動かない右手。動け、動け!動いてよおおおおお!・・・あれ、なんだか、心が?心が闇堕ちしそうになったんですけど。これがダークサイドってことですか!?
リハビリは、約30分のセットが1日に、2~3セット。
それぞれ、足のリハビリを理学療法士。
手のリハビリを、作業療法士。
言葉と認知機能を言語聴覚士が担当する。
手と足は、病院の最上階のリハビリルームでやる。
車椅子で連れて来られるリハビリルームは、ドラマでたまに見るような施設だった。
腕と足は、日を追うごとに、僅かずつ動くようになっていくが、右の手指は、ピクリとも動かない。
それでも、作業療法士のメガネの兄ちゃんは「後々効いてくるから」と、根気良く、右の手足に刺激を与えた。さらに、左の手と組み合わせて、こねくり回して刺激を与える自主トレ法を、俺に指導した。
俺は、病室に居る間、必死こいて教えられた自主トレをする。
なにせ、回復のゴールデンタイムは、3か月しかないのだ。
手足は動かないし、言葉も不明瞭だけど、頭はクリア・・なつもりだった。
だが、ある日、言語聴覚士とのセッションで、「野菜の数をできるだけ挙げる」をやってみた。
だが、10個も挙げることが出来なかったのだ。
自分では認知機能は普通のつもりなのだが、客観的には全然なのだ。
認知症になるとしたら、こういう感覚なのだろうか?
ある日、病室で全く動かない右手に、せっせと自主トレをしていると、外からオッサンの声が聞こえて来た。
「いやあ、脳梗塞になりまして、昨日入院しましたけど、幸い軽症でしてねえ」
と、俺の病室に聞こえるくらいデカい声で話している。
実際、自分で廊下に出歩いているのだから、少なくとも歩くことすらままならない俺よりは、はるかに軽症なのだろう。
(う、うらやましい。ていうか、憎い、憎い!きいいいい~!)
毎日21時消灯。
体が弱っているせいで、割とすぐ寝れる時もある。
かと思えば、形容しがたい、謎の不快感があって、なかなか眠れない時がある。
入院3日目までには、点滴が終わり、ペースト食が始まる。
左手で、介護用の箸を使えば、食事は問題無く出来た。
1週間目までには、あれこれ繋げられていた機器も、三角巾も外れた。
何より、シャワー浴が許可された。
(ヘルパーか、看護師の介護を受けるんだけども、しばらく前までは、逆に介護する立場だったのになあ。。)
この時、何故かわからないけど、右手に異様に大量の垢が出た。
ヘルパーや看護師は、基本、流れで介助をやってるから、気になることがあるなら、ちゃんと意思表示をすることだ。
この場合、「ちょっとごめんなさい。右手の垢を、しっかりとってくれますか?」と、リクエストすること。
普通の看護師やヘルパーは、「OK!」「はいはい!」と、リクエスト通りにする。
が、老人ホームの出来の悪いヘルパーは、自分の中の段取りを崩されて、露骨に不機嫌になり、言うこと聞かなかったり、嫌がらせをしたりする。いやマジでマジで。本当だって。
おっと、話が逸れてしまった。
眠る前、そして目覚め。
右手を目の前に持って来て、動かない手指を見つめる。
(本当に、手指が動く日がくるんだろうか?もしかして、二度とうごかないんじゃ?)
不安を抱え、おまけに、たまにリハビリルームへ行く以外は、病室に籠りっ放し。
精神衛生に良くなかった。
自分でも気づかないうちに、俺は短期間で、ある面において、とんでもなくネガティブになっていたのだ。
どういうことかというと、俺は以前の仕事で、酷い目に遭わされていた人物がいた。
ちなみに、ソイツには、しっかりケジメをつけている。
そりゃもう、YouTubeのスッキリ動画のネタに出来るくらい。
だから、「済んだ話」のはずなのだが、一時、ダークサイドに落ち込んだ俺は、「復讐」が突然足りなくなり、さらなる追い打ちをかけようと模索しだしたのだ。
消灯時間を過ぎても、左手でスマホを操作し、悶々としていた。
(暗い。暗すぎる。うーん、今思い返しても、まともじゃなかったな・・。)
ちなみに、体が回復するにつれ、精神は均衡を取り戻し、今では、すっかりダークサイドを抜け出している。
スマホで自分の作った小説の手直しをするなど、「作業」を作ったことも、効果的だったろう。
身動きがままならず、制約だらけで部屋に閉じこもる生活が、いかに精神を蝕んで、思考をネガティブにしてしまうか。
俺は、ちょっとだけ、その一端に触れたのだ。
教訓:病室生活は、知らず知らずにストレスを溜めやすく、体が言うことを聞かないという現実と併せ、人の心を簡単に腐らせることがある。