第八章
「おい、起きろよ。どうなっているのだよ。おいったら!」
競羅は、翔子と恭子二人の身体を、それぞれ、ゆすぶった。二人は、一応意識を取りもどしたが、ただ、それだけである。まともに受け答えできる状況ではなかった。
その競羅に向かって、困ったような御雪の声がした。
「どんなに、お探しいたしましても、天美ちゃんのお姿が見当たりません!」
「よく探したのかい?」
「さようで御座います。トイレ、お風呂場等、一通りの場所を捜索いたしましたが!」
御雪の言葉通り、天美の姿は、室内のどの部屋にも見られなかった。
「わかった、こっちも探すよ」
競羅もそう言って、天美を探し始めたが、やはり、見つからなかった。
「本当にどこに行ったのだろう。まさか、タンスの中に隠れているわけないよね」
競羅は興奮した様子で家捜しを続けていた。
「競羅さん!」
ここで、御雪が、とがめるようなトーンで声を上げた。
「何だよ?」
「これ以上の捜索活動は、おやめになった方がよろしいかと。手袋をはめていらっしゃいませんので、あちこちに御指紋が」
「指紋ぐらいどうでもいいだろ」
「いいえ、なりません!」
御雪が声を上げた。彼女が、このような声を出すのは非常に珍しいことである。競羅も、その声に圧倒され、行動の手が止まった。その競羅に向かって、御雪は言葉を続けた。
「どうか、落ち着きを取り戻していただけませんか。競羅さんが、これ以上、現場をさわられますと、今後の警察の捜査に響きます」
「しかしね」
「競羅さん。情況を、よくお考え願えますか。天美ちゃんが、かくれんぼ、をしていらっしゃるように感じられますか」
「あんたね、それぐらいなことぐらいは、わかるよ」
「でしたら、今以上の捜索は警察に任せませんと。かような部屋の様子、とても、尋常では御座いません。わたくしの見ましたところ、天美ちゃんは間違いなく、何者かの手によって拉致をされた、と存じます」
「けどね、あの子には、あんたも知っての通り能力があるのだよ。連れ去られるということは考えられないだろ」
「果たして、さようで御座いましょうか」
「では、あんたは、あくまで、さらわれたと」
「さようの理由を説明する前に、まず、あたりを、しっかりと観察してもらえますか?」
「さっきから見ているけどね、別におかしなところはないよ」
「何をおっしゃられるのですか。二人の女性が倒れていらっしゃるのに」
「あっ! こいつらか。あんたこそ、よく見な、こいつら二人ともビールが入ったコップを前にしているだろ。酔っぱらって寝たのだよ」
「お二方、そろわれてですか?」
「それだけ仕事がきつかったのだろ
「競羅さん。少しはまじめになられた方が!」
「ああ、確かに、変なことを言っている場合ではないね。クスリか!」
「さようで御座います。睡眠薬のたぐいかと存じます」
「しかしね、あの子は必要以上に用心深いよ。この二人はともかく、あの子が、そんな簡単にクスリなんかに引っかかるかね」
「わたくしも、さようには思われますけど、なにぶん自宅ですから」
「油断をしたと言いたいのだろ。確かに自分の家ということで、油断をしたという可能性は否定できないね。でも、いつクスリを?」
「そこまでは、わたくしは存じ上げません」
「わからないか。けどね、クスリとは決めつけられないね。ガスという可能性もあるし」
「ガスですか」
「ああ、ないとは言い切れないだろ」
「ですが、さような匂いは、まったく、いたしませんが」
「きっと無味無臭のガスなのだろ」
「窓も閉まっておりますね。開けた形跡は御座いません」
「ということは、即揮発性だね。まだ効果があったら、こっちもバタンキューだろ。しかし、待てよ、窓は本当に閉まっているのかい」
「いかような意味でしょうか?」
「いや、あの子が、窓から連れ去られた、ということも考えられるだろ」
「大きなガラスは、はめ殺し仕様ですし、小さな窓は、すべてが中からカギが掛けられておりますので、さようなことは御座いませんが」
「となると、さらった奴は、もう一台のエレベーターを使ったか、けどね、あれらもまた、下に降りてきていて、中には誰も乗っていなかったよ。となると階段とか、あっ!」
ここで、競羅は思わず声をあげた。その言葉に御雪は反応した。
