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第8話 タマモとの買い出しと、凍りつく楽屋

 初ライブ当日となる、土曜日の午後13時。

 ライブハウスへの集合時間より3時間も早く、田村範朝は駅前の大型商業施設に足を運んでいた。昨日、炎天下のビラ配りを終えた後にセンターのタマモから「ステージ衣装に使う小物が足りないから、買い出しに付き合いなさい」と呼び出されたからだ。


 待ち合わせの時計台の下に行くと、すでにタマモが待っていた。

 彼女はイギリスの令嬢のようなクラシカルで上品なワンピースに身を包み、ツバの広い帽子を被っている。金糸のようなブロンドの髪が日差しを反射してキラキラと輝き、道行く人々が思わず振り返るほどの圧倒的な美少女オーラを放っていた。


「遅いわよ、タムラ! 妾を5分も待たせるなんて、万死に値するわ!」

「すまん。途中の業務スーパーで、差し入れ用のスポーツドリンクを大量に買っていたものでね」


 田村は両手に提げた巨大なビニール袋を掲げて見せた。

 タマモは呆れたようにため息をつきつつも、その頬はほんのりと赤く染まり、どこか嬉しそうに見えた。


「まあいいわ。さあ、行くわよ。今日は妾のセンスで、完璧なステージ衣装を完成させるんだから」


 2人は商業施設の中を歩き始めた。

 田村にとっては単なる「衣装小物の買い出し業務」であったが、周囲の客から見れば、パツパツのスーツを着た身長185センチの屈強な巨漢と、まるでお姫様のような可憐な外国人風美少女が並んで歩く姿は、どう見てもアンバランスな「美女と野獣」のデートにしか見えなかっただろう。


 手芸店でリボンやレースを吟味している最中も、タマモは田村に「どっちの色が似合うと思う?」と熱心に聞いてきた。


「赤はタマモさんのセンターとしての華やかさを引き立てるし、青はクールで大人っぽく見えるな。俺はどちらもステージ映えすると思うぞ」


 田村がビジネスライクに、しかし真面目に答えると、タマモは「ふ、ふんっ、当たり前のこと言わないでよね。じゃあ両方買うわ」とそっぽを向いた。

 その瞬間、彼女の帽子が不自然にモコッと持ち上がり、そこから金色のふさふさした狐の耳のようなものが一瞬だけ飛び出したように見えた。


(……ん? 今、帽子の下に何か丸い毛玉みたいなのが見えたな。館内の乾燥のせいで、髪の毛が猛烈な静電気を起こして丸まっているのか? アイドルの髪質管理も重要だな。後で高級なトリートメントを経費で買っておこう)


 田村は、その深刻な静電気のトラブルをアイドルの髪質問題として手帳にメモをした。


 買い物が終わると、タマモはフードコートのクレープ屋の前に立ち止まった。


「……タムラ。妾、あのイチゴと生クリームがたっぷり乗ったクレープが食べたいわ」

「もうすぐ本番だぞ。本番前に重い甘いものを食べると、パフォーマンスに影響が出ないか?」

「だ、大丈夫よ! 糖分は脳のエネルギーになるって、あなたも昨日言ってたじゃない! 妾が最高の歌声を披露するための、必要な先行投資よ!」


 タマモが必死に主張するので、田村は「まあ、それもそうか」とクレープを2つ注文した。

 タマモはクレープを受け取ると、幸せそうな顔で大きな口を開け、生クリームを頬張った。


「んん〜っ! 甘くて美味しいわ! ほら、タムラも食べてみなさいよ」


 タマモは自分が半分ほど食べたクレープを、田村の口元に突き出してきた。


「いや、俺は自分の分があるから」

「いいから食べなさいってば! 妾のお墨付きの味なんだから!」


 強引に押し付けられ、田村は仕方なくタマモの食べかけのクレープを一口囓った。


「どう? 美味しいでしょ?」


 タマモは上目遣いで田村を見つめ、その瞳は期待にキラキラと輝いている。彼女の背後に、九つの狐の尻尾のような影がゆらゆらと揺れて見えた。


(やはり静電気が酷いな。影の形まで歪んで見える。しかし、本番前のメンタルケアとしては、こういう息抜きも悪くない)


 田村は「ああ、美味しいな」と頷き、タマモの頭を軽くポンと撫でた。タマモは「なっ、何するのよ!」と顔を真っ赤にして怒ったが、その足取りは明らかに機嫌が良さそうに弾んでいた。


 午後16時。

 買い出しを終えた田村たちは、駅前の地下ライブハウスに到着した。

 既に他のメンバーである森田、和田、イ・サラの3人も到着しており、薄暗く狭い楽屋に押し込められていた。


「お疲れ様です。宮崎さんも来てくれているんですね」


 田村が楽屋に入ると、特別顧問の宮崎真琴がソファで足を組んでスマートフォンを弄っていた。


「ノリくん、遅かったわね。タマモちゃんに随分とデートで振り回されたんじゃない?」


 真琴がニヤニヤと笑いながらタマモを見ると、タマモは「べ、別にデートなんかじゃないわよ! 必要な衣装の買い出しに行ってただけなんだから!」と早口でまくし立てた。


「さて、開演は18時だ。集客の状況はどうだ?」


 田村が尋ねると、真琴は肩をすくめた。


「今のところ、前売り券の予約は30人ってところね。当日の飛び込みがどれくらいいるかだけど……ノルマの50人に届くかはギリギリのラインよ」


 その言葉を聞いた瞬間、楽屋の空気が急激に張り詰めた。

 森田は腕を組んで貧乏ゆすりを始め、サラはジッと自分の爪を見つめて無言になっている。

 そして、部屋の隅のパイプ椅子に丸くなっていた和田の様子が、明らかにおかしかった。


 ガチガチガチガチッ……!


