奈落との契約
――君は「奇跡」を欲するか?
「魔法」は?「超能力」は?または、それに準ずる何かは?
…残念だが、そんな輝かしいモノはこの世には存在しない。
代わりに、もっと汚らわしくて生臭いチカラを進呈しよう。
とびっきりの“呪い”を、たんと召し上がれ――
生まれてきてからずっと、“なんとなく”で生きてきた。
そして、島津恭平はこれからも“なんとなく”生きていくのだろう。“なんとなく”死ぬのだろう。
そういう人生が嫌だとか、特には思わない。
けれど、たまには。
なんとなく以外の生き方に興味を持ってみたりするのだ。
「ここ…か?」
駅から五分、といえば聞こえはいいだろうが、その建物……事務所のように見えるそこは、すこぶる日当たりが悪かった。日照権の侵害を訴えれば勝てそうなそこのドアの脇には、安っぽいペンキで描かれた看板が申し訳なさそうに立てかけてある。曰く、
『便利屋かえで~何でも解決します~』
うさんくささマックスであった。
いや、高校の貴重な休日を消費してまでこんな辺鄙なところへ赴いている島津恭平だって好きでこのようなことをしているのではない。学校で魔法を使うとかいう便利屋の噂が蔓延っていたので、肝試し感覚でつい来てしまったのである。……まさか本当にあったとは思ってもみなかったが……。
「こ、ここまで来たら一応訪ねてみるか」
完全に動揺しているのが丸出しの口調で、恭平はドアをノックした。
一回、二回、三回。
…。
……。
………。
誰も出てこない。
「ま、参ったなあ…出かけてるのかな?」
余談だが、恭平は大のビビリである。
あと二十秒…いや十秒たったら帰ろう。
いくぞ。
一、二、三、四、五、六、七
ドアが開いた。
恭平は悲鳴をあげそうになった。咄嗟に口を押さえる。
が、ドアを開けた人物を見て、そんなものは途端に引っ込んだ。
「い、いらっしゃいませ……?」
恭平の不審な挙動を訝しげに見る人物……まだ幼さを残した顔立ちの女の子は、恭平を中に入るように促した。
「どうぞ」少女がソファをすすめた。「あ、どうも」と言って、大人しく座る。
事務所の中は、昼間でも明りをつけなければならないことを除けば、至って普通の一室である。
しかし、この女の子が本当に『魔法』を使うのだろうか…。
出された薄いお茶を啜り、恭平は周りを見回す。
少女は普段からここで暮らしているのか、奥の棚に食器が仕舞われていたり、乾燥機が据えられていたりとほのかな生活臭が漂っていた。脇にあるタンスからはみ出ているのは……キャミソールだろうか?
「あ、そっちはあまり見ないでくださ…きゃっ!」
着替えを済ませてきた少女が、ソファの角に躓いて転んだ。派手な音をたて、彼女がつっかけていたサンダルの片方が宙を舞う。
「ご、ごめんなさい!」
少女は慌ただしく膝を払い、恭平と対面のソファに座った。本人は直したつもりなのだろうが、衣服がまだ大きく乱れている。
つまるところ、ツッコミ所満載も少女だった。
肌が白いのはこんな所で生活しているからなのだろうが、髪の色素までもが薄いのはなぜかとか、中学生くらいにしか見えないが両親は何をやっているのかとか、そもそもなぜこんなところで便利屋などを営んでいるのかとか。
だが、恭平はそれらをまとめて呑みこんだ。代わりに話題を変える。
「俺、島津恭平。十八歳だ」
女の子も自己紹介をしようと口を開きかけたが、途中で衣服の乱れに気付いた。顔を赤くしていそいそと裾を直す。
「あの、松前かえでといいます。よろしくお願いします」
と、そこで少女――かえでははたと気付いたように、恭平の顔を見た。
「それで、今日は何のご依頼ですか?」
ピシッ、と恭平は凍った。
…よくよく考えれば、便利屋を訪れる目的といえば、依頼以外にはありえないのだった――たった一人、肝試し感覚で来てしまった超失礼野郎を除いては。
(い、言えない…。遊びで見に来ただけなんて)
