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県高坂を下って行くと

 県高坂(けんこうざか)を下って行くと、少し先に、憧れの、同級生の麦子さんが秋の終わりの日ざしをあびてゆっくりと歩いていた。急ぎ足で追いついて、「こんにちは」と米吉君は声をかけた。土曜日の課外授業後だったので、「午後から部活はないの?」と麦子さんに訊いた。「きょうは、名古屋で小鼓の稽古があるから、剣道部は、自己都合でお休み」と答えた。剣道をする麦子さんを見たことはない。けれども、この夏休みに高校の剣道場で壁にはめ込んだ大きな鏡の前で、小さいころから高一の初めまでバレエを習っていた麦子さんが剣道着のままY字のポーズをとっているのは偶々見た。とてもきれいで眩しかった。二人は、東岡崎駅に向かって並んで坂を歩いた。

「あのね、少し聞いてほしいことがあるの」と麦子さんが言った。「うん」と言いながら、やったぁと米吉君は思った。


 麦子さんに連れられて、岡ビル百貨店3階の「きっちんコモ」にやって来ると、昼食時にはまだ少し早いのか店内には三人組のおばあさんと英語で会話する二人のブロンドの若い女性がいて、それぞれのテーブルで話に夢中になっている。米吉君は、麦子さんとふたりきりになれた気がする。


 ……Catherine、は、捨てられた猫の赤ちゃんを見つけるとそのままにしておけずよく拾ってきて面倒を見て大切に育てていました、そして、殺していたことも、私、は、知っていました、Catherine、は、六つ年上の親友です、名古屋の心理療法のサークルで知り合いました、いつも、と言うのは、夏でも、お気に入りのCOACHの革の手袋をしていました、Catherine、は、アメリカで生まれた、でも、れっきとした日本人です、Catherine、というのも本当の彼女の名前、彼女のミドルネームです、Catherine、は、なかなか友だちができない人でしたが、それでもほんのわずかな本当に親しく心を許した友だちには、自分のことを、Cat、って呼んでと言っていました、私、も、Cat、って呼んでいました、気がつくと周りは突然新しい緑があふれていて、ああ、もうこんな季節だと、あわてるような気分でいた時に、Cat、が亡くなりました、初め、混乱した気持ちをどうしたらよいのか分かりませんでした、やりきれない思いが胸にいっぱいでした、しかし、意外にもひどく落ち込むことはありませんでした、と言うのも、人が死ぬということは、そこにある、身近なごく自然なことのように思えてきたからです、彼女を失った悲しみは悲しみとして海のような涙になりました、しかし、彼女の死を日常の延長として受け入れることができたのです、生と死という永遠の循環の中に、Cat、の存在も、ちっぽけな、私、という存在も確かな位置を間違いなく与えられているはずだからです、そして、生きている感覚と彼女の、私、に対する愛情の深さを今さらに思い知らされました、私、がどれだけ彼女を拠り所にしていたかもです、あれから一年が経とうとしていて、私、の日常はだいぶん落ち着いてきました、今では亡くなった彼女が、私、に優しく寄り添ってくれているようで、安らぎさえ覚えます、死は抵抗しようとすると恐ろしいものだけれども、受け入れれば、見守ってくれるものかもしれません、死が嫌でも潜在する生、生からしか始まらない死、その不思議を思います、彼女を通して、私、は生きる意味を考えさせられています、そして、この頃、日々、私、の中で深まっていくのは、私、がこうして生きているのも、私、を支えてくれた人たちがいたからだという思いです、もしかするとこんな当たり前で簡単なことも、彼女の死がなかったら、思いつかなかったのかもしれません、かなしく、やっぱり、だめな人間だ、私。だから、遅くなってごめんなさい、今になって、やっと、たくさんの愛情で私を包んでくれた人たちのことを感謝の気持ちで思い出しています、……


 他愛のない話をしながら、麦子さんと同じカニコロスパゲティを米吉君も食べた。コーヒーを頼んだ。麦子さんは、米吉君が知っているいつもの麦子さんとは違う感じだ。

 

