「これより作戦をフェイズ2へ移行する!」デーン・デンデン・デーン・デーン(エヴァのあれ)。桜に見送られ転院。希望と前向きさ。それと負の感情と、偉大なる闇の力と共に。
朝目覚めると、右手の指が「真っすぐ」に伸ばすことが出来る。
健常であれば、なんでもない、当たり前の動作だけど、今の俺には希望を繋ぐ、朝の儀式だ。
どういうことかと言うと、現状、右手指が動くようになったとはいえ、その範囲は本当にわずかだ。
普段の右手指は弛緩した状態で、だらんと、やや曲げた状態で止まっている。
これが、ひとさし指、親指、中指に関して、僅かに曲げ伸ばしが出来るようになったのが、今の状態。
今は、一度、曲げる方向に動かしたら、逆に伸ばす方向に動かすことは出来ない。
曲げた指を、伸ばしたかったら、左手を使ってリセットしてやることになる。
指は、伸ばすよりも、曲げる方が、力が入り易いのだ。
逆に言うと、伸ばすのは難しい。
健康であれば、全く意識することは無いだろう。
日中は、指をまっすぐ伸ばすことは、まだまだ無理。
それが、朝イチだと出来る。一時的に。それがまた、すぐに出来なくなっていく。
これがどういうことかと言うと、後にリハビリ病院の兄ちゃんスタッフが説明してくれた所によると、今、俺の脳と、手足の神経の間では、脳出血により通行止めが起きているのだ。
これが、徐々に開通しつつあるのだが、日中は「上り」の信号と「下り」の信号がぶつかって、大渋滞となって、うまく動かせない。
あるいは、欠伸をした時とかに変な動きをしたりする。
この混乱した右手足の神経の交通状況が、寝起きの状態ではリセットされている。
だから、朝イチでは調子がいいのだ。
確かに、まっすぐ伸びたひとさし指は、すぐに調子が悪くなる。だが、数日後神経の交通渋滞が解消された未来の姿なのだ!
回復への希望がある!素晴らしいことだ!
動くようになったとは言え、動く指は3本で、可動範囲も限定的。フニャフニャで力も全然入らない。何かのスイッチを押すことも出来ない。
それでも、リハビリを継続し、2週間目に動くようになった指は、3週間目に、朝食に付くドレッシングのマジックカットを切れるようになったのだ!
(今までは、看護師さんにやってもらっていた)
とはいえ、今の俺には「マジックカットを切る」というのは、難易度が高い。
左腕だけでは、絶対に切れない。
僅かに力の入る、右の指でドレッシングの袋を押さえつけ、左手で引っ張って切るのだが、何せ右手指にこめることのできるパワーはわずか。
だから、ドレッシングの袋は、いつまでたっても切れないか、加減をミスると、逆にスルリと押さえつけていた右手指から「抜け」てしまう。
微妙な加減が必要で、なかなか大変だが、使えるようになった右手は、リハビリのために積極的に使うべきなのだ。
一度、ドレッシングの封を切ろうと、四苦八苦した結果、どういう力が入ったのか、ドレッシングの袋が爆裂したことがある。
ナースコールで呼び出された兄ちゃん看護師は、ドレッシングまみれになった俺と部屋半分(壁までドレッシングが飛んでいた)を見て爆笑。
激務のナースさん達に、ネタを提供できて良かったなあ。
体調が少し落ち着いたので、友人、上司、親戚が見舞いに来てくれる。
(たまたま関西から地元に遊びにきていた前職の上司(前職では数少ない、というか唯一存在した有能な人だ)まで見舞いに来て、差し入れに神戸屋のプリン持って来てくれた!この状況で神戸屋のプリンは、黄金の価値があったね!)
この頃になるとラインを打つのにも、誤字をしなくなっていた。
つまり、頭の具合が落ち着くのに、1カ月というところだ。
(ちなみに、右半身の麻痺の影響で、顔面も歪んでた)
そして150メートル程歩けるようになった、4月初旬。
散り始めた桜に見送られ、俺は3週間世話になった、急性期の病院を退院し、叔父の運転する車に乗って、30キロ離れた隣の県にある、リハビリ専門の病院に転院した。
ここからはフェイズ2だ。
ちなみに入院3日目に、外の景色を見れた時は、結構な感動があった。だから、久しぶりに外へ出れて感慨があるかと期待したが、これが、ほとんど無かった。
多分、3日目の時ほどシビアな状況でもなく、残り2か月程になってしまった、リハビリゴールデンタイムに対する、あせりの方が大きかったからだろう。
そして休職期間内に退院できるのか?という不安がストレスになって、桜や春の景色を楽しむ余裕を失わせていのだ。きっと。
あせっているとは言え、俺はリハビリ自体を割りと楽しんでいた。
そう思えるのは、前提として、入院当初から、「他人事」のように考えるようにマインドセットしていたし、「若いからきっと回復する」という、あの医師の言葉が、魔法のように俺の精神を安定させていたからだ。
それに、特に給料面で報われないと感じることの多かった介護の仕事と比べると、やった分だけ自分の体に見返りのあるリハビリは、「実のある、やりがい」があったからだ。
え?介護もやりがいはあったよ。「実」が伴わないってだけで。特に昇給なんて、10年働いて1回もなかったし。賞与?え、何それ食えんの?美味しいの?
(大抵の介護事業所は、賞与を出してるように見せかけて、国から支給される処遇改善手当毎月支給する代わりに、まとめて支給しているだけだ。
しかも、原資のいくらかは消費税。つまり、皆さんのお金。正直、当時の俺は自分の給与を上げる代わりに消費税を上げるなんて、やめてくれと思ってた。
おっと、いけねえ。介護時代の愚痴を話すと、ついつい長くなっちまう。)
そして、俺を支えたのは、希望以上に、ぶっちゃけ「怨念」だ。
すなわち、俺が病気で酷い目にあって、今じゃ要介護だ。なんて話が風の噂で、かつてのクソ上司、クソ同僚、クソ部下に伝わって「ネタ」になるなんて、まっぴら御免だったのだ。
それに、同じくかつてのクソ入居者。
脳卒中の後遺症を抱えていた人はいたが、中には「天罰だったんじゃねーの?」ってくらいクズなヤツが居た。
このままでは、あのクソ人間と、同じ土俵に落ちてしまう。
それもまっぴらだったのだ。
俺は、このように、前向きな考えと方、負のエネルギー、いわば「闇の力」をハイブリッドして、リハビリの原動力にしていたんだよね。
あー、いや。言い方によっては「負けてたまるか」ということになるから、これもまあ前向きと言えなくもないか。
教訓:前向きな考え方以上に、怨念のような負の感情が力になるよ。まあ、入院中の一時的な話だし、結果エンパワーできるんなら、まあいいんじゃね?