「いかがなさいましたか」
「あんた、一階のナル坊に連絡が取れるか!」
「そんなこと急に申されましても」
「どうしても連絡が必要なのだよ。まだ、間に合うかもしれないだろ。一階を封鎖すれば、あの子が連れ出されるのを防げるかもしれないだろ!」
「とは、言いましても、番号を存じ上げませんし」
「いや、守衛だろ。この建物の管理室に連絡をするのだよ。あんたの携帯はすぐれものだろ。すぐに、その住所を調べて、あっ、そうか」
ここで、競羅の言葉が止まった。
「いかがいたしましたか」
御雪の声かけより早く、競羅は動いた。彼女は思い出したように台所に向かうと、すぐさま次の行動を取っていた。
その行動とは、競羅の持っている受話器から声がした。
「いかがなさいましたか」
衛藤君の声だ。今回はかしこまった声である。その声に向かって競羅は言った。
「ナル坊か。今、あの子が前を通らなかったか」
「その声は悪魔ちゃんですね。なぜ、あなたが?」
「だから、この部屋の主である、あの子の姿が見えないのだよ」
「出かけているのでしょう」
「だったら、なおさら、あんたの前を通るだろ。それよりだいたい、あんた、何を言っているのだよ。あの子がいるはずだから、こっちは訪ねることにしたのだろ」
「そうだけど、おかしいなあ。かくれんぼをしているのじゃないの」
「呼び鈴を押しても返事がなかったのだよ! だから、暗証番号を打ち込んで中を開けたのだけど、一緒にいた二人の婦警が気を失っていてね。これは事件だよ」
「あいつらが倒れていたって!」
衛藤の言葉も崩れた。いつもの、何々ちゃん、って言っている余裕がなくなったのだ。
「ああ、だから、連れ去られた可能性が高いね。あの子が通らなかったとしたら、大きなトランクを持った人物が通らなかったかい!」
「いや、誰も前を通っていないけど」
「正面だけではないよ。他に出入口は?」
「裏口があるけど」
「すぐに、そっちを見てくれないか」
「でも、あそこは非常用で住民が勝手に・・」
「見てこいって、言っているだろ!」
競羅の剣幕に、
「わかった、今から、見てくるさ」
衛藤はそう言うとあわてて見にいった。
その通話をしている競羅に向かって、御雪が声をかけてきた。
「競羅さん。さすがですね」
「ああ、高級マンションだけあって、守衛所にすぐ、連絡がとれるようになっているよ」
「しかし、よくお考えが浮かばれましたね」
「この間、あの子、こう言っていただろ。内線を使って呼び出したって。前もそういうことがあってね。そのときのことを思い出したのだよ」
「さようで御座いましたか」
「しかし、今回は参ったね。後手ばっかりひいて」
「さようで御座いますね。わたくしとしても、かような・・」
その御雪の言葉をさえぎるように、競羅は次の声を、
「ちょいと静かにしてくれないかな。どうも、ナル坊の様子が」
その言葉通り、衛藤の対応は普通ではなかった。息を切らしたゼイゼイという声が、
「どうしたのだよ」
「やられました。今、裏口前の道路から、白いワゴン車が発車したところです。慌てて追いかけようとしましたが、す、すみません」
「つまり、裏口からさらわれたということか」
「そ、そうです。う、裏口が開いていまして、ワゴン車はクリーニング屋のものです。大きく屋号が書かれていましたから。でも、タイミング的に怪しいですよね」
「ああ、そうだよ。きっとその車だよ。まったく、また後手かよ!」
競羅は受話器をつかみながら怒鳴った。
その様子を、御雪はくちびるをかみしめながら見つめていた。
衛藤守衛の通報を受けて、地元の京港署署員がかけつけてきた。そして、部屋に倒れている二人の同僚を見つけると、あらためて驚きの目つきをした。
二時間後、御雪と競羅は、御雪の事務所で話し合っていた。二人とも、警視庁の刑事たちに現場の情報を事細かく聞かれ、解放されたのが二時間後であったからだ。
紅茶を手にしながら、御雪が口を開いた。
「十条警部、大丈夫でしょうか。かなり、頭に血が上っておられました」
「ああ、あの子と、ちょいとした因縁があってね」
「いかようなことでしょうか?」
「それかい、あの子に命を救ってもらったことがあったのだよ」
「警察の方が、お命を?」
