……なんでだ? (side 黒田)
「終わった……よな?」
塾の初日に渡された課題の山は藤堂らの手助けもあってどうにか約束よりも少し早めに終わらせる事が出来た。
するとニコニコと当たりの柔らかい塾長は素晴らしいですねなどと、その細い目を更に糸のようにした後、ほぼ同量のプリントの山をドサリと俺の前に置いて
「では、次はこれを頑張って下さい」
のほほんと相変わらずの柔らかい微笑みを浮かべつつ言ってきた。
その喰えない笑顔に相変わらず簡単に言いやがると思ったものの、負けるものかと心のなかで呟いた。
けれど、自分でも驚くほどに今回のプリントはするすると進み、前回あれほど勉強会のメンバーに世話になったのが嘘のようだった。
難易度は上がるはずなのに普通は逆じゃ無いかと首をかしげていたら、プリントを見た鳴木には
「まずは、前回のでしつこいほど基礎を固めたからだろうな、今回のはそれの応用だ、あれがしっかり頭に入っていれば、おまえの飲み込みの良さなら今回の方が楽なのは判る……しかし、おまえあの基礎力で良く今まで成績保ってたな?」
なんて呆れられた。
と、言われても学校の試験なんて基本的には授業で出た物が出されるわけで、範囲もその外の物は出ねーから判りやすい、ただまぁ、終わればそれまでで今まで見直しもしなかったし、片っ端から忘れてたけどなと笑うと、鳴木は一瞬絶句した後
「今度は忘れるなよ?」
と、諦めたように笑った。
……多分忘れねえとは思う。
俺はここに来て漸く勉強をするという意味、っつーかやり方? が判ったところだった。
そう、正直知識を吸収してそれを使いこなすことをおもしれーと思う自分が意外だった。
まぁ、それでも引っかかる部分はあったわけで、あの日以来藤堂は、自分の勉強もあるからなどと言いながら、勉強会のない日は教室で、勉強会の日は美術室で常にそばに居てくれた。
のだが、……そう言えば今日は隣が妙に静かなのに気がつき顔を向ければ
「おいおい」
平和な顔をして、机の上で両腕を組みその上に頭を載せて眠っていた。
こんな所でしかも俺と二人だけのこの状況で寝るかよと思いつつ、ずいぶん無理をさせたと今更ながらに思う。
本来なら、塾を紹介するだけで十分だったのに、その後のレベルアップのフォローまで自分の時間を思いっきり割いて付き合ってくれた。
「どうだ? ……って何やってるんだ藤堂は?」
廊下から鳴木が声をかけてきたから、起こすのもどうかと黙って藤堂を指さすと、不思議そうに教室に入ってきて寝ている顔を覗き込んで驚いたような顔をする。
「さっき、プリントが終わって、声かけようと思ったらこいつ寝てやがる」
「教室でコイツが寝るなんて、……おまえの横は安心できるんだな」
そう言って藤堂を見る鳴木は優しげだが、一瞬どこかが痛むような苦しげな顔をするのに驚く。
「これ、全部終わったのか? よくやったな」
そのまま藤堂からは視線を外し、プリントを手に取るのに
「ああ、おまえらには散々世話になった、悪かったな」
礼を言いつつ再度その表情を伺うも、今俺の回答を眺めている鳴木はいつも通りで、さっきのは、俺の見間違いかと思った。
「今日ぐらいに終わりそうだと言ってたから覗いたんだが、遅かったようだな」
鳴木は勉強会の無い日は後輩の指導とかで部活に参加しているらしく、その後にたまに教室を覗いてくれていた。
グラウンドを走り回ってきた後のユニフォーム姿のままなのに、それを感じさせない涼しげな様子で満足げにミスは無さそうだ、なんて言っていて。
一重のすっきりとした目元が素早く動き数式を追う姿は如何にも頭が良さそうで、それでいて良くやったなと褒める笑顔は人懐っこく、そのベリーショートの髪と相まって、こう言う奴を世の女は爽やか好青年とか言うんだろう、なんて思う。
頭も面倒見も良く、見てくれだって悪くねーし、その上サッカー部部長、そりゃモテるだろう。
……幾らでも、女が寄ってきそうなものなのに、見ている限りあまり女の影は無く、一番近いと言えるのはこの隣で居眠りしているこいつ? って、鳴木も随分物好きだとは思う。
「……ん? あれ、鳴木?」
「起きたのか? 終わったらしいぞ、黒田」
「ええっ!? 本当? ごめん寝ちゃった、大丈夫だった?」
「ちゃんと埋まったぜ」
そう答えると、藤堂はほっとしたようにへらりとわらう
「今度のクラスはずいぶん平和みたいだな、……おまえが眠れるくらいには」
そう言う鳴木に
「そうだね、私も吃驚した、まさか寝ちゃうなんて、今までとは違う世界みたいだよ」
嬉しそうに答える藤堂。
すると、鳴木はさっき寝ている藤堂を見ていた時のような優しい顔をして
「良かったな」
と笑ったけれど。
じゃ、着替えに戻る……なんて言って教室を出て行った時にちらりと見えた横顔は、さっき一瞬見えたのと同じ何処かが痛むようなそれ……。
「……なんでだ?」
切なげとも苦しげとも言える見慣れない表情。
「ん? どしたの? 終わったなら帰ろっか、そろそろ下校時間だよ?」
そんな様子には気がつかなかったらしい藤堂は、不思議そうに俺を見ている。
だが、さっきの会話からも視線の先も原因はどう考えても藤堂で、……ってことはあの様子の原因はこいつしか考えられないとは思うんだが。
何故、あいつはこいつを見て、あんな表情を……?




