眠るおまえと猫と (side 鳴木) 1
黒田が差した指の先に眠る藤堂を見て、呼吸が一瞬止まった気がした。
藤堂の隣で苦笑しながらその様子を見ているこいつは、耳に入ってきた色々な噂に反して、確かに一見荒っぽく見えるがそれが大らかさにも繋がるような、そんな奴だった。
呆れることにほぼ授業のみで成績を保っていたらしく、それだけあって吸収力も理解力も驚くほど高い。
塾長の準備した段階を踏んだ課題をこなすことで勉強のやり方を覚え始め、日照り続きの植物が水を吸収するように学んだことを自分の物として実力を上げている黒田、……サッカーでも言える事だがこういう人間に何かを教えるのは、面白い。
だから最初は藤堂の負担が心配で言いだした事ではあったが、今ではそれとは関係無しに、俺が役に立つのならば手を貸そうと思っては居る。
けれど、同時にこいつのと関わりが藤堂がらみで無ければ、……とも思ってしまう。
藤堂の昔のクラスメイトで、一度も藤堂曰く『敵』になったことはなく、九年ぶりに同じクラスになった途端あっという間に近くなった二人。
俺と同じクラスだった頃には見ることは無かった姿、黒田の隣で安心しきったように眠る姿に切なさが募る。
俺と一緒だったあの頃は、教室の中では眠るどころか気を抜いた姿を見ることすら稀で……本当は俺の側でこんな風に楽にしてやりたかった、なんて今更ながらに思う。
藤堂は黒田に関しては、自分から近づいていっている様に見える。
……俺には未だ迷惑になるなど言って、黒田への助力を断ろうとするほどなのに。
いつまでたっても近くならない俺達の距離、それがもどかしくて、……苦しい。
「鳴木まだ居たんだ」
駐輪所へ向かう廊下で背中から藤堂に声をかけられて立ち止まると
「松くんも居なかったし、今日はもう居ないと思った」
まだ自覚もしなかった頃から何となく続いていた一緒の帰り道。
塾でも学校でもクラスの別れた俺にとっては、唯一のこいつと二人だけで居られる時間。
一条には、黒田とあいつが一緒に帰った日に俺がそれを知らずに待つんじゃ無いかなんて心配されたが、実際は終了時刻があまりに違う時まで待っていると、気持ちを見透かされてしまいそうで、会いたい気持ちを抑えて先に帰ることもあった。
二年の頃は講師に呼び止められたりして時間がすれ違っても、危なっかしいおまえが心配だったなんて笑いながら言う事も出来たのに、今ではそれをどんな顔をして伝えたら良いか判らなくて。
だけど、自分の気持ちは正直で、こっちのクラスが早く終わったそんな日は、殆ど無意識でこの廊下をゆっくり歩いていた事に気がついた。
「でも、良かった、お礼を言いたかったんだ」
「礼?」
「うん、黒田を心配して教室来てくれたでしょう? 残りのプリント数学多かったし……」
嬉しそうにそう言われて、さっきまで歩きながら浮かんでいた感情がぶり返す。
最近はいつも一緒に見える二人も、この時間だけは別で、今は一日中プリントにまみれているあいつを、家族ぐるみでサポートしているらしく車で送迎されているらしい。
塾を紹介した礼にと藤堂も誘われたらしいが、そこまで甘えられないよねなんて藤堂が笑うのに、こっそりほっとしたんだ。
けれど、二人の時間にもその存在は消える訳では無くて
――そんなに、大事なのか?
今は黒田が噂のような奴じゃ無いって知ってるし、友達として力を貸すことに抵抗はない。
だけど、黒田に掛かりきりになって居て、最近のこいつの口から出る名前もあいつのことばかりで、学校でも塾でも常に一緒に居る姿を見る度に胸が疼くのはどうする事も出来なくて……。
「おまえ、黒田の事、ど……」
「お、猫だ~!」
ビルの出口を抜けながら俺が口を開くと、それには気がつかず嬉しげに歓声を上げて、藤堂は小走りで駆け出す
ここでたまに見かける、飼猫らしきキジトラは藤堂の指先を不思議そうに眺めてぺろりと舐めていて
「うわぁ! 懐っこいよこの子~」
嬉しげに俺の方を見るのに、俺の言葉は聞こえた様子はなく、そのことに安堵まじりのため息が漏れる。
そう、どう思ってるんだ? なんて、聞いてもどうなるものでも無いし、ましてや何故そんな事を聞くのか、なんて聞かれても答えることは出来ないって判ってはいるのに……。