「あんただって、二、三度、いや、もっと多いか。あの子に助けてもらった口だろ」
「確かにさようで御座いますが」
御雪は不安そうな顔をしていた。その態度が気になったのか競羅は尋ねた。
「おや、まだ何か言いたそうだね」
「十条警部は、天美ちゃんのお力をご存知なのでしょうか?」
その質問に、一瞬、競羅は戸惑ったが、すぐに否定の言葉を、
「そうか、その心配があったか。けどね、さすがに、そこまでは知らないはずだよ。こっちは、一度もそれらしきことは言っていないからね。あの子だって言うわけないだろ」
「さようだとよろしいのですが」
「大丈夫だよ。わかっていたら、間違いなく態度に現れているよ。それよりも警部、質問の感じから、今回の事件、生首事件との関連性を疑っているね」
「わたくしも、さような感じがいたします。十条警部はカンが鋭いお方ですから」
「何にしても、あんたの、ささいな予感が当たったことが間違いないね。生首事件を起こしたのも、あの子をマンションに足止めするのが理由、だと判明したのだからね。それよりも、あの子がさらわれた話に戻るけど、何かわかったことがあるのかい?」
「わたくしも、警察に留め置かれましたので、足取りの捜査はできておりません」
「ああ、こっちもだよ、日月さんがいなかったから、そう面倒ではなかったけどね」
「さようで御座いますね。彼女は職務に、人一倍、熱心なお方ですから。今回の場合ですと、事件の発端から正確にお話をいたしませんと、帰してもらえなかったでしょうね」
「ああ、そうだよ。本当にいなくてよかったよ。おっと、それよりも事件のことに話を戻さないと、あんたの方は、ちゃっかり情報は得ているだろ」
「ある程度はですが」
「だったら、教えてくれないかい。あんただって隠す気はないのだろ。だから、こうして、こっちを呼び出しているのだし」
競羅の言葉に御雪は少し考えるしぐさをしたが、すぐに、にっこり微笑むと口を開いた。
「さようで御座いますね。そのための話し合いですし。では、ご説明の前に、いくつか質問を、競羅さん、まず、お尋ねをいたしますが、今回、天美ちゃんを拉致なさった犯人は、どなた、だと思われますでしょうか?」
「どなただって!、そんなの、どこかの組織に決まっているだろ。あの三人組の誰かが属している組織が、今回の計画を実行したのだよ」
「ですが、現場にはもみあったり、あらされたりされた痕跡は御座いませんでした。状況から見ましても、天美ちゃんを拉致なさった人物は一人です」
「一人でも組織の人間ということだよ。こういう荒っぽいことをことを、すみやかに行うのだから、それなりの人間が派遣されたのだろ。あっというまに三人をクスリかガスを使って眠らせたのだから、かなりの手練れだよ」
「さようで御座いますか。でしたら、お次のご質問をさせていただきます。天美ちゃんを拉致なさった人物は、建物の中にいかような方法で入られたのでしょうか。競羅さんも、ご承知の通り、玄関には直前までわたくしたちがおりました」
「おそらく、こっちが来るまでに、マンション内に入っていたのだろうね。それも、あの子の住んでいる階近くに、だから、すばやく、さらうことができたのだろ」
「怪しい人物が建物内にですか」
「いや、怪しくない格好をしていたと思うよ。おそらく、住民や警備の人間たちに怪しまれないように、一見、会社の営業マンに見える背広姿をしているはずだから。ただし、背広の下に隠されているのは、人さらいに使う道具とか鍛え抜かれた肉体だけどね」
「確かに、さような可能性も御座いますね」
「ああ、今更、探偵のあんたに教示する言葉じゃないけどね」
「でしたら、次の質問に入らせていただきます。拉致犯人は、いかような方法で、天美ちゃんの部屋に入られたのでしょうか? 中に入られる方法は三種類御座います。①部屋の前でドアホンを押しまして、中の方に開けてもらいますか、②お持ちのカードキーを差し込まれますか、③玄関で警備の方から、お部屋の入居許可をいただきましたあと、ドアに設置して御座います機械に、六ケタの暗証番号を打ち込まれますか、の三つの方法ですが。わたくしたちは、三番目の暗証番号で入ることができましたが」
「暗証番号はともかく、カードは偽造をしたのだろ」