内心ではひやひやしながら、恭平は強引な笑みを浮かべる。
「い、いやー、急ぎの用じゃないからさ、また今度来るよ」
「あ、待ってください!今日は比較的時間があるので、何なら今日中に片づけらえますよ!」
腕を掴まれ、恭平は泣く泣くソファに座り直したのであった。
あそこに恭平ひとりを残しておくのも悪いというので、恭平はなんとなくかえでについていくことにした。今日は恭平の件のほかに二つ依頼が入っていたらしい。「地縛霊の件は由紀ちゃんたちがやってくれたし、今日は楽だなあ……」かえでの謎のひとりごとを聞き流しつつ、恭平は考える。うまくいけば魔法が見られるかもしれない。いや、もちろん恭平の番になったら素直に謝るつもりだ。
かえでが訪れたのは、なんと病院だった。ロビーで受付を済ませ、病室へ向かう。そこは個室だった。金持ちなのだろうか。
ドアを開けると、ベッドに横たわる少年と女性が俺たちを出迎えた。少年はまだ小学生、まだ三十代に見える女性は母親だろうか。
「初めまして。便利屋、かえでです」
「こちらこそ……」少年が力なく答えた。苦痛が全身を埋め尽くすかのような笑みだった。
「本当に信用できるの?」母親が心配そうに聞く。
「はい。もちろんお代も頂きません」
かえでが胸をはって答えた。
えっ、と恭平はかえでを振り向く。それじゃあ彼女は、無償でこんな活動をしているのだろうか。
いや待て、このままいけば例の魔法とやらが見られるかもしれないぞ。
期待に胸を膨らませる恭平に、かえでは振り返って言った。
「ごめんなさい。ちょっと席を外して貰える?」
どうにかのぞけないだろうか。そんなことをぼんやり考えながら廊下のベンチに座った恭平の隣で、母親が口を開いた。
「あの子はね、生まれつき心臓が悪いの。どんな手を尽くしても、どんなにいい医者に見せても、何の役にも立たなかった……」
便利屋なんてうさんくさい人に頼むくらいだから何か事情があるのだろうと思っていたが、まさかこんなに深刻だとは思わなかった。
というか。
こんな問題を解決できるとしたら、それはまさに魔法以外ありえない。
やはりかえでは魔を使えるのか?
ふと、母親が恭平に聞いた。
「ねえ、あの娘、あなたの彼女?」
恭平が取り乱したのは言うまでもない。
病室から大きな音がした。
考えるより先に身体が動いた。ドアを開け、倒れているかえでに駆け寄る。抱き起したかえでの顔は青ざめていた。服越しに感じる体温も心なしか冷たい。
「私よりも……あの子は……?」
かえでが呟いた。言われ、ベッドに目を向ける。
少年が立ち上がっていた。さっきまでの弱弱しさはどこへ行ったのか、とても生き生きとした表情をしている。点滴のチューブが外れて床に転がるのを気にもとめない。
「胸が……苦しくない。嘘だ……治った?」
遅れて、母親が飛び込んできた。息子の様子を見て、歓声をあげる。
「たかし……たかしっ!」
抱き合う親子は、かえでにいくらでも報酬を支払うと言った。が、かえでは頑として受け取ろうとしなかった。
「おい。大丈夫か?」
廊下でかえでの顔を見やる。その顔は、先ほどよりも蒼白だった。
「お前のほうが入院すべきなんじゃないか?」
「だ、大丈夫。私は大丈夫だから……」
かえではそう繰り返す。
魔法を使ったのか、だとしたら今のお前の様子は何なのだとか、聞けるような状況ではなかった。
恭平は仕方なく肩を貸した。
かえでの身体は、小刻みに震えていた。
病院から出た途端、かえでが大きな咳をした。
あふれたのは、おびただしい量の血だった。
恭平は何度も、せめて今日は戻って休んだらどうかといさめた。
でも、かえでは聞きもしなかった。
だって、次の件を解決しないと恭平くんも困るでしょ、と。
恭平は何も言えなかった。
ただ、かえでの後ろを歩くことしかできなかった。
二つ目の件の依頼人は、ふくよかな中年女性だった。かなりの金持ちのようで、そのお宅はかえでの事務所の十倍以上はある。
