第七章
その日、競羅は御雪を自宅のアパートに呼び出していた。
「お久しぶりですね。競羅さんの自宅をお訪ねいたしましたのは」
「ああ、今回の内容、あんたの事務所では、どうしても話せなくてね」
「ですから、かような場で、お話し合いということですが、用件とは?」
「本当に言いにくいのだけどね。昨夜かな、連れと中華料理を食べていたら、突然、あることを思い出したのだよ」
「さようで御座いましたか、それで、その内容はいかがなものだったのでしょうか?」
「では、遠慮なく言うよ。あんたの事務所の中国人のことだけど」
「魯ですか。競羅さん、何度も申し上げます通り、魯は中国人では御座いません。両親の時代に帰化をなされた立派な日本人です」
「そうだったね。日本人だったよ。その魯のことだけど信用がおける人物かい?」
「信用とは、いかような意味でしょうか?」
「以前も、あんたの事務所に出入りをしていた女性が、凶悪犯ということがあっただろ」
「ですけど、魯は・・」
御雪に最後まで言わせず競羅は言い放った。
「けどね、今回のバラバラ事件、被害者は香港人だろ」
「さようで御座います。もしかしまして、競羅さんは、今回の容疑者に魯を!」
御雪はにらむような目つきになった。
「ああ、今回の事件の犯人、こっちは、何かの組織がからんでいると主張をしたけど、結論は、あの子をたえず意識している人物が怪しい、ということになったよね。それも、あの子が面識ある、しょっちゅう会っている、という人物だと」
「確かにさようで御座いましたが、今の事柄と、被害者が中華系の二つだけでは、魯に疑いをかけますことには同意をしかねます」
「それは、魯はあんたの部下の一人だからね、かばいたくなる気持ちはわかるけどね。やはり、今回の事件を考えると、無色の立場におけないのだよ。こっちが思うには、今回の犯人像、きっと、こういう人物だと思うのだよ。くれぐれも、腹をたてないで聞くのだよ」
競羅は前置きを言って、自分の推理について話し始めた。
「今回、あの子をつけ回している人物は、やはり、あの子の近くにいたのだよ。そして、その人物は、普段から女性を意識しているのか、きどって格好をつけている人物であった」
「競羅さん、その推理、おかしいです。普通、ストーカーと申しますのは、女性には開放的では御座いませんし、派手な格好はなさらないものです」
「黙って聞きなよ。その人物は、上司が女性たちであったのだが、彼女たちを女性と見ることができなくなった。その結果、かなり年下の事務所に出入りをする女の子に興味を持ったのだよ。そして、その人物は、あの子に馴れ馴れしく接触しようとしていた香港人を殺した。うさんくさそうだったから、もしかしたら、前もって因縁があったかもしれないね。だからこそ、積年の恨みで殺したあとバラバラにした。あんたの誇示するという考え方は、どうも性に合わなかったけど、魯ならわからないよ。向こうの国の血を引く人間は、本当に残虐だね。以上が、こっちの推理だけど、文句は当然あるだろうね」
「競羅さん、はっきりと、おっしゃいますね」
御雪は面白くなさそうな顔をして答えた。
「ああ、はっきり言うよ。まどろこしいことは嫌いだからね」
「でしたら、わたくしとしても、かような論議は時間の無駄ですから、決定的な反論をさせていただきます! 今回の容疑者ですが、前回の話し合いで、天美ちゃんが襲撃されたとき、隠れていらっしゃった方、と同一人物ということになりましたね」
「ああ、それが、どうしたのだい?」
「さようなとき、現場に遺棄されましたショートナイツの吸い主が、容疑者の的確性が高いということになりましたが、魯はおタバコを決してお吸いになられません!」
「そうきたか。けどね、あんたが知らないだけで、影で吸っているかもしれないだろ」