「ここ、港豪苑は、最高のセキュリティーシステムを、完備されてますことで有名な場所です。さすがに、さようなことは不可能だと存じますが」
「けどね、奴らは、こういうことに手慣れたものたちだよ。きっと、玄関のガラス扉は、住民のカードを何かの形で入手したのだろうね。玄関は共通だから、入ることができたと。あの子の部屋も、それを、ちょいと解析して造ったのではないのかい」
「解析ですか。さすがに、さようなことは無理です!」
御雪は確信を持っているのか、否定度の強い口調で答えた。
「無理だと、はっきりと言うね」
「さようで御座います。カードキーを容易に偽造できますようなら、たとえは悪いですけど、一流ホテルに宿泊なさっておられる政府の要人の方々を、いとも簡単に殺害、もしくは拉致することができます。さような行動をなさろうと思えば、自らもホテルの客となられまして、カードキーを手に入れればよろしいのですから」
「確かに言われて見るとそうだね。偽造は無理か。となると暗証番号がもれたか」
「まさか、さようなことは御座いませんでしょう」
「わからないね、ただの数字六ケタだからね。こっちでも知っていたし。そう言えば、あの二人の婦警も勝手に入りびたっていただろ。きっと番号を知っているね。そのうち一人は、お調子者ぽい感じの奴だし、そこらあたりから、もれた可能性はあるね」
「さようで御座いますか。では、一歩おゆずりいたしまして、もれたといたしましょう。ですが競羅さん、お忘れになりましたか。暗証番号は玄関のガラス扉をカードキーで開閉されただけでは使用ができませんことを。先ほど、プレートのランプがともっておりましたのは、警備の方から、お部屋の入居許可をいただいたからです。さて、今回の拉致犯人ですが、果たして、さようなところまでできたでしょうか?」
「そうだったよ。となると、直接、呼び鈴を押したのだろ」
「呼び鈴、つまり、ドアホンで呼び出したのですね」
「ああ、呼び鈴がなったら、まずは誰が来たか、部屋のカメラで確認をするだろ。それで、知っている人間だ、とわかったら開けるのではないのかい」
「では、天美ちゃんのお顔見知りが拉致犯人ということですね!」
御雪のトーンがあがった。何かフラグが入ったのか。
「ああ、そうだよ。よく考えたら、それが一番可能性が高いよ。あの子をさらったときも、あの三人組の誰かが絡んでいたのだね」
競羅の言葉を、御雪は難しい表情をして考えていた。だが、すぐに首をふると、残念そうな口調で口を開いた。
「さような可能性は御座いません。天美ちゃんから、うかがいました、さような方々は当日、建物には出入りをされておりませんことが、警察の捜査でわかっております」
「それは確実かい、ああいうスパイのような連中は変装も得意だからね」
「数カ所の防犯カメラで確認をされたようです。すべて、身元が判明しております」
「となると、当日は無理だね。うーん、となると、どうやって中に?」
競羅はそう答えていたが、思いついたように声を出した。
「そうか、わかったよ。マンションの中に共犯者がいたのだよ。だから、玄関を開けることができるカードも簡単に手に入ったのだよ」
「つまり、競羅さんは、拉致犯人はマンションの中にいらっしゃると!」
「そうだよ、これだけのことをやるには共犯は必要だよ」
「となりますと、厄介なことになります。ご存知の通り、大金持ちが大多数です。政財界に顔のきかれる方が住んでいらっしゃいますし」
「ああ、バラバラ殺人の被害者のような、うさんくさい香港人も含めてね。だいたい、金を持っているからといって、まともな人物なのかい。より、怪しい奴らばっかりだよ。こんなこと、探偵のあんたに今更言う必要もないけどね」
「さようなことでは御座いません。港豪苑の個人宅の捜索は簡単には参りません。最低でも、裁判所の令状が必要となります。果たして、簡単に令状が降りますでしょうか」
「確かに、あんたの言う通り、捜索は簡単にはできないだろうね。裁判所も慎重になるからね。けどね、肝心の実行犯は、もう、あそこにはいないのだろ。あの子を連れ去る、という目的を果たしたのだからね」
「確かに、さようで御座いますね。では、次の質問に移らせていただきます。天美ちゃんを拉致なさった人物は、いかようにして港豪苑から出られたのでしょうか?」
