あいつにいらねえ事いうなよ? (side 来栖)
莉緒と街を歩きながら、ふとあまりの快適さに驚く。
一緒についてきてくれた彼は、歩いている時は私たちのおしゃべりに付き合ってくれながら、立ち止まって何かを見るときは必要以上にはこちらに干渉せず放っておいてくれている。
でもその最中も、こちらに近寄る人間がいれば、その中学生離れした雰囲気で牽制してくれていて……
「凄いね、彼」
隣を歩く親友にそう言ったら、莉緒も気がついていたようで
「何かお礼をしたいよね」
と笑った。
お買い物も一段落着いた頃、お礼にお茶でも奢るよって言ったら、女に金出させるなんてとか古風なことを言う。
けれど、これだけ付き合って貰ったんだから、それ位はさせて欲しい。
「お礼がしたいの受け取って?」
だから、真っ直ぐ目を見てそう言ったら、ふっと笑ってイタダキマスと答えてくれた。
「でも、黒田君エスコート上手だね、こんなゆっくり買い物できるの久々だよ」
「あー、母親やみのりに付き合わされて鍛えられてるかもな……」
「彼女? 居たの!?」
紗綾といつも一緒だから、そんな存在が居るとは思ってもみなかったのに、その口から親しげな女の子の名前が出て来たから思わず声を上げてしまう。
「彼女じゃねえよ、幼なじみっつーか……まぁ、身内かな?」
「良かった、彼女が居るのにこんなに引っ張りまわしたら、流石に悪い気がして焦っちゃった、でも、本当助かったよ、また、莉緒とお買い物する時はお願いしたいくらい」
莉緒と二人でお買い物はよく行くけれど、知らない人に声をかけられたり、ずっと視線がつきまとって不快な思いをするなんてことは日常茶飯事で慣れてはいるけど、不快なのには変わりない。
だから、冗談交じりに今後も宜しくと言ってみれば
「おまえらもてるんだろ? 彼氏とかに頼めよ」
さらりとかわす言葉に、やっぱり余裕があるよなぁと思いつつ
「そんな事言うけど、黒田君も結構モテるでしょう、何だか、微妙に慣れてるっぽい?」
「さぁな?」
崩れない彼に少し悪戯心が湧いて
「って……紗綾が」
続けた言葉に、とたん、黒田君が飲んでいた水にむせた。
「な、何で、そんな事……あいつが?」
妙に焦る姿にさっきまでの余裕は消えていて、してやったりとつい口元が緩んでしまったのに、からかっているのに気がついたのか
「妙な嘘つくなよ……あいつがそんな事言い出すとは思えねえ」
って、軽く睨まれてしまった。
「ごめん、でも、慣れてると思ったのは本当」
にこりと笑って見つめると
居心地悪そうにすっと目をそらして、あいつにいらねえこと言うなよ? と前置きして
「何人か付き合ったことはあるけど、今は居ないし、そんなちゃんとしたものでもねえし」
ぼそりと呟いた。
「紗綾には知られたくない?」
人物を限定した口止めを流さずに、ふわりした微笑みにくるみながら、聞きにくい事をさくりと言う莉緒。
すると彼は、ちょっと吃驚したような顔をして
「あぁ……」
頷く姿に今日ずっと気になっていた事を漸く口にすることが出来た。
「なのに、なんで今日付き合ってくれたの?」
「それ、は、……まぁ、俺も二人だけってのは危なっかしいとは思った、ってのはあるが……お前らに何かあったら、あいつが気にすんじゃねえかと思ってよ」
思いも寄らない言葉を聞いて思わずお茶を飲もうとカップを持ち上げた手が止まる。
「どういうこと?」
「なんか、妙なとこ弱いんだ、あいつ、……自分に攻撃してくる奴には噛みつく勢いな癖に、周りの奴に何か有ると自分のせいかもしれないなんて、距離を置くとか言い出す、さっき名前に出したみのりって結構目立つ奴で、つい最近もちょっと面倒なのつきまとわれたんだが……」
そのみのりちゃんが男の子にしつこく声を掛けられているのを見た紗綾は、自分と仲良くしていたせいで絡まれたのだと思い込んだ上にそんな事を言い出したのだという。
早とちりなのはらしいとも言えたけれど、その選択は私の知っている彼女にしては臆病すぎる……けれど、本当に驚いたのはその次に出て来た言葉。
「みのりでああなんだ、おまえらに何か有ればあいつは壊れるんじゃ無いかってさえ思う……だから、まぁ、付き添いぐらいはってな」
