カモにされる老舗ダンジョンを救うため召喚された私が、モンスターを全部猫にして最強の「もふもふ要塞」を作り上げた件
石造りの床が、規則正しいブーツの音を弾き返す。
カチ、カチ、と小気味よい音。
それはかつて「死への秒読み」と呼ばれた。
しかし今は違う。
「はい、右見てー。矢のトラップくるよー」
「お、マジだ。三、二、一……はい回避」
パシュッ、と虚しい音を立てて壁から矢が放たれる。
冒険者たちは欠伸をしながら、それを半歩でかわした。
水晶モニターの前に座る少女、リリア=ノクスは、
その光景を苦虫を噛み潰したような顔で見つめていた。 銀色の髪が、怒りに震える。
「……三層、突破。記録、十一分。また縮まったわね」
かつてここは、王都の騎士団ですら全滅を覚悟した《嘆きの迷宮》だった。
しかし百年という月日は、迷宮を「伝統工芸」へと変えてしまった。
冒険者が落とす汗の匂い。
鉄の擦れる音。
それらすべてが、リリアには「賞味期限切れの嫌な臭い」に感じられた。
「リリア様、また『金策ルート・まとめサイト』の閲覧数が伸びております」
使い魔の蝙蝠が耳元で囁く。
「黙れ。わかっているわ」
モニターの中では、最下級の冒険者がスライムを流れ作業で斬り伏せている。
素材すら拾わない。
ただ、最速でボスへ至るための作業。
リリアが百年前、心血を注いで配置したトラップは、今や「目印」に過ぎない。
「屈辱……。わたくしのこだわりが、あの程度の輩にいいようにやられるなんて」
かつて、冒険者の嘆き声がこだましていた難攻不落のダンジョン、その支配者が嘆いている。
リリアは椅子を蹴って立ち上がった。
埃の舞う奥義の間。
床に刻まれた古代召喚陣が、青白い火を灯す。
「わたくしのこだわりが古いというのなら、異世界から持ってきてやるわ。現状を打破する、劇薬を!」
轟音。
紫煙。
魔法陣の中心で、一人の少女が鼻をすすっていた。
猫耳がついた薄汚れたパーカー。
手には、光を放つ小さな板。
「うわ、なに。スマホの電波死んだんだけど」
それが、猫宮ひかるとの出会いだった。
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ひかるは迷宮の内部を一瞥し、鼻で笑った。
「ここ、『死にゲー』を目指してるんですか? それとも『観光地』?」
「なっ……! 畏怖の象徴よ!」
「無理ゲーですね、それ。攻略法がWikiに載ってる時点で詰んでます」
ひかるはスマホ――の形をした異世界の道具をリリアの鼻先に突きつけた。
そこには、迷宮の地図に真っ赤なバツ印が書き込まれている。
「プレイヤー……じゃなかった、冒険者は『報酬』と『効率』しか見てません。
リリアさんのこだわり? そんなのスキップ対象ですよ」
「スキップ……」
リリアの喉が鳴った。
百年の自負が、十五歳の少女の言葉に切り裂かれていく。
「じゃあ、どうしろというの。罠を倍にして、即死攻撃を増やす?」
「逆です」
ひかるは猫耳パーカーのフードを深く被り、不敵に笑った。
「戦う理由を奪いましょう。攻撃できなくなる、最強のデバフをかけるんです」
「最強のデバフ……?」
「『可愛さ』ですよ」
ひかるは鞄から一冊の雑誌を取り出した。
そこには、もふもふとした毛並みの、丸い瞳をした獣が映っている。
「これ、なんという魔獣?」
「猫です。最強の癒やし兵器です。こいつを、すべてのモンスターのベースにします」
リリアは頭を抱えた。
迷宮の守護者たちが、そんな腑抜けた姿になる。
想像するだけで、胃のあたりが重くなった。
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三日後の第一層。