「魯に限っては御座いません。おタバコの香りが、服に移ることすら、いやがられるのです。ですから、わたくしは事務所内では吸わないようにしております。もし、御希望でしたら魯の持ち物を提示いたしましょう。ナイツぐらい香りのきついおタバコなら、間違いなく、臭いが残っておりますので。いかがでしょうか」
御雪の話を、競羅はじっと考えながら聞いていた。そして、
「わかったよ。けどね、そうなると、あんたの方も、組織が裏にいるということを認めざるおえなくなるね。こっちは、あくまでも、あんたの昨日の推理から得た犯人像をあげただけだからね。正直言うと、今回のこの推理、確信がまったくなかったからね」
と答えた。勢いで言ったものも、実際、にわか仕込みの推理だったのだ。
「ですが、さようなことにつきましては、わたくしはある方を存じております」
「まだ、思い当たる人物がいるのかい」
「さようで御座います。やはり、天美ちゃんの、お近くにいらっしゃる人物です」
「そうかい、もったいぶらないで言ってくれよ」
「では、せんえつながら、わたくしの、犯人像についてお話をさせていただきますが、その前に、二つほど確認をさせていただきますが。例のお首の入っておりましたお届け物のことですが、お届け物は衛藤氏が届けられたのですね」
「ああ、そうだよ。こっちも、そう話したし、あの子からも聞いただろ」
「では、次の確認を、宅急便の送り状ですが、あれから見つかりましたでしょうか」
「そんなの、逆にこっちが知りたいぐらいだよ。確かに見たのに、いつのまにか消えているのだからね。何にしても、その言葉じゃ、まだ見つかってないようだね」
「さようで御座います。いまだに、発見されておりません。以上のことから、一歩進めまして、ある想像をさせていただきました。結論から申し上げますと、今回のお届け物は、発送されずに、マンション内で製造されたということです」
「えっ! 製造されたって」
「さようで御座います。荷物は御座いましたが、お届け物は存在しなかったのです
「存在しなかっただって、何か、あんたの言っている意味が、よくわからないのだけど」
競羅は呆れたような目つきに、
「では、ここから、犯人像につきましてご説明をさせていただきます。だいたいは、昨日の、わたしのお話どおりですが、若干、変更が御座います」
御雪はそう前置きを言うと、再び説明を始めた。
「昨日、説明に出ました人物Aですが、わたくしの推理では、天美ちゃんの住まれるマンションの守衛となります。今回、かような守衛をAとあてはめますと、不明なところも、おぼろげに見えてきます。まずは、被害者と顔見知りということですね。Aは住人の天美ちゃんに性的意識を感じておりました。しかし、天美ちゃんは、お金持ちの香港人の方と、気軽におしゃべりをしてくれても、ご自分には話しかけてくれない、さような不満を常日頃から持ち合わせておりました。そして、あるとき、さような不満が暴発なさいまして、Aは香港人の方を殺害してしまったのです。
衝動的に、住人である香港人の殺害をしてしまったAは困り果てました。そして、あとのことを、いかようになさろうかと思考を重ねているうちに、悪魔的発想が浮かび上がってきたのです。さようのことにつきましては、生臭い表現ですし、ほぼ昨日、話し合いましたことで結論が出ておりますので、はぶかせていただきますが。
さて、問題のお荷物の話に移らせていただきます。お荷物は先ほども申し上げましたように存在せず、ずっと、マンションの守衛室の冷蔵庫に保管をされたままでした。そして、事件の日にあらためて、冷蔵庫から取り出しましたあと、自ら天美ちゃんの手に届けられたのです。以上がわたくしの推理ですが、いかがでしょうか?」
御雪の話を競羅は厳しい目をして聞いていたが、すぐに笑顔になった。そして、
「なるほどね、あいつが自分で手渡しか。確かに自意識過剰の人物のやる事だよ」
と納得したかのように答えた。
「では、競羅さんは、人物Aに思われるお方を見つけられたのですか」
