グラスコード (side 一条)
「メリ~クリ~スマ~スっ!」
「いやいやいや、まだ早いでしょうに? なによその浮かれっぷり」
「い~じゃない? 大好き、この季節! 赤と緑の氾濫とポインセチアともみの木! テンションあがるよ~」
塾のあるビル上階、店舗が並ぶフロアへエレベーターで向かうと、扉が開くとともに同じエレベーターに乗っていた女性が、その前で待ち合わせしていた友達らしき相手をみつけるなり歓声を上げ抱きつくのに、少し驚いた。
だが不思議と自分よりは随分年上なその女性のおおらか過ぎる言動は、身振りも大げさではあるが、動きそのものはしなやかで煩さを感じさせない。
その緩やかに波打ち背中を覆う長い髪と相まって、誰かを思い出させないことも無く、腹で何を考えているかも判らないような大人しいのよりは、こんな天真爛漫さも悪くない、なんて思う俺は随分毒されてはいるのだろう。
「あのねぇ、もう少し落ち着いてよ? 恥ずかしいじゃない、ほら、美玲の後ろの少年まで驚いているよ」
「えぇっ?」
友人の言葉に振り向いた彼女は
「ごめんね? うるさかった?」
後ろに立つ俺を見つけると、しゅんとするのに
「大丈夫です、クリスマス好きなんですね」
その快活さをしぼませるのも少し惜しい気がして、余計かもしれない一言を添えると
「大好き! クリスマスには奇跡だって起こるんだから」
そう言って、再び明るい笑顔を見せた。
「やはり緩いですよね? 手持ちの精密ドライバーで締めてもみたのですが……」
塾の前にこのフロアに来たのは、眼鏡のメンテナンスのためだった
「成る程、確かに締まりが甘く感じますね、部品の摩耗かもしれません、修理致しますので少々お時間頂けますか?」
子供が相手でも物腰柔らかないつもの店員は、指摘した箇所をじっと見つめるとそう言って奥へ下るのに
「判りました、宜しくお願いします」
思ったよりも時間が掛かりそうだと、店内をぐるりと見回した。
ここに来るのは藤堂の眼鏡の下見に付き合って以来だった。
あれから塾であの赤い眼鏡で授業を受ける横顔を見るたび、それが俺が選んだものであることで密やかな所有欲じみた物が満たされ、少し嬉しかった
あの時は新作だったが、やはり人気は高かったのだろう、俺の眼鏡と同様に定番のラインに収まり陳列されたそれを手に取っていると、目の端で何かがキラリと光った。
視線を向けると、細い鎖が空調の風にでも触れたのか微かに揺れていて、その中の一本に視線が引き寄せられた……赤い、グラスコード。
金や銀はよく見かけるが……思わず手に取りながら館内にもしきりに流れる音楽に、成る程この赤いコードもこの時期ならではのものなのだろうと気づく。
眼鏡の両端をシリコンのゴムで締め、首から掛けるための華奢な鎖。
この色ならば……きっとあいつの眼鏡にもよく似合う。
そう思ったら渡せる機会も来るか判らないのに、どうしても棚に戻す気にはなれず
「ネジを変えましたので、ご確認下さい」
眼鏡を受け取りながらお預かりしますと差し出された手にコードを渡すときには
「ありがとうございます……それと、そのグラスコードを包んで頂けますか?」
もう、元の場所に戻す気持ちは無くなっていた。
理不尽な思いをもう二度とあいつにぶつけたりはしない。
そう決めているから、今は告白どころか態度に出すことさえ出来ずにいる。
だからといって、好きだと思う気持ちは抑えつけたら無くなるものでもなく、いつ伝えられるかも判らない胸の奥にしまった想いは、しぼむ気配さえなく、時に膨張して存在を主張する。
だが、それ以前の問題として、俺はあの頃苛立ちのままにぶつけていた言葉や態度を、まだ一度も謝れていない。
結局は藤堂の寛容さに救われる形で俺たちの関係が改善したあの頃……謝罪をすべきだと気がついた時には、あいつは俺を避けも睨みもしなくなって居て。
今更それを口に出せば、あまりに理不尽だった自分の行動を思い出させ、漸く俺にも向けられるようになった無防備な笑顔が、再びキツい瞳に取って代わられるかもしれないと怖くなり。
その不安は時が経つほど膨らむ一方で……今になってもあの時のことを口に出せないままで居た。
――例えば、そうだな、私が一条を好きになったりすると思う? 無いでしょう、こんな関係なのに好きになるとか
けれど、思い出すたびに苦しくなるのに、忘れられないあの時の言葉。
あの頃のあいつの中での俺の立場。
鳴木に黒田、俺と同じ想いで藤堂を見つめていて、けれど受験生であるという現在の状況と、見るからに恋愛に対しては回路が開いて居ないあいつに気持ちを告げることが出来ないで居るあの二人は、しかし俺とは決定的に立場が違う。
鳴木は藤堂をからかうことはあっても本気で傷つけるような事をしたことはないし、黒田に至っては数少ないあいつと敵対していない元のクラスメイトなのも有り、クラスが同じになるなり急速に近付き、楽しげに一緒に居る姿を見るのは既に日常の風景。
……だから、あの二人になら、いつか藤堂は恋をするのかもしれない。
それを仕方が無い事だと理性では思うのに、その時を想像するだけでズキリと痛む胸。
過去を謝ることが出来たら、藤堂の心の中で鳴木や黒田と同じスタートラインに並べるかもしれない? なんて、我ながら都合が良すぎる考えだと思う。
だが、謝ることも出来なければ、それを願うことすら出来ないだろう。
赤地に緑色のリボンの掛かった小さな包みを見つめ、先ほどの女性の言葉がふと頭をよぎる。
クリスマスには奇跡が起こる……今までそんな事を思ったことは無かった。
だが、あの会は臆病な俺に与えられた、チャンスかもしれない……そう信じてみようか?
ささやかでも良い、そんな時間が訪れるのなら、あいつに謝って、そしてこれを渡すことができれば……。