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紗綾 ~君と歩く季節~   作者: 萌葱
三年生 一学期~
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それだけ? (side 鳴木)

 授業が終わって、教室を出ると眉間に皺を寄せた一条が居た

「あいつ、黒田と帰ったぞ」

「どうやって?」

「車で来たらしくて、帰りも送るからとか何とか言ってたが」

「あぁ……だからあいつの自転車無かったのか」

 駐輪場に着いた時にはいつもの場所は空いて居たから、教室の開放時間にはまだ早いというのに、もう教室の前に立っていた一条とまだ来てないみたいだなんて話をしたのに、あいつが自習室から出て来たのは少し不思議だった。

「そういう訳だ、……じゃぁな」

 それだけ言って、帰ろうとする一条。

「それだけ?」

 驚いて、思わずそう口に出してしまうと、ちらりとこちらを振り向いて

「知らなければ、……あいつ待つんじゃないかと思ってな」

 そう言って駅へ通じる階段へと歩いて行った。


 どうやら教室の前であいつを待ちながら、帰り道は時間が合えば途中までは一緒だなんて話をしたから、気を回したらしい。

 その自分の想いを判って心配された様子にむず痒いような気分になる。

 

 藤堂の鈍さは筋金入りで、気持ちを伝えても困らせて動揺させるだけなのは明らかで、揺り起こしたい気持ちがないわけではないけれど、避けられて今の距離にも居られなくなるのも怖い。

 何より、受験に向う今、あいつを追い詰める訳にも行かなくて。


 同じ様なことを思って居るのか、一条も藤堂の前では感情の起伏が判りやすい以外は、本当にそれらしい感情を見せないで居る。

 そのせいで藤堂は一条のことを怒りっぽいなんてよく言っているが、きっとそんな風に思って居るのはあいつくらいだ。


 けれど、こんな時、一条の押し殺して居る想いの強さを見る気がする。

 いつもの場所に無かった自転車、それなら待っていればまだ居るんじゃ無いか? なんて思ってしまえば、少しでも一緒に居たくて諦めきれずに待ってしまうかもしれない?

 そんな事を、もし自分ならきっとするだろうと思うからこその忠告で……。

 

 一条は藤堂に甘い言葉をかけたりはしていないし、柔らかい表情かおを見せることは少ないから外からはわかり難いけれど、表出している態度と裏にある感情はきっと比例しては居ない。

 そもそも、本来人の感情に聡く、頭の回転だって悪くないはずの一条が、一年近くも自分の感情を見失ったまま藤堂に絡んでいたというのが、どれだけ藤堂の存在が特別かという事だ。


 試合の時でも普段俺たちと居るときでも、作り物めいたその端正な顔つきと、同世代の男としては小柄な体つきながらもそれを感じさせない大人びた雰囲気で、どこか超然として見えるのに、藤堂と居る時だけはその人を寄せ付けない膜のようなものが破れて人間らしく見える。

 その切っ掛けが藤堂でさえ無ければ、そんな変化も良いんじゃないかと笑ってられるが、実際の所そこまであいつを変えて見せた心の奥に眠らせているもの大きさにため息も出ると言うもので……。


 俺とは違い、小学生の頃から女子の人気は高くその扱いにも慣れていた一条は、あの頃の俺達の中では珍しく彼女なんて物も居て、その相手も良く回りから名を聞くような奴だった。

 そんな奴が本気で藤堂の心を得ようとすれば、きっと俺とは違ってあの鈍さや受験なんてものは上手くすり抜けつつ、あいつの心に近づく事も出来るんじゃ無いかと思って居た。

 だから、あの時に聞いた「言えないって」言葉に、情けなくもほっとしたんだ


 呼び出しや手紙を渡されたりなんてものは日常茶飯事な一条、俺も比べるべくもないけれど、好きだといってくれる相手は偶に現れていて、そういう相手を受け入れて好きになれれば、お互いこんな苦労は無いはずなのに


 よりによって、そもそも恋愛感情ってものを掘り起こさせるのに苦労しそうな藤堂を好きになるなんて、心なんてものは自分のものなのに儘ならない。


 それに

「黒田……」

 教室で強引にあいつが腕を引っ張って勢い良く飛び出していった姿が、忘れられない。

 あの後日比谷から聞いた話だと、黒田は藤堂の昔なじみで、恩人とまで言って居た相手らしい。

 何より、あいつが大切にしているここに、自分から連れてきたというのがどういうことか……そこまで考えると、最近身近になってきた物慣れない狭量な感情が沸き上がる。

 だから、勢い良く首を振って、考えを振り払うように深呼吸する。

 そんな事をしても一度胸に広がった想いが、そう簡単に消える事はないとは知っては居たけれど……。

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