「ああ、おかげさまでね、ナル坊だろ。よく考えたら、奴も怪しい人物だったのだよ。警官上がりのくせに、ちゃらちゃらとしていてね。今回、目の前で派手に動きやがって!」
競羅は答えながら眉をつりあげていた。そして、そのまま、言葉を続けた。
「そうなると、伝票が消えた理由もわかったよ。おそらく、ナル坊は、絵里を介抱するふりをして、部屋から偽の伝票を持ち出したのだね。こっちは見抜けなかったけど、その道のプロが見れば一発で偽造されたものとわかるからね」
「偽物では御座いません。本物です。前もって無記名の送り状を手に入れておられたのでしょう。いくらでも入手は可能ですから」
「そういうことって、できるのか。でも、本物となると、なぜ消えたのか?」
「答えは簡単です。宅急便は受付をされますと、送り状の番号が機械に登録されます。さようなことをしておかないと、事故が起きたときに追跡ができませんので。当然、警察も送り状を頼りに荷物の運送ルートを調べます。ですが、番号を入力いたしましても受付をしていないのですから該当物がなしとなります。となりますと、なぜ、お荷物が存在するかという理由で、マンション内に疑惑が向かれることになります」
「そうか、そういうことか。確かに手続きをしたナル坊が疑われるね。でも無いとなると、そういう発想すら思い浮かべることができないと」
「さようで御座います。さすが、警察OBと申しますか。また、衛藤守衛の犯人適格条件ですが、もう一つ、裏付けらしいことを、昨日、競羅さんと別れた後に思い出したのです」
「それって何だよ?」
「おタバコです。一度ですが守衛室にうかがったことがあるのですが、灰皿に根本まで吸われた、おタバコが山盛りに入っていまして、ああ、と思ったことが御座いまして。思い出しました。さような、おタバコがショートナイツでした」
「そんなことがあったのか、あんたが喫煙者だから気になったことだと思うけど。うーん、ナル坊がショートナイツを根本まで吸うのは、イメージがわかないけど、夜間の仕事もするということなら、吸っている可能性は捨てきれないということか」
「さようで御座います」
「魯がナル坊に変わったぐらいなら、こっちの思っている動機には、そんなには変わりがないし、となってくると、今からナル坊をとっちめに行かないと!」
競羅は張り切った声をあげたが、御雪は、まだ慎重であった。
「ですが、まだ決め手が御座いません。競羅さんに、魯が犯人と指摘をされましたので、仕方なく、お話をいたしました段階ですので」
「その決め手が消されてしまったら、どうするのだよ。今なら、奴も油断をしていると思うから、調べれば何か色々と出てくるよ。こういうことは、素早く動くことが肝心だよ」
「そこまでおっしゃいますなら、お止めはしませんが、おてやわらかにお頼みしますね」
御雪がそう言い二人は港豪苑に向かうことにした。
約三十分後、競羅と御雪は、天美の住むマンション、港豪苑に足を踏み入れた。
中に入ると、御雪は感嘆の声をあげた。
「この間も、さようでしたが、いつ、お邪魔をいたしましても圧倒されます建物ですね」
「そうだね、この界隈では珍しい東洋的な建築美、豪華さ、大きく目を引く建物だね」
競羅も、相づちを打ちながら正面玄関をくぐっていた。
二人は、ガラス扉前にある警備室をのぞいた。問題の守衛、衛藤君と顔を合わせると、その衛藤君が、厚い防弾ガラスでできた仕切りの応答口から声をかけてきた。
「おや、今日は、天使ちゃんたちが次々と降臨してくる日だね」
「また、天使ちゃんか。あんた、その口癖、いい加減にしなよ」
競羅はにらみつけた。
「いやあ、今日のぼーくは、何て罪なのだろう。悪魔ちゃんまで、ご一緒とは」
「罪は結構だけど、今日はあんたに話があるのだよ」
「何かな、ぼーくに対する求愛かな?」
「そうだよ。こんなところで立ち話もいやだから、中に入りたいのだけど」