「エレベーターと言いたいところだけど、さすがに、それはないね。待っていたとき、すべてのエレベーターが降りてきたけど、中には誰も乗っていなかったからね。ということで階段を使ったのだよ。だいたい、人に見られたくない行動をするのだから、中が見えるようなエレベーターより、階段を使うというのが犯罪者の心理というものだよ。実際もっと早く現場を見つけていれば、マンションを封鎖できたのだけどね」
くやしそうな顔をした競羅はそう説明をした。だが、御雪は首を振った。
「残念ですが、さような可能性は、まったく御座いません。報告が遅れましたが、あの時間帯ですか。警察の聞き込みによりますと、五人の子供たちが、階段でお遊びをしておりました。子供たちの証言によりますと、誰も通らなかったということです」
「それは本当なのかよ! 遊びに夢中になって、見落としということは?」
競羅は驚いて聞き返した。
「さようなことは、決して御座いません。五人とも口をそろえておりますので」
「そうかよ。でも階段って、そこ一カ所だけかい」
「さようで御座います。港豪苑の住居フロアは三階からですので、住民の移動方法は、ほとんどがエレベーターです」
「となると新たな謎が出てきたよ。あの子を連れた犯人は、どうやってワゴン車が止まっていた裏口に行ったのか?」
競羅トーンは低くなった。壁にぶち当たったからだ。
ところが、逆に御雪のトーンは高くなった。
「やはり、さような問題が今回の最大の謎ですね!」
その御雪の言葉に不愉快になったのか、競羅は文句を言った。
「何だよ。その謎解きをワクワクするような口ぶりは。やはり、探偵というか」
「実は裏口につきましては、二つほど新しい情報が入っています。まずは、衛藤守衛が追いかけようとなさった、クリーニング屋の白いワゴン車ですが、犯行時間の十五分ほど前から駐車をしていたことが、住民の方々の証言から得られております」
「十五分前、となると、あんたとマンションに入った時は、すでに止まっていたと」
「さようなことになります」
「そして、あのナル坊と話していた間もずっと!」
再び競羅の顔に怒りの赤みがさしてきた。
「さ、さようで御座いますね。競羅さん、落ち着きましょう」
「しかしね、あいつと下でくだらない話をしていたとき、上では、こんな大変なことが起こっていたと思うとね!」
「わたくしも、後悔をしております。なぜ、おかしな気配に気がつくことができなかったかと、いうことですが」
「しかし、終わったことだからね。これからのことを考えないと」
競羅は再び冷静を取り戻した。こういう事案に場数を踏んでいるのか。
「さようで御座います。今は早急に、天美ちゃんの行方を捜し出しますことが先決です」
「そうだね。それで、その怪しげな洗濯屋の車、素性はわかったのかい」
「残念ですが、警察の調べましたところ、さような屋号のクリーニング屋は、存在しないことが判明しました。当然、捜査本部といたしましても、クリーニング屋に扮装された車を天美ちゃんの拉致に使われたと判断して、その行方を追っています」
「だろうね、偽装としては手頃だからね。それで、行方の方も、まあ、わからないだろうねえ。わかっていたら、すでに、報告をしていると思うから」
「さ、さようで御座います」
「まあ、ここまでするのだから、相手は間違いなく、どこかの国の工作員だよ。本当にくやしいね。みすみす、あの子の身柄を取られてしまうなんて」
「では、競羅さんは拉致の実行者も工作員だと思われるのですね」
「そう考えるしかないだろ。そいつが、あの子の部屋に押し入って、やらかしたのだよ」
「ですが、裏口には、もう一つ、解決をしなければならない問題が御座います」
「それって、何だよ?」
「わたくしは、先ほど『裏口につきまして二つの報告が』と、申し上げました。実は裏口のドアのことですが、簡単には使用ができないようになっております」
「でも、使ったのだろ」
「さようで御座いますね。守衛の方だけが、あつかうことができます」
「本当に守衛だけかい?」
「さようで御座います。あくまでも、非常時や業者用の出入口ということですから、守衛室のリモコンで、パスワードを入れてロックを解除しなければ開閉ができないということです。逆に申しますと、個人的な用件でも、守衛の了承さえいただければ、いつでも使えるようにはなってはおりますが」
