静
「ふゃぁわ」
世界一静かな朝が来る。僕は無駄に大きなあくびをしてテレビのニュース番組をつけた。どうせいつものやつだろ、と思いながら。隣りにいる僕の妻である詩歩はくすっと笑った。
いつものやつ。それは政府が集めたサイバー攻撃対策特殊部隊とかいうやつの、特にリーダー格5人のことだ。というのも近年、隣国のIT産業が著しく成長し、それに伴って他国のサーバーを攻撃する輩も増えたらしい。迷惑な話だ。まあ、僕には関係のないことだ。僕は愛する妻と二人で都会を離れて暮らしているのだから。そんなふうに思っていると、詩歩は少し僕を見つめて、やはりくすっと笑ったのだった。
次の日。思いも寄らないニュースが僕の耳に入ってきた。それはいつもの、サイバー攻撃対策特殊部隊の、リーダー格の五人のうち、一人が暗殺されたというものだった。さすがに驚いたが、まああれだけ注目もされていて、誰かの反感を買ってもおかしくないだろうと思った。だが驚くべきなのは、今、約3年ぶりにインターホンが鳴ったことだろう。確か3年前は、野良猫がぶつかってなっただけだっけか。そんなことはどうでもいいと言わんばかりに詩歩はモニターを覗いていた。僕に知ってる顔かと聞き、僕を覗き込む。もう一度鳴らされ、僕は小さく頷き、ドアを開けた。「…久しぶりだな」確かに知った顔と知った声がそこにあった。
彼は僕の元同僚だ。その仕事内容は大手企業の… ほかでもない、大手企業のサイバーセキュリティ対策本部の運営だった。彼が若くして本部長となり僕はほぼ雑用係みたいなもんだった。同僚というのも気が引ける。そして彼は今、前述の五人のうちの一人である。残りの四人―今回暗殺された人を除くと―三人も元同僚であることは想像に難くないだろう。そんな彼と軽く世間話をした後、
「で?」
と僕は放った。
「ん?」
という返事の後、
「本題はなんだよ。」
彼は咳払いをして姿勢を整えた。詩歩はいつの間にか気を利かせて庭に出ていた。
「戻ってきてくれないか?」
「どこに?」
「決まっているだろ。サイバーセキュリティの仕事だよ。」
確かに聞くまでもなかったな。だが答えはノーだ。なぜならあいつらは人を正当に評価しない。―なるほどな。一人減ったから僕を呼びに来たってことか。思わず笑ってしまった。
「お前は知ってるだろ僕がやめた理由を。またあいつらの踏み台になれと?笑わすんじゃねぇよ。」
僕は内心彼を軽蔑しながらこう答えた。だが彼の返事は全く違った。
「ああ知ってるよ。だが別に誰も味方になれとは言ってないだろう。」
どういうことだ?敵になって隣国の組織に入れとでも?と言いたくなったが、
「お前が辞めたのはあいつら、つまり俺以外の四人がお前の開発を盗んで、上に行き、その後お前は相手にされなくなったからだろう?だからこれはお前にとって復讐のチャンスでもあるんだ。」
僕は眉間にシワを寄せる。彼は続けて、
「あの三人は―」
その時だった。庭から詩歩の悲鳴が聞こえる。無意識に庭に出ると、銃を持ち、武装した数名が庭に侵入してきていた。彼はとっさに煙幕のようなものを投げ、僕と詩歩を連れて彼の車へと乗せた。
「すまない―君と詩歩さんを危険な目に合わせるつもりはなかった。」
そう言うと彼は車を発車させた。
しばらくすると追手は見えなくなった。彼のドライブテクは見事であった。彼は車を停め、
「ここで話させてくれ。」
と言った。そこは彼の営むコンピュータ教室であった。
彼の話によると、こうだった。
あいつら三人は、隣国の組織に政府の機密情報を高額で売ろうとしている。殺された一人も最初は協力的であったが、良心がそれを許さず、政府への密告を試みたが、その前に消されてしまった。昔の話はどうでもいいが、彼は僕の開発を盗むのに関わっていなかった。僕の思い込みだったらしい。いい人ほど早くとはこのことか。そして彼もまた反対し、命を狙われているとのことだ。煙幕を持っていたのも納得である。奴ら組織は完璧主義で邪魔者を全て消してから計画に入りたいようだ。そしてこの暗殺劇には、隣国の裏組織まで関わっており、彼は命が長くないと感じ、僕を頼った。彼は言った。
「君は天才だ。昔の話にはなってしまうが、奴らが拒否した君の開発は全て画期的で当時は信じられないくらい素晴らしかった。君は僕なんかよりも才能がある。そして今の政府のセキュリティシステムには昔の君の開発の改良品のようなものなんだ。今、世界でそのシステムを完全に理解できるのは僕と、奴らと― 君しかいない。」
彼は僕と詩歩に深々と謝った。そしてなんと、似たような場所に似たような家まで手配してくれた。あの家に戻るのは危険すぎる。そして車のキーを渡し、最後に一台のコンピュータとシステムの資料を渡した。
「元気でな。」
彼はそれ以上言わずに僕と詩歩を見送る。僕は、
「お前はどうするんだ?」
と問う。
「僕は」
そう言うと彼は目を細め、
「僕の死が攻撃の合図だ。」
それだけいうと彼は静かに去っていった。
その日の夜。僕にはこれが一日の出来事には思えなかった。僕がため息を付くと、詩歩は僕の手の上に手を優しく重ねて、何も言わなかった。大丈夫だったか。はい。あなたも大丈夫でしたか。そんな会話をして眠りにつこうとしたが、無駄であった。
世界一重い朝が来る。いつの間にか少しだけ、眠れたようだ。詩歩も同じだったようだ。僕はテレビのリモコンの電源ボタンを押す。僕は大きく息を吐いた。僕と詩歩は見つめ合い、お互いくすっと笑った。だが喜びもつかの間、わかっていても信じられないニュースが速報で流れた。僕は強く拳を握った。詩歩は、あの一台のコンピュータのホコリを払っていた。払い終わると、僕はそれを持って部屋に入った。詩歩は珍しく朝から買い物に行った。僕は久しぶりに、実に約五年ぶりにコンピュータを触る。指がすぐに疲れてきた。それでも僕は必死にプログラムを書いた。ニュースがうっすらと聞こえてくる。どうやらサーバーが攻撃されたらしい。奴ら三人は会見中で、急いだふりをして本部に戻っていく。なるほどな。混乱に乗じてそのままデータを抜き取る作戦か。だが映画のようなネット上でのしばき合いがあるわけではない。自分の書いたものを信じるだけだ。僕は全身を緊張させながら座っていた。
どれくらい時間が経ったろう。わからないが僕は確信した。勝利を。いや、どちらかというとこちらは姑息であり、反則勝ちか? そんなどうでもいいことも確信した。だが最後の最後で、証拠は消された。僕は証拠まで残し、奴ら三人を地獄に落とすつもりであったが、組織は完璧主義であり、自らの痕跡を消すプログラムまで用意していた。後に、政府のサイバー…なんとか本部は解散し、三人は組織からの信用も失うことになったので、復讐という意味でも勝利だろう。ふぅと息を吐き、部屋を出るといつの間にか詩歩が帰っていた。おかえり。珍しいな朝から―と言いかけると、詩歩は二人の好きなシャンパンを袋から取り出した。僕は眠すぎて、「ほわぁ」とあくびをした。詩歩はくすっと笑った。