ベテラン冒険者のガイルは、重い大剣を担いで扉を蹴破った。
「おい、今日もサクッとスライム狩って先に進むぞ」
だが、通路の先にいたのは、緑色のドロドロした塊ではなかった。
ぷるぷる。
半透明の、ゼリーのような質感をした「子猫」だった。
それが、ひょこひょこと短い足で歩き、ガイルのブーツに体を擦り寄せた。
「……にゃん」
「なっ……!?」
ガイルの大剣が、空中で止まる。
スライム猫は、ぱちくりと大きな瞳でガイルを見上げた。
そして、その喉を「ゴロゴロ」と鳴らした。
「……おい、ガイル。早く斬れよ」
後ろから仲間が急かす。
だが、ガイルの腕は震えていた。
「無理だ」
「はぁ?」
「こんなもん、斬れるわけねぇだろ! 夢に見るわ!」
ガイルは剣を鞘に叩き込んだ。
奥からは、本来なら棍棒を振り回すはずのオークが現れた。
しかし、その姿は二足歩行の、少し太り気味な三毛猫だった。
手には棍棒ではなく、大きな「またたびの枝」を持っている。
オーク猫はトコトコと歩み寄ると、ガイルの膝を肉球で「ぺしっ」と叩いた。
「にゃっ」
「痛……くはないな。
だが、なんだこの気持ちは……もっとやってほしい……」
ガイルはその場に崩れ落ちた。
背後では、魔法使いの少女が「きゃあ、可愛い!」と叫び、杖を捨ててオーク猫を抱きしめている。
その光景を水晶で見ていたリリアは、開いた口が塞がらなかった。
「……なんだこれは。本当に、誰も攻撃してこないわ」
「いえ、ここからが本番ですよ」
ひかるがモニターの数値を指差す。
冒険者たちが「撫で」たり「餌」を与えたりするたびに、
迷宮の魔力タンクが異常な速度で充填されていく。
「魔力変換効率、従来の三倍です。恐怖で絞り出すより、愛着で吸い取るほうが安定するんです」
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一ヶ月後。
《嘆きの迷宮》の周囲には、王都まで続く行列ができていた。
かつての殺伐とした空気はない。
冒険者たちは武器を預け所に預け、代わりに「高級鰹節」や「特製ブラシ」を装備している。
第二層のボス、レッドドラゴンは、今や巨大なメインクーンに姿を変えていた。
体長十メートルを超える巨体が、ゴロゴロと鳴るだけで床が地震のように揺れる。
「ひっ……!」
新人の冒険者が、巨大な肉球に押し潰される。
だが、死なない。
ただ、圧倒的なもふもふの圧力に包まれ、恍惚とした表情で昇天(強制送還)していくだけだ。
「これ、もう迷宮じゃないわ……」
リリアは、自分の膝で眠る漆黒の子猫(元使い魔)を撫でながら呟いた。
「差別化の勝利ですね」
ひかるはスマホでSNS――のような魔術掲示板をチェックしている。
そこには、《嘆きの迷宮》の猫たちの写真が溢れていた。
『今日も推し猫に踏まれてきた』
『三層のシャム猫様、ツンデレすぎて魔石溶ける』
「王都の他のダンジョン、閉鎖に追い込まれてるらしいですよ。みんなこっちに来ちゃうから」
「市場独占……。
わたくし、歴史に名を残す魔女になるはずだったのに……。
最近、他のダンジョンマスターから『猫の楽園の管理人』って呼ばれてるんだけど」
「最強の防御は、攻撃させないこと。ね、言ったでしょ?」
ひかるはそう言って、リリアの隣に座った。
迷宮の奥深くに響くのは、嘆きの声ではない。
穏やかな寝息と、無数の「にゃー」という合唱。
百年の静寂を破ったのは、最強の癒やしという名の暴力だった。
「リリアさん、『キャットタワーエリア』、いっちゃいます?」
「……予算を計算しておきなさい」
銀髪の魔女は、少しだけ口角を上げた。
――それは、もはや伝統工芸だった。
誰も斬れない、誰も勝てない、世界で最も幸せな敗北の物語。