 麦子さんは、コーヒーに少し口をつけて、カップを戻した。


「あのね、中学校のときの友だちからとても長い手紙が届いた。

「便箋の上に大切なものを大事に丁寧に置くように書いた手紙。友だちは、『調子がいい時は、少しずつ働きながら元気にやっています、自分の心とつき合いながらの生活なので、通信制高校での勉強は自分に合っています』と書いてあった。

「その友だちは、中学の時、途中から教室に入りづらくなってしまって、保健室にいることが多くなった。

「私は、同じクラスで学級委員だったから、時々保健室をのぞき、テスト前にノートやプリントを見せてあげた。部活が終わって、まだその友だちが学校に、保健室に、残っていたら、少し遠回りだったけれど、一緒に帰った。薄墨をさらにうっすら刷いたような顔色の女の子だった。じっと遠くを見るような目をしていた。私には分からない深い何かを考えているんだろうなという気がしていた。

「私は、友だちが時々する、まとまりがあるような、ないような話を聞いた。そして、友だちが時々小さく笑うことがあって、私も一緒に笑った。

「友だちがことばに詰まったときは、私は、友だちが、気が楽になりそうなことばをつないだ。

「友だちは、季節の変化というか、季節の恵みというか、そういうものに拒まれて、固くなった木の実のような印象の子だった。

「私は、少なくともその子の前では、拒むことを拒みたい、という思いにさせられた。

「ね、分かってもらえる?

「その子の親友が一年半くらい前に亡くなった」。


「あのね、私も幼稚園の時に仲良しだった友だちを亡くした。その子は、近所の横断歩道を渡っていただけなのに……。お葬式に行って、わんわん泣いた。

「身近だった人の死は、表現しようもなく胸に痛い……。悲しみは、時間が経ったからといって遠ざかるものではないの、ね。

「一日のうちにひとりでに何度もその人のこと思い出している。その人が死んだ後、その人のことを思わずに暮らした日は、そう言えば、一日もなかった。そんなことに気づく。不思議なことに生きている人のことは、時々意識のどこかに埋もれてしまうのに。死んだ人は、いつも意識の、すぐそこに、いる。

「ね、分かる?」


「あのね、私の友だちも同じだろうなって思う。ひとりで、繰り返し何度も思い出している、きっと。

「私の友だちの、亡くなった親友は、語学の才能に恵まれていて、いくつかのヨーロッパ語を話せ、読めた。高校は入学したけれども、教室の人間関係が少しずつ深まり決まる5月になると学校に行けなくなって、4回一年生をやって、退学した。その人は、私たちより六つ年上でとても難しい議論もするのだけれども、突然幼い女の子みたいになって、鉛筆の持ち方まで幼くなって、ひとりごとを言いながら、小さい子が描くような絵を描くこともあった。

「その人は、人懐っこく、男女を問わずに傍らにいてくれる人に好意を持ちやすい人で、そして、好きになった人が持っているものが一度ほしいと思うと、それが直接手に触れた途端に自分のものになってしまう。それはどうにもならなかったって。自分のそういうところは自分でも気づいていたのに。……私の友だちは、そういう人の親友だった」。


「あのね、その親友がある時アメリカの作家のJ.D.サリンジャーの話をしたの、ね。彼女はまわりの人たちの誰についても決して感謝のことばは口にしても、悪口を言うことがなかった。

「けれども、小説の登場人物にはひどく悪態をつく人だったんだ。彼女は、サリンジャーには全般的に批判的だった。『サリンジャーの書く人物には他者性とか社会性とか政治性とか、そういう大切なものが欠けている。サリンジャーが過酷な経験を重ねた人だから、そうなってしまったのかもしれない。でも、最初から何にでも逃げ腰だと思う』って言った。

