救急搬送
「あんた、変じゃない?」
母が訝しげに俺に問いかけたのは、いつもより少し早めの夕食を食べ始めた直後だった。
母は俺の異変にあっさり気付いていた。だが、当の俺は、そう言われるまで自分自身に起きた危険な変化に気づいていなかった。いや、認めることが出来なかったというべきか。
母が違和感をもったのは、二人きりの夕食。その最初に、俺が野菜スープ(ちなみに昨日俺が作った作り置きだ)を食べようとしたときだ。
俺は右手に手にしたスプーンで、具の鶏肉をすくって、口元に運ぶ・・ことができなかったのだ。
なぜかスプーンを、皿からほんの少し上までしか持ち上げることができない。どうしてもできない。
俺は2回ほどスプーンを口元に運ぼうとして、そして失敗した。自分の状態に多少混乱していたと思う。そして思わず、今度は口の方を皿から動かないスプーンに近づけようとしたのだ。
そして、口から涎が垂れた。
母から見れば、それはもう異様な光景だっただろう。「変」どころでは無い。
「手を持ち上げることができないの?」
母が再び問いかけた。
「・・うん。」
返答を聞くと、母は冷静に告げた。
「お医者さんに電話するね。」
俺は食事をあきらめて母を待つ。
しばらくすると電話をする間、側を離れていた母が戻ってきた。
「市民病院に電話したんだけど、急ぐ必要があるから救急車を手配するって。」
「・・わかったよ。」
客観的に見て、救急車を呼ぶくらいの異変が俺の体に起きているということだ。
母は日頃からEテレの健康関連の番組をよく見ていた。だから俺の異変にピン、と来るものがあったのだろう。
それに、俺の高血圧と酒量が多いのを心配していたから、万が一の事を考えていたのかもしれない。
そのためか、母が俺の異変に気づいてからの対応はパニックにもならず、落ち着いて淡々としたものだった。
それに、母は家族を急遽病院送りにしたり、救急搬送することに「慣れていた」。
食卓に大人しく座っていた俺だが、救急搬送が決まるとよせばいいのに2階の自室に上がった。
間抜けにも、まだ病院から直ぐに帰れると思っていたのだ。
だから財布と、バッグと、寒いから(3月11日のことだった。)ウインドブレーカーを用意しようと思っていた。
馬鹿げたことだった。安静にして救急車を待つべきだ。ここで下手に動いて血圧を上げ、症状を悪化させたかもしれない。
それはともかくウインドブレーカーの上は普段通りに着れた俺だが、下を履こうとした時、異変が起きた。
左脚からウインドブレーカーのズボンを履いて、次に右脚も履こうとする。
なんでもない、日常の動作。
だが既に右脚は自由に動かすことが出来なくなっていた。
右脚が上がらない。どうしても。
俺はそれでも、もがいた。座り込んで何とか右脚をズボンに入れようとする。
もどかしく右脚を動かすが、まるで言う事をきかない。
仕方なくズボンをあきらめた俺は、慎重に階段を降りて救急隊を待つことにする。
(靴も右脚については履けなかった。)
ちなみに俺の住所はまあまあの田舎だ。
それでも救急隊は、確か15分くらいで到着した。
救急隊の隊員達は慣れた風だった。
彼らは俺に自分の氏名、今日は何日か?などを尋ね、次に目にペンライトを当てて、反応を見る。
一通り確認作業を終えると、彼らのうち一人がどこかに連絡を取るのが聞こえた。
「45歳の男性。脳梗塞の疑い。」
薄々とは感じていた。しかし、俺はその一言で、はっきりと自分の現状を突き付けられた。
俺は脳梗塞になったのだ。