求愛と言われても、競羅はいつものことらしく流すように言った。
「何かな何かな。やっぱり、愛のささやきを、もっと近くでとか」
「とにかくね! 中に入ったら話すよ!」
競羅の目つきに、大きな真剣度を感じたのか、衛藤君は、
「わかった、いいよ」
と答えると、横に配置された守衛室に入るドアのロックを解除したのである。
ドアを開け入ると、中は男ばかりの職場にかかわらず意外と整理がされていた。来客者に丸見えなので、そのようなことにも気をつかっているのであろう。
御雪は中に入ると、目を配り始めた。目的のものを探すためだ。
それはすぐに見つかった。少し右奥の机の上にある灰皿に山のようにのっていた。
御雪はさっそく近づき、そのタバコの種類を確認した。そして言った。
「ショートナイツでした」
「そうか、やはりね」
「さようで御座います。いちおう、吸い殻を持ち帰りまして、照合検査をいたしますが」
「ああ、そうした方がいいね。その前に、こいつを逃がさないようにしておかないと」
その二人の会話に、疑われているのを知らない衛藤君が入ってきた。
「おや、大天使ちゃん。そんなものをさわって、それは下界の毒なのに」
衛藤君は相変わらずの言葉使いであった。その言葉に反応した競羅、
「おや、持って行かれると、不都合なようだね」
「不都合、どこが? わかった、悪魔ちゃんの闇世界では、それが普通なんだ」
「あんたね。ちゃかしていても、すべて、お見通しなのだよ」
競羅は答えながら、衛藤君をおもいっきりにらんだ。
「こわいこわい、本当に悪魔ちゃんは、すぐに怒り出すのだから」
「いい加減にしな!」
競羅はドーンと、目の前の机をたたいた。その拍子に、上にのっている灰皿が大きくゆれて、タバコの吸い殻が机の上に散らばった。それを見た衛藤君は顔をしかめて言った。
「あーあ、ひどいことをするから、こぼれちゃったよ」
「あんたが、ふざけたことばかり言っているからだろ。もとはといえば、ちょいと、たたいたぐらいで、飛び出る方が変なのだよ。こんな、こんもりと灰皿にのせて」
競羅はそう言ったが、衛藤君の方は、
「やだなあ、ぼーくがタバコみたいなものを、吸うわけないのに」
と答えたのだ。その言葉を聞いた競羅、思わず御雪を見つめた。だが、それだけで、相手の言葉を信用するほど、競羅は甘い人物ではない。
「あんた、都合が悪くなったと思って、ウソをついても遅いよ」
「いや、本当に、タバコは苦手なんだけど」
「それなら、どうして、ここにあるのだよ」
「そこって、だいたい、そこって、ぼーくの机ではないし」
「では、誰の場所だよ」
「先輩の机さ」
衛藤君の発言に競羅は再び御雪を見つめた。どう思う? っていう感じである。
そして、その御雪が競羅にかわって質問に入った。
「さようで御座いましたか、では、これらのおタバコは、先輩とおっしゃる方のものですね。ですけど、この場には、さような方はお見受けられませんが」
「今、巡回中さ。しかしね、だいたい、ぼーくがタバコを吸うように見える?」
「さようには感じられません。おタバコが、かなり苦手なように、おみ受けられます」
「そう、このタバコのおかげで、いつも、下着まで替えないといけなくなるのさ。髪の毛にも匂いがつくので、ここを出るたびにシャワーで洗わないといけないしね」
衛藤は答えながら顔をしかめ、その顔の前で追い払うように手を振った。
「さようで御座いますか。魯と同じ事を申される方が、ここにも、いらっしゃいましたとは、わたくしが一休みしようとなさいますと露骨にいやがりますし」
「もしかして、大天使ちゃんは吸うの?」
「ほんの、たしなみ程度ですが」
「やめた方がいいと思うよ。身体に悪いから」
「お心使い、大変、痛み入ります」
「それよりね、ここに来た用事だけど」
競羅が待っておれずに口を出した。
「何だったかな、悪魔ちゃん?」