「でも、ある女の子が主人公の小説について話した時は、いつもと違った。深刻に、悲しそうに話した。

「そして、その女の子のボーイフレンドがデートの時に、自分だけサラダを注文したというのをひどくおかしがって、からだを揺すって笑った。

「それから、気に入ったことばがあると言って、本を読んで聞かせてくれた。このことを友だちはとても大切なものとして覚えている。

「ただ、私の友だちは、親友がサリンジャーの話をしてくれた頃、とても調子が悪くて、ちゃんとは聞けなかった。でも、とにかく、その時のことがとても印象的で気になっていて、親友が亡くなった後で、いろいろ調べて、その小説が‘Franny and Zooey’の‘Franny’だと探しあてた。私の友だちは、親友のことを思い出しながら、その短い小説を英語の単語を丁寧に調べながら読んだ。

「それで、なんでサラダをボーイフレンドだけが注文したことがおかしかったかも分かったし、その時親友が読み上げたことばにも思いあたった。

「――“I'm just sick of ego, ego, ego. My own and everybody else's. I'm sick of everybody that wants to get somewhere, do something distinguished and all, be somebody interesting. It's disgusting - it is, it is.”

「『Frannyは絶望的な気分でいるみたいだけど、本当は絶望的だということを感じさせてくれる日常が好きで、依存しているみたい』という小説に出てくる人物に限っての親友の、悪態も思い出した。けれども、いつもの辛辣な口調ではなかった。それから、『“terribly, fascinating, syntaxy droppings”、すばらしく巧みな人たらしのことばの(ふん)、という表現は、ことばの本質をついていると思う。人間はいつもことばを自分が一回りも二回りも大きく見えるように使う。そして、そうやって使われた他人のことばを聞いてうまいことを言うと感心して、それうを自分のことばにする。ことばのやり取りって、結局はその繰り返し。

「『ことばのフンを吐き出し合いながら、かき集めながら、人間は生きている。人間は、ことばのフンコロガシだ……』と親友が苦々しく笑ったことも私の友だちは思い出した。

「I'm just sick of ego, ego, ego. 私もそういうふうに思うことがある。

「でも、ね、egoって何?とも思う。

「私の友だちからの手紙を読んだ後、私も名古屋の丸善に行って‘Franny and Zooey’を買って来た。私の友だちや友だちの親友はどういう気持ちで読んだんだろうって思いながら、‘Franny ’を読んだ。

「Laneは、私だなって思った。私は、日常的に誰かに対して、きっとLaneみたいになっている。私がLaneのように友だちや友だちの親友のような人たちを追いつめていなかったとは言えないな。私だって、ことばのフンコロガシに過ぎない。そう思って、とても悲しくなった」。


「あのね、私の友だちは、まだ自分の心と向かい合って行かなくてはならず、それは、簡単なことではないの、ね。すべてが自然にうまく行く時もあるけれども、もがいても身動きがならない時もあるんだ。そういう時、私の友だちは『うんと休め。うんと眠れ』って自分に言う。

「でも、『諦めない。諦めたら終わる。終わらせるわけにいかない』とも自分に言い聞かせるって。

「私の友だちには私たちの何でもない単調で平坦な日常が、段差がめちゃくちゃな、不揃いの階段みたい。私の友だちは、その階段を挫けずに一段一段上るように毎日を生きている……とても立派だと心の底から思う。

「上から目線で言っているんじゃないよ。本当にそう思っている。

「親友が亡くなってから、私の友だちは、これまで自分を支えてくれた人たちの存在に気づき、感謝の思いを深めているんだって。だから、『私は孤独ではありません』と書いてあった。そして、私のことも思い出して、とても長い手紙をくれた。手紙の終わりには私にとても感謝していると書いてあった。私のこと、いい人だって。頭がよくて、心づかいがこまやかで優しくて、ずっと尊敬していた、ずっと友だちでいてほしいって。私は、私の友だちが言うようないい人だったかなぁ……。……拒むことを拒む、なんてできていない。毎日を狭い心で窮屈に生きている。……あの頃、私は、あの子の友だちだったのかな……」。


 麦子さんは、うつむいて小さな声で泣いた。麦子さんの制服に涙がこぼれた。米吉君は、「麦子さん」と言ったけれども、自分の気持ちについてくることばがない。麦子さんの肩にただそっと手を置いた。


文中の"droppings"は、女の子の読んだ本では、イタリック体です。

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