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早紀が、学校の廊下で、リコールの署名を呼びかけている生徒の一団とすれ違った。修司はいない。
そして立ち止まって、脇から彼らをしげしげと眺めた。
すると、それに気づいた一人の女子生徒が、彼女をじっと見つめ返した。表情は普通で、いかなる強い感情も表れてはいない。
早紀はそのコに近づいて話しかけた。
「真壁さん」
「はい」
「あなた、その署名集めは、誰かに頼まれでもしたのかな?」
その生徒、真壁千鶴は、一瞬視線を落とした後で、再びしっかり早紀に目を向けて、言葉を返した。
「先生、私が大場くんに洗脳されて、これをやっているとでも、お考えなんじゃありませんか?」
早紀はドキッとした。まさに、だったからである。彼女も勲に言われる前から同じような懸念を抱いており、特に気になっていたのが、真面目な一方でいつも表情に憂いが感じられる、千鶴だったのだ。
「井口先生は生徒のことをわかってくれているほうだと思ってたんですけど、違ったのかな」
千鶴はつぶやいた。
「え、いや……」
戸惑う早紀に対して、彼女が初めて目にするであろう堂々とした態度で、千鶴は語りだした。
「あるとき、気持ちが落ち着かなくて、保健室に足を運んだら、大場くんがいたんです。初対面で、言葉を交わす前から『あれ?』と感じてはいたんです。私みたいな子どもが何を言ってるんだと思われるかもしれないですけど、何度も裏切られたりしているので、なんとなくわかるんですよ、信用できる人か、そうじゃない人かってことが。とはいえ、『どうしたの?』って訊かれて、『親に勉強のことでうるさく言われるのがしんどい』って口にして、すぐに『あんなことをしゃべるんじゃなかった』って後悔したんです。そしたら、なんと後日に私の家に来て、母に『自分が勉強を教えるから、心配しないで見守ってあげてください』って述べたらしいんです。なのに、それから学校で私に近寄りもしてこないので、こっちから行って、母に話した件について尋ねたら、『どう? 何も言わなくなった?』とだけで、またそれっきり。『なに、それ。かっこつけて、気持ち悪い』って腹が立って、母にバラしたんです、『あの人、私に勉強を教える気なんてないよ』と。すると、連絡先を伝えていたようで、『どういうことですか?』って母から文句を言われたみたいで。それでも、やっぱり私に何をするでもなく、平然とした様子なんです。だから、私からもう一度訊いたら、『大丈夫? まだ勉強のことで嫌な思いをさせられているなら、また僕にお母さんの不満の矛先が向くように、何でも好きに使ってくれていいから』って」
そこで少し間を置いた。
「それは、『今回の署名のことで私を利用するために、恩を売ったんじゃないか』と思われました?」
早紀は黙っていた。
「たとえそうだとしても、直接署名の協力をお願いはされていないんです。つまり、私が味方になってくれる人間だと『信頼』してくれてるってことなんですよ。うちの親なんて、学校で、良い成績をとっても、悪さなんて一切しなくても、家でちょっとダラけて好きなことに時間を費やしただけで、ガミガミガミガミ。褒めてくれたことなんて一回もないんだから。というわけで、自分の意思でやっています。私だけじゃないですよ。あんなに優しい人には初めて会ったって、みんな言ってます。なかには、我が子を元気にさせてくれたと感謝して、署名活動を手伝っている親もいるんです。そういうことですので、洗脳なんてされてません。失礼します」
軽く会釈をして、千鶴は離れていった。
「……」
後ろ姿からも自信に満ちあふれているようなたくましさが感じられる千鶴を、早紀は茫然といった表情で見送ったのだった。




