こいつが俺を見ないから…… (side 一条)
「えと、…ちょっと渡したいものがあるんだけど」
珍しくあいつから声をかけられ、そんなことを言われた。
けれど、休み時間も終わる直前にそんなことを言い出すから、教師が入ってきてしまい。
それが何かすら聞く間もなく自分の席へと戻った結果、……その後の授業は最悪だった。
授業が始まって教師が黒板にチョークを走らせるものの、ろくに集中できない。
どこか必死な顔つきと、渡したいもの、……頭に浮かぶものはある、今までの経験から言えば一つしか無いほどに。
けれど、藤堂からそれを渡される? 今までのあいつを思い返してもどうしても繋がらない。
でも、まさか?
落ち着かない気分のまま、部活の前に校庭側から美術室へ向かい、一番端の窓をノックすると慌てたようにあいつが駆け寄るのが見えた。
すぐに窓が開き
「あ、あのね、これを受け取って欲しいの」
差し出された淡いピンク色の封筒。
初めてそんな手紙を貰ったのは小学校も入りたての頃だったか、……手紙に並ぶ言葉の意味もよく判らないままに受け取った。
その後目ざとい姉に見つかり、受け取った以上きちんとしなさいなどと言われ、言われるままの言葉をひらがなだらけの手紙にして返したりなんてこともしていた。
やがて、姉の力を借りずとも返事くらいは書けるようにはなったが、徐々に名も知らない相手からのも含めたそんな手紙が増えるに連れ、それは面倒を産む物になっていった。
返事を返しても、また次の手紙を間髪入れず渡されたり、自分以外のは受け取るなと言ってくるのが居たり。
書かれる内容も、おまえの脳内に住む、外見のみは俺によく似て居るらしい奴に送れと言いたくなるような物が増えるにつれ、思った。
本当に俺に興味があるなら直接俺の近くに来れば良い、それも出来ずに俺自身を知らないまま自分の思いのみを受け取って欲しいなどと言う願いに、こちらが付き合う義務は無いんじゃないかと。
それからは手紙を受け取ることは止めた、……筈だった。
なのに、……藤堂から渡されたそれは、もしかしたら手紙かもしれないと考えていたのに、拒否することが出来なかった。
殆ど無意識で受け取ってしまい、信じられない思いで手の中のそれを見つめていると
「あのね、塾の来栖さんって分かるよね? 彼女にどうしても渡して欲しいって頼まれたの!」
たたみかけるように続いた言葉に何とも言えない感情がこみ上げ、そのままあいつに背を向けグラウンドに戻ろうとして
「ぐっ……、お…まえ!」
「ごめんごめん、つい」
咄嗟にユニフォームの首の辺りを思いっきり引っ張られ、その苦しさに足を止めて文句を言うと、すぐに手を放して指先をひらひらさせて
「あのね、返事もお願い」
そんな事を言い出すのに……勝手に預かっておいてと苛立ちが募る。
けれど、すっと生真面目な顔をして俺の顔を真っ直ぐに見つめると
「部活前に遠いのに、美術室まで来てくれてありがとう、部活頑張って下さい」
などど言って頭を下げるから驚いた。
「なんだそれ? らしくもない……」
「だって、一条にお礼言う日が来るなんて思わなかったから、なんて言って良いかよく分からない……」
口論のようなやりとり以外で俺と接することに本気で戸惑っている藤堂を見て、急に胸が痛んだ。
こいつは友達に頼まれて、苦手な俺を必死で呼び止めてまで手紙を渡しただけ。
けれど、俺は? 何故いつもは断る手紙を、こんな場所まで足を運んだ挙句大人しく受けとった?
それは、ありえないと思いつつも、こいつからの手紙だと思ったから……じゃないか?
自分の行動の裏にあった期待を認めたら、ずっと藤堂に感じていた苛立ちの理由に気がついた
それは、こいつが俺を見ないから、こちらから声を上げない限り無感情にすり抜ける視線……、俺はそれを引き留めたかった。
――俺も大概趣味が悪い。
自覚した途端、何故か忘れることが出来なかったあの時の言葉を思い出した
『例えば、そうだな、私が一条を好きになったりすると思う? お互いあり得ないって思うでしょ?』
……きっと、あの時苛々しながらも廊下を動けなかったのは、俺にとってはあり得ないことでは無いと心の奥では知っていたから。
だから、部活のことなんかにかこつけてでも、直接答えを聞かずには居られなかった。
あんなに気分が悪くなったのは、俺を好きになることは無いなんて……真っ直ぐに俺を見て言ったから。
「一条?」
急に言葉を返せなくなった俺を訝しく思ったのだろう、俺を覗き込んでくる、けれど俺に手紙を渡してくるような奴にありがちな熱など、幾ら覗き込んでも見つからない透明なその視線。
自分の感情を自覚したての俺にはその瞳を直視出来なくて。
「判った、返事用意してまたここに来る」
それだけ言って、その場を離れるのがその時に俺に出来た精一杯だった。