レベルマイナス状態から始めるリハビリ生活!なんか、見通しが暗くて、いろいろ諦めなくちゃいけないっぽいんですけど、そうなんですかあああ!?
俺の入院生活は3か月続いた。かかった入院費用は、100万以上。だが、これでもアメリカなんかと比べたら、まだ安く済んだ方だろう。
あっちだったら、軽く数千万円かかったんじゃなかろうか?
(保険入ってて、良かった・・。)
それを思うと、日本の医療保険制度は良く整備されているので、俺は素直に日本国に感謝する。
ところで、入院してすぐに気付いたことがある。
それは、医療スタッフの主力である、看護師達が若いことだ。
俺は、リーマンショックで仕事を失ってから、地元に帰るまで、約10年間、都市部で介護の仕事をしていた。
介護現場は、看護師を含めて、オッサンか、おばさんばっかりだったから、若い人間と接することが多いだけで新鮮な気分だ。
地元を出る前、まだまだガキだった頃、病院スタッフといえば、当然、皆年上だった。
それが、久方ぶりに病院の世話になってみると、年下ばっかりで「若いなあ」と感じる。
それだけ、俺がオッサンになったということなのだ。
自然と、バニング大尉の、あのセリフが出てくる。
「俺もロートルってことか・・。」
そして、俺以外に入院している方々といえば、まあ見事に棺に片足突っ込んだような、爺さん婆さんだらけ。
と、なると。
現役世代で入院していることが恥ずかしくなってくるのだ。
生活習慣病だから、なおさらだ。皆、一生懸命働いてるってのに・・。
しかも、防げたはずの病気で、膨れ上がる一方の社会保障費を、さらに膨らましてしまった。
だから、今回の病気は「仕方ない」じゃなくて、「やらかし」だ。
少なくとも、俺の中では。
退院したら、一生懸命働いて、俺のために無駄に失った税金を、国に返さねば、と思う。
そのためにも、リハビリを頑張らなければならない。
が、今のところ右半身はロクに動かないし、呂律も回らない状態だ。
レベル1どころか、マイナス10くらいだろう。
ネットで調べたところによれば、発症から3カ月がリハビリの「ゴールデンタイム」らしい。
その間に、自分の体をどこまで回復できるのかが勝負だ。
そして体調が安定したなら、できるだけ早くリハビリを開始した方がいいらしい。
んで、体調の方はというと、2、3日は様態急変の可能性があるのか、携帯式の心電図やら血圧計やら、点滴やらが繋ぎっ放しになっていた。おまけに右手には、腕が妙な形にならないようにと、三角巾である。
最初は、ナースステーションに一番近い個室に入っていたが、この部屋、窓が無い。
3日目あたりで大部屋に移されて、外が見れるようになった。
これだけで随分と気分が上向く。
大部屋に移された俺は、リハビリの開始を焦っていた。
3カ月という期間は、あっという間だと思っていたからだ。
俺は、看護師の目を盗んで、勝手にベッドから歩こうとしてみる。
ベッドのすぐそばの、テレビ台まで、伝い歩きで、右足を引きずりながら。
だが、行きはよいよい、帰りはなんとやら。
振り返った俺は、あっさりバランスを崩し、転倒しかかった。かろうじてベッドに倒れ込む。
当然、物音で看護師にばれてしまう。
「余計な仕事ふやしてんじゃねえよ。変なことして、かえってリハビリに悪影響が出ても、知らねえからな!このハゲ!」
意訳すると、概ね上記のような苦言を看護師に貰い、おとなしくリハビリが開始されるのを待つことにする。
(ちなみに、神経質な俺は、わずか一晩で大部屋をリタイア。自腹切って個室を所望した。)
介護の仕事をしてから、5年目くらいで介護福祉士の資格をとっていた。介護は万年人手不足だから、仕事が無い、ということだけは無くなったつもりだった。これで、「食いっぱぐれることだけは無い」。それは、俺の人生設計の中で、唯一とも言える安心材料だったのに。
だが、この体では、リハビリが上手く行っても、介護の仕事に就くには難しい。
「固い」と思ってた線が、急に不確かになってしまった。
(はあ、この10年、けっこうな部分が無駄になったなあ。しゃあない。刑務所に入ってたよりは良いと考えよう。)
まあ、嘆いていても、仕方無い。
まずは、リハビリの目標線を定めるとしよう。
とにかく、とにかく、とーにーかーく、なにが何でも要介護状態で退院することは避けたい!
年老いた母と、親一人、子一人。そんな我が家に、要介護状態で帰れば、親子共倒れは必至!!
この上無い親不孝だ。
だから、なんとか、自力で歩いたり、身の回りのことが出来るようになりたい。
これがマストだ!!!
その次。働くための条件を整えるのだ。
まず、車の運転。田舎だから、働くためにも、行動範囲を広げるためにも、これも必須のスキル。
それにタイピング。今の仕事に必要だ。
そして、出来ることなら、走れるようになりたい!
走ることは、俺にとって結構重要。
基本的に俺の人生は受け身だ。仕事で人に使われる立場ってことさね。
だが、マラソンやトレイルランニング、登山は自分で主体的に、成果を積み上げることが出来る世界なんだよね。
つまり主役になれるってこと。
それに、見通しの良い原野に、どこまでも続く1本道。そこを走れるだけで
「生まれて来てよかった!こういうとこ走るために生きてきたんだよ!」
って気分になれる。
だから、贅沢かもしれないが、走れるようになりたいと、俺はリハビリの最初から希望していた。
だが、実際にリハビリが始まってみると、俺は担当のとある理学療法士に、事実上走るのは諦めるように諭されたのだ。
彼は気まずそうに、
この状態から、走れるまでの回復は難しいこと。
走る目的でのリハビリは、保険適用外で、自費になることもあり、現実的な目標としてお勧めしない、と俺に告げた。
それを聞いた時は、ショックだった。
だが俺は、内心の衝撃を押し殺して、即座に頭を切り替えた。
仕方ない。一生走れないとしても、せめて自立して働けることを目指そう、と。
だが。実際のところ、その3か月後の俺は、体の軸がブレブレの、くそダサフォームではあるが、走れている!!
理学療法士の見立てを超える回復をしたってことだ。
どーだ、スゲエだろ。
教訓:リハビリの限界は自分で決めるのだ!