「つまり、守衛を何とかしない限り、裏口のドアは開かないということか」
「さようで御座います」
「それなら、答えは一つだよ。守衛が事件に絡んでいるね」
「では、競羅さんは守衛の方が、天美ちゃんの拉致に関係なさっておられると!」
競羅のその言葉に御雪は大きく反応した。
「ああ、守衛を仲間に引き入れれば、その問題は解決できるよ。たいていの人間は、お金しだいでは、職業倫理なんて忘れてしまうからね。そいつも買収されたのだよ」
「その方は衛藤氏でしょうか」
「いや違うよ。他の守衛だよ。ナル坊は、こっちと、ずっとしゃべっていたからね。待てよ、もしかしたら、その守衛は新たに容疑がかかった、見回りをしていたという!」
競羅は答えながら、大きく目を見開いた。
「さようで御座います! ついに、話はここまでたどりつきました!」
御雪は、ようやく物が完成した、というような表情をした。
「ああ、問題の守衛が、この事件まで絡んでいたとはね! しかし、あんた、さっきもそうだけど、なんか、解答を待ってました、というような口調だね」
競羅がにらむような口調で言うと同時に、御雪が頭をさげた。
「大変、申し訳御座いませんでした。今まで、肝心な事柄を報告いたしませんでしたが、捜査本部は天美ちゃんを拉致なさった人物は、マンション港豪苑の守衛、朽木主任という方向で捜査を開始いたしました」
「おい、もう、わかっていたのかよ」
「ですから、本当に申し訳ないと思っております。今までの経験からも、議論を深めませんと、競羅さんは納得をいたしませんし」
「ああ、そうかい。けどね、そいつは、あくまでも協力者だろ。裏口を開いただけの」
「先ほども申し上げましたように、天美ちゃんを拉致なさった人物は一人です。実際、朽木主任は事件のあとから、姿を見せておりませんし」
「いくら何でも守衛一人で、あの子を!」
競羅は最初はそう反論しかけたが、すぐに思い直した。
「いや別におかしくないか。何かの拍子で、暗証番号をつかめばいいわけだから、たとえ、番号は知らなくても、呼び鈴を押して、直接に呼び出す方法もあるね。知った顔の守衛なら、あの子も油断をするからね。ドアを開けたところにクスリを一噴き、きついクスリだったら、そこで気を失うからね。残りの二人も、それで気絶をさせたと」
「さようで御座います。一人で充分です。あらかじめ、天美ちゃんのお力を目前で確かめられた朽木氏は、おそらく、さような方法で気絶をさせたのでしょう。また、先ほどの、裏口まで、『いかような方法で天美ちゃんを運び出されたか?』ということですが、業務用エレベーターを用いられた、と警察の捜査では判明いたしております」
「そうか、業務用を使ったか。しかし、そんなの、あそこにあったのかい」
「ある程度の規模のマンションでしたら、普通はどこにでも、特殊な荷物を運ばれるためにも用意をされております。港豪苑クラスなら必然だと存じますが」
「しかし、目につかなかったね」
「わたくしも目に入りませんでしたから、どこかの扉の中に隠されていたのでしょう。おそらく、管理の方に頼まなければ、使用ができないようになっていると存じますが」
「またしても、守衛だけが使える道具かよ。確かに、今回起きた両事件、守衛を使って、好き勝手やってくれたね」
「どうやら、競羅さんも、完全に守衛犯人説に同意されたみたいですね」
「ああ、けどね、あくまでも、両事件とも、ただの、あやつり人形だよ。いやなことは考えたくないけど、あの子は今頃、気を失ったまま、どこかの組織に引き渡されているね」
「さような可能性も御座いますが、少し冷静になりませんと」
「あー、イライラするね。いったい、どこに連れて行かれたのだろう?」
「競羅さん、イライラは身体によくは御座いません」
「けどね、こんな状態では」
「実は、よりリラックスのできますハーブティが手に入ったのです。それを飲みまして、一度、気分を落ち着けましょう。今から、持ってきますので、お持ち願えますか」
そして、御雪は、いったんは所長室から出て行った。そのあとを、競羅は、険しい顔をしてにらんでいた。