「息子が部屋から出てこなくって……」
お子さんは中学校でいじめを受け続け、不登校になってしまったのだという。
「わかりました。彼のお部屋はどこですか?」
ふらつきながらも、かえでは廊下を歩いていく。女性が「大丈夫?」と訝しんだが、当のかえでは「お構いなく」と気にもとめない。
かえで、お前……また魔法を使うのか。また、苦しむつもりなのか。
ふと、母親が恭平に気付いた。「貴方は?」
「付き添いです」
かえでが心配なので、恭平もお邪魔することにした。続いて母親が放った、かえでとの関係を問う不躾な質問に恭平がまたも動揺したのは、殊更言うまでもない。
「おい、入ってくんなよババア!」
まだ声変わりの終わっていない罵声を無視して、かえでは扉を開いた。
未知の侵入者に少年が動揺しているうちに、かえでは部屋に入り込んだ。ついでに恭平もドアから顔を覗かせる。
「私、便利屋の松前かえでといいます。お母様から貴方を部屋から出すよう頼まれました」ぺこり、と頭を下げるかえで。少年はそれをまじまじと見つめた。
「あんたが?俺を?」
「はい」
「言っとくが、俺の引きこもりは筋金入りだぜ」
「そうですね。お母様に聞きました」
「じゃあ、どうすんだよ」
「魔法を使います。あなたが、いじめに負けない強い心を持てるような」
堂々と言い切った。
恭平はつばを飲んだ。
魔法。
恭平は……というか誰もが、それを何でも叶える奇跡の力だと思っていた。
でもその認識は、かえでを見るにきっと違うのだろう。
「はあ?ナニ言ってんだよ。新しいボケか?」
少年は眉をひそめ、沈痛な面持ちでうつむく。
「強い心なんて……無理だよ、そんなの。怖いよ。俺、友達だって一人もいないんだ。ひとりは、嫌だよ。寂しいよ」
「そうだね。ひとりぼっちは……寂しいよね」
かえでが少年に歩み寄った。彼の頭をなでる。
「私だって、そうだもん」
少年が顔を上げた。
「……あんたも?」
「でもきみは、きっと私とは違う。まだひとりじゃない。少なくともきみのお母さんが、きみの力になってくれる。二人なら、少しだけ強くなれる。それを三人にしてみたら?四人にしてみたら?きっと、もっと強くなれると思わない?」
恭平は戦慄した。
どうしてだ、かえで。
どうして、自分が一生孤独だと確信しているような言い方をするんだ。
「だから私が、最初の一歩を踏み出せる魔法をかけてあげる」
「言うだけなら何だってできるさ」少年がそっぽを向いた。その手を、かえでがそっと包み込む。
「大丈夫。私が、本物の魔法を見せてあげる。きみは何も辛い思いをしなくてもいいし、苦しまなくてもいい」
その重荷は、私が背負うから。
恭平は、そうかえでが呟くのが聞こえた。
その魔法はとても地味だった。
せいぜい、一瞬淡く光っただけだ。
だがかえでは少年に確かな力を分け与えたのだと、恭平は少年のやすらかになっていく表情から確信した。
少年の母親には何度も礼を言われた。一件目と同じく、かえでは謝礼も断った。
家からでると、かえではまたふらりと倒れそうになった。恭平はあわててその小さな体躯を支える。
「かえで、ゴメン。全部見てた」
「……そっか。見られてたんだ」
かえではあさっての方向を見ながら答えた。
「魔法、使ったんだな」
「……うん」
「血を吐いたのも、倒れたのも、魔法の副作用なのか?」
「………うん」
「…ずっと、ひとりで生きてきたのか」
「…………うん」
かえでは危なげに立ち上がると、歩き出そうとした。が、転んでしまう。それを二、三回繰り返したあたりで、恭平は彼女の身に何が起こったのかを悟った。黙ってかえでの手を取る。
恭平とかえでは、何も言わずに歩いていく。
事務所まで戻ってくると、そこはまだ夕方なのにもかかわらず、薄暗かった。
恭平は明りも点けず、かえでと向かい会う。
「かえで。……目が、見えないんだろ」
