これだからこいつから目を離せない (side 黒田)
大丈夫と言いながら、ぽとりと零れた涙。
俺も驚いたけど、本人も驚いたみてぇに、戸惑ったように目元に指先をやっている。
けれど、それよりももっと動揺し顔色を変えたのが一条と鳴木だった。
無理も無いとは思う。
誰よりも傷つけたくない一番大切な奴を、間接的にではあれど自分の存在が傷つけている。
それを目の当たりにした二人は、涙を隠すように俯く藤堂に呼吸をすることも忘れたように動けないで居る。
こいつらに憧れる女達の存在。
大抵の奴らはそれを羨ましがるであろうその立ち位置は、しかし光の濃さの分影を産むものだって事は、知らなかった訳じゃ無い。
でも、だからこそこいつらは近寄りたい気持ちを抑えて、敢えての距離を取ってたって言うのに……
俺も噂の一部で、そんな心ない噂を広めてこいつを傷つけている奴が居る事に腹は立つ。
だか、流石にそれが原因で藤堂がやっかまれるなんて自惚れは持ってねえし、正直その事にホッとして居る俺は、その分まだ余裕があった。
だから、場の空気を変えるように
「落ち着け、いくら慣れてるったってこれだけ重なれば疲れるさ、それに最近はこんなの無かったんだろ? 久々で驚いたんじゃねーのか?」
ことさら軽めにそう言って、制服のポケットからハンカチを取り出した。
母親が本格的に働くようになって、食事を一緒に取る回数は減って、学校から帰ってきてもお帰りと言ってくれる事は殆ど無くなってからも唯一続いている、朝起きるとテーブルにのっているきちんとアイロンの掛かったハンカチ。
そんなに普段役に立つってわけでもねーけど、毎日律儀に置かれて居るから、置いてく気にもなれなくて毎朝手にとって居たそれ。
たかが、ハンカチ一枚。
だけど、最近妙に出番が有るなんて事を、ふと思った。
前は確か藍沢達とこいつの話をしていたら泣かれて、慌てて渡したんだったか。
あの時も今も、考えてみれば結局の所こいつがらみだ。
つまり俺は、こいつと接する迄、そんなものが必要になる関わりを 持たずに居たのかもしれない?
触れる前から判るような明らかな面倒事なんて、少し前なら気がつかないフリでもしてスルーした。
泣く女なんてトラブルの種、好んで近寄りたくもねーって思ってた。
だけど、目の前で泣いているこいつは、きっとこんな思いがけない涙で無ければ、一人で泣いたのかもしれないなんて思えて、せめて俺の前だった事が良かったとさえ思う。
……こいつと居るようになって、そう時間はたって居ないってのに、俺は随分変わったのかもしれない。
そうやって無意識なまま俺に影響を与えた張本人は、顔を隠すようにハンカチを目元に当てて俯いたまま
「そうだね、少し気が抜けてたかも、情けないな……」
ぽつりと呟いた。
情けないとか、何を言って居るのか……。
先日から続く手紙と公園の件、朝机に入ってたという水に濡れた悪意満載のメモ帳と手塚から聞かされたという噂話、どれか一つだって動揺するには十分だ。
なのに、傷ついたって事さえ隠そうとする姿に、おまえは野生動物かって思う。
ここが自然界ならばその傷口を晒せば命取りになるかもしれない、だが、この場にはその傷を心配する奴も癒やしたいと願う奴も近くに居て……本当に、なんで気がつかないんだか。
俯く姿に、続く言葉をかけあぐねて居ると、突然藤堂は貸したハンカチで勢い良く目元を擦って顔を上げると
「……悔しい、こんな事で泣いちゃうなんて」
そう言って、泣いた後の赤い瞳にけれど勝気な光を乗せるのに思わず視線が吸い寄せられる。
「迷惑かけてごめん、……だけど、ここで離れたら何だか負けたみたいだ、我が儘だけど私は離れたくないよ」
続いた言葉はきっぱりと、もうさっきの涙まじりの震えは消えて居て……。
これだからこいつから目を離せない。
ついさっきまで涙を流していたのに、もう復活して瞳に力が戻っている。
「当たり前だろ」
そう答えながら、けれどそんな藤堂を痛々しいとも思う。
こんな強さを身に付けるまで一体どれ位こいつは傷ついたのだろう?
「離れるわけ無いだろ?」
「離れろと言われても、離れない」
藤堂の言葉に息を詰めていた鳴木と一条も救われたような顔で答えると、ありがとう…と、ふにゃりといつもの気の抜けた微笑みを浮かべた。
そうして少し緩んだ空気の中、藤堂はふうと息を付いて俺の貸したハンカチに目をやると、まだ少し赤みの残る目で、泣いてしまったことを恥ずかしいとでも思って居るのか照れたような顔で黒田と、俺を呼んだ。
「ん?」
「ハンカチ有り難う、洗濯して返すね」
「構わないから返せば? お前の涙なんてレアそうじゃね?」
ハンカチの事なんて気にすんなと呆れはするが、そんな事を考えるのは如何にもいつものこいつらしくて、まぁ良いかと思う
だから、あながち冗談でも無いそんな軽口で返せば
「涙の付いたハンカチそのまま返すなんて恥ずかしいこと出来ないよ!」
なんて、珍しく赤い顔でハンカチを後ろ手に隠す姿に
――これからは、俺が守ってやりたい。
そう強く、思った。