だから、それは良いんだ…… (side 鳴木)
勉強机の英和辞典の隣の少しぽっかりと空いて見えるスペース、……そこがあのモルモットの定位置だった。
日曜日、立原に博物館に行かないかと誘われた。
なんでも、あいつの大好きな古代生物の化石の特別展示があるらしく、いつも穏やかな幼なじみにしては興奮した口調でオパビニアだのアノマロカリスだのといった耳慣れない生き物の名前を並べ
「進化の徒花的美しさがあるんだよね」
なんて言っているのに、そんな休日も悪くは無いかと了解と答えた。
「あ~、やっぱり良いね、ハルキゲニア! 命名者のセンスを感じる、幻想的、正にそうだね! 比べてアノマロカリスは耳障りは良いのだけれど奇妙な海老というのは少し残念だ……まぁ、それこそがあの生物の発見の過程を示す様でそれはそれで悪くないとは言えるけど……、でもなぁ、やはりあの時代の王としての風格のある名前が……」
隣でぶつぶつと展示物について熱さめやらぬ様子で呟いている姿に呆れつつ出口を目指す。
誘われた展示は進化の過渡期に実験的とも言えるような生物が現れた時代の物で、確かにその姿は面白いとは言えた。
ただ、その奇妙な姿は立原のような熱狂を生み出すものとまでは思えず、相変わらずこいつのツボは良く判らないところにあるなと思いつつ、展示場の隣にある土産物屋に目を向けると、先ほどまで立原が熱い視線を注いでいたそのアノマロカリスとやらのジグソーパズルが有るのを見つけた。
「う、うーん、欲しい……、でも、今これを買ったら僕は受験の終了までこれをしまっておけるかな? けれど、これは展示期間だけの限定品……、逃したら絶対後悔する……」
――そこまで、悩むか?
ふと目に付いたそれを指さすと立原はそのパズルに駆け寄り、唸りだした。
どうやら、現在受験生という状況と、一万ピースというやりがいのありそうなそれの狭間で揺れている様子に、少しだけ教えたことの良心の呵責は感じたけれど、まぁ、それほど好きなものならば、心ゆくまで悩ましておけば良いかと、暇つぶしにぐるりと店内を見て回る事にした。
基本的には店内にはこの博物館の展示物に由来した土産物が並んでいる。
定番としてはここの入り口に展示されているティラノサウルスの焼き印がされた饅頭とか、トリケラトプスの形をしたクッキー、少し変化球としては琥珀色の球体の中に、もう少し濃い茶色の何かが閉じ込められている様な見た目の『古代のロマン』というふざけた名前の紅茶味のキャンディー……、琥珀の中に閉じ込められる何かと言えば、蜂だの蠅だのと言うイメージしか無い俺には食欲は沸かないが、名前のセンス故か売れ行きは悪くないように見える。
そんな中、ふわふわとした栗色の毛に囲まれた丸いフォルムのぬいぐるみが目に入り、キョトンとしたようにこちらを見る姿に、あいつの顔が浮かんだ。
恐らくこの館の常設展示である哺乳類の剥製のコーナーにあったモルモットの複製品。
そういえば、昔こいつに似てると本人にに言ったことがあった。
可愛げのある小動物に例えた事に我ながら焦って、そんな意味じゃないと言い募るのを額面通りに受け取った様子にほっとした。
けれどそのせいで失礼だと怒り出したあいつから逃げだす羽目になり、そのまま追いかけっこに突入。
……どこまでもガキっぽいあの頃の俺たち。
そんな物を思い出したら、なんとなく手に取ったそれがあいつみたいで、手放すのが惜しくなる。
かといって、これを俺が買うというのも……この、如何にも女子供向けのぬいぐるみを?
「おにーちゃん、それ、可愛いね!」
「え?」
妙に下の方から幼げな声がして見下ろすと、幼稚園位の女の子がきらきらした瞳で俺の手元を見て居るのに少しどきりとする。
流石にこの少女がこれを欲しがれば立場上譲るしか無い。
いささか後ろ髪を引かれる思いで
「これか?」
手に持っていたそれを見せると
「ううん! その子も可愛いけどね、みおは、その隣の白い子が良いの!」
そう彼女では届かないらしい棚を指差すのに、情けない程ほっとして、白いそれを手渡すと
「うわぁ……ふわふわ~」
嬉しげに抱きしめるのに、少女を探していたらしい母親が彼女の名前を呼びながら近づいて、ぬいぐるみを渡した様子を見て居たらしく、すみませんと会釈するのに、いえ、と答え……後ろを振り向けば立原はまだアノマロカリスの前で悩んでいて……
もう、邪魔が入らないうちにと俺はそのモルモットを抱いてレジへと向かった。
そんな風に思い切って買ってしまったものの、俺の部屋にはそぐわない、如何にも可愛らしいぬいぐるみをどうしたものかと考えて、週末にあるクリスマスパーティーを思い出した。
あいつのせいで棚に戻せなくなったのなら、あいつに引き取らせれば良いんじゃないか?
それは名案に思えた。
実際、あの日あいつに渡したら、可愛いとそいつを抱きしめる無邪気さは博物館で出会った子供に重なって見える幼さな癖に……それは俺の鼓動を少し早め。
ありがとうと向けられた柔らかい笑顔に俺も嬉しくなった。
だから、それは、良いんだ。
けれど、辞書の隣の空いたスペース。
アレを手に入れてから無意識にいつもそれに手をやっていたから、覚えてしまったふわりとしたその感触。
まるでミニチュアのあいつが居るようだったそこが、今はぽっかりと空いているのがどうにも物足りない……。
博物館の土産物屋は別に展示物を見に行かなくても外から気軽にそこだけを利用出来るようにはなっており、現にあの翌日、パズルを諦めたはずの立原はそれを買ってきて、俺に受験の終わりまで預かってくれなどと言ってきた始末。
つまり、もう一度アノマロカリスに会いに行かなくても、それだけを買いにあそこに行くことは可能。
とはいえ、あのぬいぐるみを買いにあの土産物屋に通う俺の姿は一体どんな風に映るのかと想像すると……。
ただでさえ、あれを買った時店員は笑顔を堪えるような顔をしていた気がして。
……俺はもう一度あの視線を浴びながら、あのぬいぐるみを差し出すことになるのだろうか?
アノマロカリスは私の趣味だったりします。
最初に見たときは衝撃を受けました。