やっぱ、惚れてるって? (side 黒田)
「紗綾には知られたくない?」
俺が何の気なしに口に出した言葉を再確認するように、そんな事を聞いて来た藍沢の瞳と言葉は、微笑みは柔らかな癖にヤケに鋭くて、敢えて放置していた俺の心の曖昧な部分にサクリと切り込んできた。
藤堂には言うななんて、何で俺は咄嗟に言ってしまったのか、……俺があいつを何とも思ってなければ、過去に彼女が居た事も、女の扱いにある程度慣れてる事も知られたところで『色気の無いおまえとは違うんだ』なんて軽口も叩ける。
だけど、それを知られたくねえって思う俺は、……やっぱ、惚れてるって?
美人でもないし色気もない、天然でフラグクラッシャー。
それで居ながら、その出来すぎたルックスと、それを裏切らない中学生離れした端正な言動でファンクラブなんて物まである一条と、サッカー部部長で成績優秀、あまり女と居るという話は聞かないがそこが人気の元にもなっていると評判の高い鳴木。
校内でも有名なそいつらに惚れられていることは確実で、けれど全く気がついていない厄介な女。
天然なド鈍を巡って強力なライバルと争うなんぞ趣味じゃないってのに。
けれど、だったらこの気持ちは気の迷いって事にして、例えばあの二人のどっちかとあいつが付き合いだしたりしても良いのかと、想像すれば……。
勢い良く首を振り脳裏に浮かべた絵を振り払いながら、それだけでずきりと痛んだ胸の痛みに想像以上の自分の執着を知る。
「……ちょっと寄ってかねぇ? 炎天下走り続けだし喉かわいただろ、茶くらいなら出せるし」
「そんなお世話になってばっかりじゃ悪いし、家まであと少しだから大丈夫だよ」
工場の前で別れがたくて誘う言葉を断る藤堂に、今日の勉強で確認したいところもあるし、どうせ人がわらわらする場所なんだから気にするなってと言って、普段勉強場所にしている事務所の一角に連れて行く。
夏期合宿が終わり、塾への行き来をチャリに変えた。
それまでは、俺が塾へ行きはじめたら親だの従業員だのが物凄い張り切りだして、出来る限りサポートするとか何故かローテーションを組んでまで車で送ってくれていた。
とはいえ、そんな協力のお陰もあったのか、なんとかAクラスに潜り込んだ頃からそろそろ断らねえととは思ってた。
だけど、嬉しげに今日は俺だなんて言ってくれる連中に言い出し辛く、ついここまでずるずる来ちまったのを言い出したのは、これから忙しくなる夏休み明けにまで続けさせられねえと思ったのと、正直に言えば、多分あいつがチャリだったから。
そうやって、チャリに変えてまず驚いたのは、藤堂が鳴木と帰って居た事。
受験前のこの時期だし相手はあのド鈍だして鳴木が今気持ちを明らかにする気が無いのは見てて判る。
だがその態度を見ていると、藤堂がまるで気がついていないのに呆れもする。
単純なこいつをからかったりなだめたり、かける言葉は軽いが離れないその視線を見れば心なんて明らかで。
しっかりしてるようで抜けている部分の多い藤堂のフォローをさりげなくしながら、稀にそれに気づき嬉しそうに礼を言われると冗談でかわして誤魔化している。
まるで、自分の気持がこれ以上育つのを恐れるように。
ポンポンと俺の前で繰り返されるテンポの良い会話と、じゃれあう動物のような相手を見極めた言葉の掛け合い。
そんなふたりの間には俺が知らない二年間の歳月が確かに有って……。
塾の終わりの帰り道、鳴木と離れた後の二人きりの時間を終わらせたくなくて、つい工場内の俺が勉強場所にしているスペースに連れ込んでしまう。
コイツが教えてくれと言われると断れないのを良い事に。
別によからぬことをする気も無いし、実際部屋に付けば会話の内容は今日の塾の復習と予習。
けれど、一緒にいるだけで何かが満たされる、そんな感情があるということを初めて知った。
過去に工場の奴らの彼女の友達とか妹とか、そんなのとよく分からねぇまま付き合ったりしてきた。
同年代には受けの悪い俺のこの顔や体格は、年上にはやたら受けが良くて声を掛けてくる女は多かった。
俺としても、好きだと言われれば悪い気はしねえし、上手く甘やかしてくるそいつらの誘いに乗るのは気晴らしにはなった。
側に居るとふと感じる甘いコロンの匂いや、繋がれた手の柔らかさなんかに、ドキリとすることもあって、そんな心の動きで俺もそいつらを好きなんだろうって思っていた。
だが、最初のうちはそんな事が楽しくて一緒に居る時間を楽しめたりしたのが、徐々に歯車が狂い出す。
別におざなりにしているつもりは無いんだが、何度も気持ちを聞かれたり、一緒に居る時間以外の事にも干渉してきたり、時に上から目線で俺を縛ろうとしてきたり。
そうなると、もう限界で別れを切り出して居たけれど、すぐに次が出来たからあんまり執着したことは無かったかもしれない。
そんな事を繰り返す事を馬鹿馬鹿しいと思わない訳じゃなかったが、彼女が居るって事はそれなりにステータスでもあったし、一人の時間を埋めてくれる柔らかく甘やかす存在は切り捨てることもねえと思ってたあの頃、藤堂と同じクラスになった。
色気も柔らかさも一切無く、甘え声も上目つかいの瞳も今までの女が武器にしてたものは一切持たないまま、同年代には受けの悪い俺に平気でポンポンものを言う。
何なんだこいつはって思ったけど、その飾らない率直さは意外と心地よくて、気がついたら弱みなんて晒して相談までしていた
けれど、あいつはそれを受け止めて、言い訳だらけで問題から目を背けてた俺を引きずり出して、たどるべき道筋を教えてくれた。
挙げ句その後のフォローまで引き受けて、気がついたら情けねぇほど助けられてた。
感謝もしてるし、いつか恩も返したい、付き合ってて気持ちがいい奴だし、一緖の学校に行けたらおもしれえだろうとは思った。
でも、今は……。
一緒の部屋に二人で居ても、会話の内容は係り結びだの、未来形だの、線分の長さだのって色気のカケラも無い。
でも、勉強の時だけ掛けるメガネ姿で、眉を寄せたり唇を尖らせたりの百面相の挙句に解法がわかるとぱっと笑う。
その度に少し自分の鼓動が早くなるのが判る。
本当はもう友達では足りないって気がついているけど、目覚める気配のないお前を受験の直前のこんな時期に俺がなにか行動を起こしたら、混乱させて動揺させるのなんて明らか過ぎで、……あれだけ世話になった俺がこいつにそんな目に遭わせる訳には行かねえって流石に判ってる。
だからせめて、夏期講習の後の30分だけ。
俺だけのお前を独占したくて……。