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恋愛

作者: 津澤

前提として私は彼女の意見に賛同している。彼女の意見に対して私は、その通りだと思うがもっと軽くすればいいといった意見だ。

ある女子が言った、高校生の恋愛は遊びだと。彼氏、彼女が欲しい意味が分からない。


彼女は、高校生で恋愛をする意味はないと考えた。なぜなら恋愛のゴールは結婚であり、私は結婚し子供を産み家庭を持ちたいから。高校生で付き合ったとしても、結婚までは長い道のりだ。故に、到達する前に別れてしまうカップルは少なくない。

もちろん、高校生で付き合い結婚するのは、とても夢があることだ。長い間支えあい、愛を育んできたのだろう。素晴らしいカップルだ。だが現実的にそれは難しいというのが、事実として周知されているのではないか。

中学、高校に進級するとスマホを持っている人はほとんどになる。そこでインスタグラムのストーリー機能を使い、人を紹介するという文化が生まれた。その紹介文で、たびたび見かけるのが彼女募集中だ。


私はこれに嫌悪感を覚える。それは何故か、理由は簡単だ。

募集中(美男美女に限る)と隠されているからだ。募集はしているが誰でも良いという人はいないだろう。それに立候補し、付き合ってしまえばそれこそ遊びの恋愛だと笑われてしまうのでないだろうか。


高校生の恋愛は遊びだと考えた彼女は、良くも悪くも現実的だ。

だが理屈で説明できないのが「感情」だ。


では何をもってして、遊びの恋愛では無くなるのか。

結婚を前提としたお付き合いを始めたときか

婚姻届けに判を押したときか

子供が生まれたときか、それとも授かったときか

体を許したときか


星の数だけ輝きの違いがあるように、人の数だけ考え方は違う。それは何者にも脅かされてはいけない。いわば、神の領域。


彼女の考えを聞いたとき私は何も言えなかった。そして彼女は理解していたのだ、自分が少数派であることを。


では恋愛、「好き」とはなんだろうか。私はある種の尊敬だと考えた。

これには私の恋愛観が大きく関わっている。


関われれば良い、関われなくても見ることができれば良い。見ることも叶わなくなれば、熱は冷める。

そしてふと瞬間思い出すことができれば、それで良いのだ。私は自分が少数派であると考えている。

世の中の人間は、好きな人と付き合いたい、一緒に色々なことをしたいと考えるだろう。


彼らは能動的だ。だが私は受動的に考えてきた。受動態的な考えだなと、思ったとき私は気づいた。

まるで昔の神と人間の関係みたいだなと。何かあれば応対するだけで、こちらからは何も干渉できない。しないのだ。(祈りの儀式などは除く)


私は好意を抱いた人を神格化していたのだ。故に恋愛感情は尊敬の感情だと考えた。これを話したときに彼女は笑ってこう言った


「ひねくれてるね」

「君もだろ」


私たちは笑いあった。その数か月後彼女から、一報が入った



「彼氏できたー」


 なんだ、コイツ




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