こんなに楽しいなんて
「先生……、それ学校ですか?」
「そう思ってみれば、学校に見える! さて、そこから南に1km進んだところに……」
「犬小屋?」
「藤堂、それはあんまりだと……」
「あ、つい、ぽろっと……」
「出たわね~、紗綾のつい」
「真顔でぽろっという分、インパクト有るのよね」
英語の授業中、図解をする講師の絵が下手すぎて、皆が口々に突っ込みを入れていく。
少し緩んだ授業の雰囲気に、私がふと発言した言葉に、莉緒と松くんが笑っていて
「天然」
私の後ろの席の鳴木が、ぼそっと呟くのが聞こえて、思わず振り返り睨む
「すいません、山小屋でしたか? 先を進めて下さい」
「……教会なんだが」
先生は悲しげに呟き、教室は馬鹿笑いに包まれ、
「ばぁか」
後ろの鳴木が再度小さな声で呟くのに、私はまた後ろを睨むことになる。
「藤堂、良いから少しおとなしくしてくれ、授業が進まん」
そう言われて、うつむくものの、こっそり微笑んでしまう。
――こんなに楽しいなんて。
「塾?」
「そう、まだ、ちょっと早いかもと思ったけど、学校と違うところっていうのもいいかと思って……」
夕食の後、お皿ふきを手伝ってたらママから、塾に行ってみない? と聞かれた。
両親には、上手くとけ込めなかったことは恥ずかしいけれど、クラスで孤立してしまっているという状況はきちんと話していた。
その上で自分が大丈夫なうちは何もしないで欲しいと頼んでいて……、けれど両親なりに心配して今回の話を考えてくれたのかな?
塾……学校とは違う処、新しい環境。
「行きたい……かも」
「本当? じゃぁ、良い所があるらしいの、一回見に行きましょうか」
ママはほっとしたように笑った。
そうして、初めて塾に来てから一月半が経ち、今は夏期講習。
中学入学と同時に入学してきたらしい松くんと莉緒は、今まで友だちになったタイプとは少しタイプが違った。
日本人形のように整った目鼻立ち、見た目通りに凛として芯のしっかりした松くんと、 私のまとまりの無い癖っ毛とは違い、つやつやとした真っ黒の巻き毛に囲まれた、赤毛のアンのダイアナのような美少女、しかも彼氏がいるという(!)莉緒。
ふたりとは、塾に入ってすぐに仲良くなった。
初めての塾の日に少し早く来すぎてしまった私が教室に一人で居ると、松くんと莉緒が一緒に入ってきた。
私を見つけて、あれ? 新入りさん? って聞いてきた莉緒に思わず
「うわぁ、ダイアナだ……」
なんて、呟いてしまった私の言葉に、その長いまつげに縁取られた瞳をまん丸にした莉緒と
「ダイアナって、赤毛のアン?」
そう言っておかしそうに私を見る松くん。
思わず松くんにも
「うわ、お雛様みたい…」
なんて言ってしまったら、二人とも顔を見合わせて吹き出してしまった。
「かなりの天然さんね、面白いわ、私は藍沢莉緒……あなたは?」
クスクスと笑いながら私にに話しかけた莉緒に
「藤堂紗綾、今日からここに来ることになったの」
答えると
「私は松岡久美子、よろしくね」
松くんも楽しげに私を見て、にこりと笑ってくれた。
そして、鳴木裕吾。
唯一の同じ中学の男子だと、最初の自己紹介で聞いたときにちょっとドキッとした。
また、同じことになるのかと。
でも、クラスも出身小学校も違うし、私に対しても特に反応はしていなかったから、私のことは知らないみたいだとほっとしたんだ。
だから塾に通い始めて暫くして、だいぶ馴染んできた頃、偶々二人きりになった時に後ろの席から
「お前、戸田に色々されてるんだって?」
と言われた時は、思わず息が止まった。
「な……んで?」
「俺、あいつと同じサッカー部、お前の話をしたら、あいつ吃驚して知ってるって言うから……」
キリッと意志の強そうな眉に、すっきりとした一重まぶたの瞳が真っ直ぐにこちらを見ている。
「まさか、あいつに私がここに通ってるって……」
「それは、言ってない」
私の一番恐れたことは、直ぐに否定されてホッとしたけど
「じゃぁ……私の学校での事は?」
「まぁ、お前のクラスにも豊小出身はいるから話は聞いた、しかし、戸田もそんなタイプには見えないのに……、お前も別人みたいだけどな」
続く会話にここでも学校を引きずることになるのかと、グルグルする頭を抑え、鳴木をじっと見つめた。
「お願いだから、学校のことはここでは言わないで欲しい、忘れていたいんだ……」
そう言うと、鳴木は何を思ったのか
「ふーん」
と呟いて、それ以降、学校のことは口に出すことは無くなった。
塾の中でもトップクラスの成績で有りながら、意外にに子供っぽい鳴木は、入塾当初から妙に突っかかって来て、何か私がミスをすると余計なことを呟いたり、私の声がうるさいとか、髪の毛がくるくるだとか言ってくるから、最初の頃は鳴木君なんて呼んでいたけれど、その態度故に敬称を付けるのはやめていた。
けれど、塾の中でのそういうやりとりは学校で攻撃してくる男子のような棘は感じなくて、例えば従兄弟が暇な時に遊びに誘う時のような悪意の無い憎まれ口にも似ていて、なんとなく憎めない。
だから、喧嘩はするけど学校で私に絡んでくる男子とも違うような、敢えて言えば喧嘩友達? そんな感じの、ある意味新しいカテゴリーに属する初めての男の子だった。