 激しい歯の根を鳴らす音が響く。

 和田はジャージのフードをすっぽりと被り、膝を抱えて小刻みに震えていた。

 それだけではない。彼女の足元から、白い冷気が床を這うように広がり、楽屋の壁紙に真っ白な霜が張り付き始めている。テーブルの上に置かれていたペットボトルの水は、完全に凍りついて固体になっていた。


「おいおい、なんだこの寒さは。このライブハウス、空調が完全にぶっ壊れてるんじゃないか?」


 田村はパツパツのスーツの腕をさすりながら、天井のエアコンを見上げた。

 どう考えても、夏場の室温ではない。まるで業務用冷凍庫の中にいるような異常な冷気だ。


「ち、違うのよタムラ……! 吹雪のプレッシャーが限界を超えて、冷気が暴走し始めてるのよ! このままだと、ライブハウスごと氷漬けになっちゃうわ!」


 タマモが青ざめた顔で叫んだ。


(……なるほど。このオンボロな地下ライブハウスの空調設備は、完全にイカれているらしい。本番前の極度の緊張状態でこんな劣悪な環境に置かれたら、和田のような繊細なタイプはパニックを起こしても不思議はない)


 田村は、目の前で起きている異常な凍結現象を、老朽化した空調の暴走と、和田の過呼吸による震えだと完全に脳内変換した。


「和田。大丈夫か、息ができるか?」


 田村が歩み寄ると、和田は涙目で田村を見上げた。


「……むり。お客さん、来ないかも。ノルマ達成できなかったら、私の中の未練が……うぁぁっ、こわい、寒い、無理ぃ……」


 和田の震えが強くなると同時に、さらに強烈な冷たい風が吹き出し、田村のスーツの表面にも薄っすらと霜が張り付いた。

 しかし、週5日で筋トレを欠かさず、代謝の化け物である田村にとっては「ちょっと強めの冷房」程度でしかなかった。


「仕方ない。温かい飲み物を作ってやるから、少し待っていろ」


 田村はそう言うと、持参していた巨大なクーラーボックスから、タッパーと魔法瓶を取り出した。

 そして、給湯室からコンロと小鍋を借りてくると、手際よく牛乳を温め始めた。


「こんな時に料理!? ノリくん、本当にブレないわね」


 真琴が呆れたように笑うが、田村は真剣な顔で鍋をかき混ぜている。

 温めた牛乳に、高級なバンホーテンのココアパウダーをたっぷりと溶かし込み、さらに隠し味として少量のバターとシナモンパウダー、そしてマシュマロを数個落とす。


 数分後。

 猛烈に甘くてスパイシーな、心を落ち着かせるココアの香りが、凍てつく楽屋内にフワリと広がった。


「ほら、特製のマシュマロ入りホットココアだ。これを飲んで落ち着け」


 田村は、マグカップになみなみと注がれた熱々のココアを和田に差し出した。


「……あ、ありがと……」


 和田は震える両手でマグカップを受け取ろうとした。

 しかし、彼女の身体の震えは尋常ではなく、ガタガタと手元が狂って、マグカップを落としそうになった。


「っと、危ない」


 田村は咄嗟にマグカップをテーブルに置くと、そのまましゃがみ込み、和田の身体を正面からガシッと抱きしめた。


「えっ……!?」


 和田の小さな身体が、田村の分厚い胸板と丸太のような腕の中に完全にすっぽりと収まった。


「な、何してるのよタムラ!」


 タマモが悲鳴を上げ、サラの背後に黒い影が大きく歪んで立ち上がった。田村は「急に照明が暗くなったな」と首を傾げた。


「震えが止まるまで、こうして温めてやる。俺の体温は平均より高いからな。湯たんぽ代わりにはなるだろう」


 田村は極めて事務的に、しかし優しく和田の背中をポンポンと叩いた。


 身長185センチ、体重90キロの筋肉の塊から発せられる熱量は、凄まじかった。

 異常に冷たかった和田の身体に、田村の圧倒的な生命力と熱がジンジンと伝わっていく。さらに、鼻先をくすぐる甘いココアとシナモンの香り。

 極度の緊張と恐怖で強張っていた和田の筋肉が、まるで春の雪解けのようにスゥッと解れていった。


「……あったかい……」


 和田は田村の胸に顔を埋め、大きく深呼吸をした。


「少しは落ち着いたか? ココア、冷めないうちに飲めよ」


 田村が身体を離すと、和田の頬はほんのりと桜色に染まり、先ほどまでの異常な震えはピタリと止まっていた。

 同時に、楽屋の壁に張り付いていた霜が水滴となって溶け落ち、凍りついていたペットボトルの水も元に戻った。


「よし、空調が直ったな。このライブハウスの管理人に、後で文句を言っておかないと」


 田村は一人で納得して頷き、和田にマグカップを手渡した。

 和田は両手でしっかりとカップを持ち、ふーふーと息を吹きかけながら、美味しそうにココアを飲んだ。


「……おいしい。私、頑張る。田村のココア、飲んだから」


 和田の瞳に、力強い光が宿っていた。


「その意気だ。さあ、もうすぐ開演の18時だ。着替えて、ステージに向かうぞ!」


 田村の号令に、アイドルたちと真琴が力強く頷いた。


 空調トラブルを乗り越え、最強の鈍感力を持つマネージャーに背中を押された神無月の4人は、いよいよ初ライブのステージへと足を踏み入れるのだった。

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