二年生の時に、莉緒に紹介してもらって塾に通い始めて、紹介された二人とはすぐに仲良くなった。
松くんは莉緒を見慣れている私も少し驚いたようなとびきりの美少女。
背中の半ばまである黒髪を後ろで一本にきりりと纏めて、くっきりとした富士額に涼しげな瞳と色白な肌を引き立てるリップもしていないのに紅い唇。
成績は塾でもトップクラスなだけあって、頭の回転も速くてはっきり物を言う彼女は、周囲からはイメージが崩れたなんて言われがちらしいけれど、私はそんなたおやかな外見でありつつも、しっかり自分を持っている彼女を素敵な女の子だって思っている。
そして、紗綾は……不思議な子だった。
初対面で100%の憧れを込めて綺麗な髪だねと褒めてくれて、曇りのない笑顔でよろしくねと手を差し出された。
その手を取った次の瞬間、からかうように掛けられた声に弾けるように反応して、彼を追いかけて教室を駆けていく。
あまりのめまぐるしさに吃驚していると、まぁ、ちょっと変わってるけど、と莉緒が苦笑していた
あまり自分の身の回りに居なかったタイプだけに気になって見ていると、どうやらクラスの一人はいつも彼女をからかっていて、二人の追いかけっこは殆ど名物となっているようだった。
もう一人は何故か彼女を目の敵にして彼女もそれに対して苛烈に反応している。
きつい女の子なのかなと思えばそんな事はなく、その他のクラスメートには概ね明るくおおらかに接して、授業中には時折天然発言をして先生を戸惑わせている。
そして、私達にはとても親切で、課題で詰まっている時は丁寧に教えてくれるし、しつこく年上の強引な男の子に声をかけられた時も必死にかばってくれた。
可愛いとか綺麗とかそんな言葉を女友達に言いながら、瞳に屈折の陰がある女の子など良く居る中で、彼女の瞳の裏には妬みも嫉妬も見えなくて、ただ 全身で大好きと言ってくれているような姿にくらくらして、……いつしか、私も紗綾を大好きになっていた。
「紗綾……」
じわりと涙が浮かび慌てて俯く莉緒に黒田君が慌てて、悪い……なんて、彼は何も悪く無いのに謝って、大判の妙にキャラにそぐわないきちんとしたハンカチを莉緒に渡している。
私も鼻の奥がツンとしたけれど、二人で泣いてたら流石に黒田君が気の毒でぐっと我慢をした。
そんな風に彼が紗綾を気にして私達と来ることを選んだと知って、もしかしてと思う。
……昔、紗綾に手紙を頼んだ、あの彼も?
紗綾と居ると、いつも苛立たしげに彼女に突っかかる彼。
多少小柄ながらも端正な顔立ちで、センスも申し分なく、紗綾意外には物腰も丁寧な彼は何もしなくても女の子など幾らでも近づいてくるんじゃないかと思うのに、目障りだとか女らしくないなんて言いつつ、彼女から離れない視線。
その姿に勘が働いたのは確かだけれど、何より鳴木君を追いかけている時とは違って、突っかかってくる彼に対峙する紗綾は何処か痛々しくて。
ならば強引な手段で揺さぶりをかけてみようと思った。
好きな女の子から渡される他の女の子からの手紙。
何処か掛け違えてしまった彼の心が目覚めれば彼女に対する態度も変わるかもと。
万が一、何かを勘違いされた時のために文章はシンプル『お友達になってくれませんか?』きっと彼が目覚めたなら、この手紙が内容ではなく彼女から渡されるという行為そのものに意味があると気がつくはず、そう思った。
そして、あの手紙以降彼の彼女に対する態度は変わっていった。
誰にも言う気は無い私だけの秘密。
とはいえ、莉緒にだけはあの後無茶をするわねと苦笑されてしまったから、多分バレているんだろうけれど……。
黒田君に一条君、それに恐らくは今彼女と一緒に居る鳴木君……、自分を巡る密やかな想いに彼女はいつか気が付くだろうか?
見るからに鈍い紗綾に強力なライバル……大変だぞと想像はつくけれど、そんな事はきっと彼だって百も承知なんだろう。
誰だって辛い恋などしたくはないけれど、心だけは自分の思い通りにコントロールなんて出来るわけじゃない……。
そんな事を考えながら飲んだ紅茶はすっかり冷めてしまったせいなのか、なんだかやたら苦く感じた。