かえでは取り乱した。
「!ち、違うよ!見える。ちゃんと見えるもん!……前も、同じ事があったの。その時は、すぐに戻ったから!」
「……でも今日は、戻らないんだな」
「……っ!」かえでが唇を噛みしめた。言い訳をしようとしたのか、恭平のほうへ寄ろうとしているが、生憎そちらにはタンスしかない。
ついには、ソファの角に躓いて転ぶ始末だ。
……もう、ウンザリだ。
「なんでだよ!」
耐えられなくなって、恭平は叫んだ。
「なんでお前がそこまでするんだよ!辛いんだろ?苦しいんだろ?別にいいじゃないか。お前がそこまで苦しむ必要がどこにあるんだよ!」
声から恭平の場所が分かったのか、かえでは拙い足取りで恭平に歩み寄った。その手を優しく包む。
「恭平くん……あのね。確かに辛いよ、苦しいよ。なんで魔法にこんな代償が要るんだろうって何度も思ったよ」
はじめて魔法を使った時、しばらく立っていられなくなった。
次に使った時、髪の色素が抜け落ちた。
その次は、成長が止まった。だからかえでの実年齢は、見た目よりも三つほど高い。
家族にも見放された。ただひとりの愛娘を、両親は恐怖し、忌み嫌った。
それからは、同じような活動をしている人たちに支援してもらって、なんとか食いつないでいる……。
たったひとり。
薄暗い事務所で、ただ依頼を待ち続けるだけの日々――
寂しさは、いつだって彼女につきまとう。
でもね、と続けて、
「私、あと二年も生きられないの」
心臓の弁が弱くて手がつけられないの。
其の点では、一件目の少年とは共通している。
でも、ひとつだけ違う。
それは、少年はこれからは元気に生きられるが、かえではこれからも孤独に苦しんでいくということだ。
私が、誰かに希望を与える。
希望のない自分の代わりに。
それを望んだ結果が、今の自分なのだと。
かえでは、強く言った。
「だからお前は、他人を救い続けるんだな」
「そうだよ」
「魔法で、自分は救えないのか」
「そうだよ。元からそういう契約だった」
「目が見えなくなっても、救い続けるんだな」
「…そうだよ」
「自分のことなんか、どうでもいいんだな。もう先がないから、全部、名前も知らない誰かのために捧げるんだな」
「……そうだよ」
「――じゃあ、俺もそうしていいか?」
ふっ、と笑み、恭平はかえでの手を優しく放した。
「恭平くん……?」
“なんとなく”生まれ。
“なんとなく”生きてきた。
そんな恭平は、自分とは決定的に違う少女と出会った。その少女は本当に恭平とは違いすぎて、ただただ圧倒されていた。
そしてまた“なんとなく”惹かれ。
“なんとなく”助けたいと思った。
結局、彼の行動基準は“なんとなく”なのだ。ゆえに、過ちを犯したこともある。
だが、これからしようとしている特大の過ちに比べれば大したことはないだろう。
「俺も魔法を使う。そしてそれでお前を助ける」
「駄目!それは駄目だよ!」
はじかれたように、かえでが周囲をまさぐる。
その背後で、恭平は柔らかく笑った。
「理由は聞くなよ?“なんとなく”以外に答えられないからな」
己の決断のせいで、未来永劫苦痛を背負う事になっても構わない。
その方法なら、知っていた。
死後の魂を代償に、今生の望みを叶える悪魔。
メフィストフェレス。
其れと誓えばいい。
かえでを救う力をよこせ、と。
その悪魔の姿なら、とっくに見えていた。視界の隅の暗がりに、枯れ枝のような指をうごめかせている。さあ、誓えと誘っている。
「恭平くん!私のことなんていいから!」
よくない。
もう完全に魅了されてしまった女を見捨てるなど、恭平にはできはしない。
決して報われるハズのない少女に。
恭平は、救いを与えて見せる。
そう“なんとなく”決意して、叫ぶ。
「《時間よ止まれ!お前はとても美しい!》」
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