろはそう頻繁に会うことはなかった。そんな状況だったからか、私も、二人の結婚があまり現実のような気がせず、なんとなく萎れてはいたけれど、日々の暮らしに影響が出るほどではなかった。

 母様などは、なんとなく寂しそうな私を見て、


「大丈夫よ、マリー。マデリーンは隣家に嫁ぐのですもの。いつでも会えるわ」


などと、見当違いな慰めをくれた。いや、もちろん、姉様と離れるのも寂しいのだけれども。


「マリー、このままじゃだめよ。このままふたをしたままじゃ」

「だめって……」

「ルーセントに気持ちを伝えなさい」

「えっ! 姉様、何を言ってるの!? 今日は姉様とルーセント兄様の婚約式よ!」

「だからどうだと言うの? あなたはこのままでいいの? ……失恋するにしたって、きちんと自分の納得のいく結果を出してからじゃなけりゃ、心を静めることなんてできないでしょ」


 この姉は、私にちゃんと失恋してこいと言う。もっともだ。このまま陰でじくじくと思い悩んでいたら、私のことだから、何年でも気持ちを引きずるだろう。

 しかし……、婚約式の日に、自分の婚約者に気持ちを打ち明けて来いという、自分の姉の豪快さにびっくりする。もちろん、私のことを考えてくれているからだということはわかっている。わかっているが、やっぱりびっくりだ。



「ルーセントを呼んでくるわ。待ってて」

「えっ、今?!」

「そうよ。こういうことは早いほうがいいのよ。ベッドを出て、手前の部屋のソファにいなさいね」


 姉はドアを出て行ってしまった。

 ほどなくして、ドアがノックされ、「はい」と答えると「ルーセントだ」という声が聞こえた。

 「どうぞ」という私の声に、ルーセントがそっとドアを開ける。


「大丈夫なのか?」


 ソファに座る私に聞く。ルーセントは、私がいつもと違う精神状態だということはわかっても、私の気持ちまでは気づいていないのだ。

―――ここまでしてくれた姉に報いるためにも、私は自分の気持ちを昇華させなきゃ。

 私はルーセントに向かって居住まいを正した。


「大丈夫。心配をかけてごめんなさい」


 そして一呼吸したあと、泣き出さないように、ゆっくりと話し始めた。


「ルーセント兄様、ううん、ルーセント様」

「うん?」

「好き、です」


 目を見開いたルーセントを見て、気持ちを落ち着かせようと目を落とした。


「マリー、……本当?」

「はい」うつむきながら答える。そして、もう一言付け加える。

「こんな日に、ごめん、なさい」

「いや、謝らなくていい。……ありがとう。君のことは、昔からずっとかわいい妹だと思っていた。いや今でもかわいい」

「わかって、います。ルーセント兄様、わかっています……。これは、こんなことを言ったのは私のわがままです。どうこうしてほしいというのではないんです。私が、私がこれから、心からお義兄さまだと思えるようになるよう、姉様が送り出してくれたのです……ほんとに私、こんな時まで、こんな時になってまで、姉様とルーセント兄様の手を煩わせてしまって……」


 もう後半はぐだぐだだった。ルーセントはそんな私のお粗末な話を聞きながら、やさしく頭をなでてくれた。その幼い子にするような仕草が彼の答えなのだと、そのとき身に染みてわかった。


 ルーセントはソファに私を残したまま、そっと出ていった。その後、どのくらいたったのだろう、しばらくして姉が部屋に入って来た。「マリー」と言いながら抱きしめてくれた姉は、「泣いていいのよ。泣いていいの」と私の髪をなでた。


「で、でも、今、泣いた、ら、パーティーに……」

「そんなもの、出なくていいの。あなたは具合が悪いと言っておくから、ちゃんと泣きなさいね」


 正直、助かった。

 すでに半泣きだったのだ。姉たちが並んで立ち、周りの人から祝福を受ける姿をにっこりと眺める自信は全くなかったし、泣くのを我慢しすぎて本当に頭が痛くなってきたのだ。

 その後、私は部屋の鍵をかけて、ベッドに潜り込み、泣きたいだけ泣いて、泣き疲れて眠ってしまった。




 翌朝、まだ薄暗い時間に一度目を覚ました私は、鏡に映る顔を見て「あ~あ……」とため息をついた。まぶたがぷっくり腫れていた。冷たい水で顔を洗い、更に布を濡らして目に当てると、もう一度ベッドに入った。いろいろ考えることがあるはずなのに、まだうっすらと残る頭痛のせいか、もう一度寝入ってしまった。


 ドンドンという音で、私は再び目を覚ます。


「マリー、マリー」


 母の声だ。昨日から寝続ける私を心配してくれているのだろう。少しすっきりとした頭の痛みにほっとして、私は起き上がった。


 ドアを開けると、疲れたような顔をした母様が立っていた。


「ああ、マリー。具合はどう? 少し顔がむくんでいるかしら? お熱は?」

「母様、大丈夫。頭が痛かったのだけれど、もうだいぶいいわ」

「そう。なら良かった。母様はこれからお隣に行ってお話をしてくるから。マデリーンと父様と一緒に」


 そう言って、母はメイドのジョリーを呼んで、私の世話を頼んで去って行った。



 おわったんだなぁ。

 私は庭の薔薇を見ながら、また涙腺がゆるんで来そうになるのをぐっとこらえた。

 もう泣かない。

 自分の婚約式の日まで、私のことを一番に考えてくれた姉様。

 彼女に幸せになってもらわなくては。

 そのためには、私がルーセントを吹っ切って、本物の笑顔で結婚式に臨むことだ。

 うん、大丈夫。もうちゃんと泣いたもの。


 ジョリーが湯あみの用意をしてくれて、ゆっくりお風呂にはいったあと、軽い食事を部屋でとった私は、自分の気持ちがだんだん凪いでくるのがわかった。姉様の言うとおりだ。ちゃんと失恋したことで、なんとなくきちんと区切りをつけることができた気がする。もちろん、想いは消せるわけじゃないけど、やれることはやったぞという妙な達成感があった。




 その晩、夕食の席で、私は腰を抜かすほどびっくりすることになるのだけれど。


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