「また、そのセリフかよ。とにかく言葉を続けるよ、このタバコは、そのあんたが先輩って、言っていた人物のものなのだよね」
「だから、そうだと言っているのに」
「けどね、ここには、あんたしか、いないじゃないかよ」
「さっきも答えたように、巡回中さ。ここは常時、二人体制を取っているからね」
「そうなのかよ?」
「だって、一人だったら巡回に出かけられないし、このマンションは、巡回警備も重要視しているからね。だから先輩は、おりを見ては見回りをしているのさ」
「そういうことか、そう言えば、今、思い出したよ、あんたの後ろに、浅黒くて大きな顔をした、体格も大柄で筋肉質な警備員がいたこと、が何度もあったことを」
「穴吹先輩か、先輩はスポーツ好きだし、確かに体格がいいからね。現役時代も腕っ節が強く、格闘にはたけていたということだし」
「現役ということは、彼もまた警官だったのかよ?」
「うちの会社の警備部は全員、警官上がりさ。社長さんからして、元警官なのだしね。ということで、前も言った通り、ここに近づかない方がいいのじゃないかな」
衛藤は答えながら競羅をのぞきこんだ。
「はは、そうだね。これから、ほどほどにしておくよ。それで、その穴吹っていう先輩だけど、あの子とは親しいのかい?」
「あの子って、小さい天使ちゃんのことだね。それは先輩も、ここの管理者だから面識はあるに決まっているさ、親しいとまではわからないけどね。でも、肝心な先輩は、このところ、出勤をしていないよ。毎年恒例の家族を連れた海外旅行をしているからね」
「いないって? でも、あんたは、今、このタバコは先輩のだと」
「言ったけど、どうしたの? 言い忘れていたけど、穴吹先輩もタバコは吸わないよ」
衛藤君は不思議そうな顔をして聞き返した。
一瞬、競羅は沈黙した。彼女は、衛藤君の顔をまじまじ見つめると、問い詰めるように、
「ついに、ボロを出したね。タバコ嫌いの演技で御雪はだませても、こっちの方は、そうはいかないよ。まずいと思って、うまく、演技をしたつもりだと思うけどね」
「ぼーくが演技? 何の演技を?」
「まだ、とぼけるのだね。あんたじゃない。その穴吹という先輩じゃない、って言ったら、これらは誰のタバコなのだよ? 幽霊が現れて吸っているわけではないだろ!」
「突然、幽霊って、悪魔ちゃん、やはり、その世界の人なの?」
衛藤君は、あらためてびっくりした顔をした。
「あんた、いい加減にしな。もう、はっきりとばれているのだよ。あんたが・・」
競羅の態度を見るに見かねて御雪が口を出した。
「競羅さん、落ちつきましょう。もう一人、いらっしゃいます可能性が高いですし」
「えっ、まだいるのか?」
「さようで御座います。先ほど衛藤守衛は二人体制だとおっしゃいました」
「だから、それがどうしたのだよ」
「ですから、少なくとも三人は、いらっしゃると存じます。なぜなら、同じ場所で、二四時間ずっと勤務をなさられるのは不可能だからです」
「その通りさ、大天使ちゃん。いちおうは、三交代制をとっているのだけど、僕が一番、勤務をしている時間が多いかな」
「そ、そういうことなのか、ではその、もう一人が、このタバコの持ち主か」
「そうなのだけど、その、さっきから、タバコタバコと言っているけど、そのタバコの人物が君たちの調査対象なのかな。何かそのために、ここに来たみたいだし」
さすが元警官、衛藤君はしっかりと反応をしていた。
「ああ、そうだけどね」
「でも、いくら何でも、朽木先輩が変なことに関係するわけないさ」
「なるほど、その、もう一人は朽木というのか」
「本当に悪魔ちゃんは失礼だな、大先輩を呼び捨てて」
「また、それかよ。とにかく、その大先輩は、今日はここにいるのだね」
「今日だけでなく、穴吹さんがいないから、ここのところ、ほとんどの日だけど」
「そうかい。それで、その、もう一人の先輩って、どういう人物だよ?」
「人物と言われても、髪にちょっと白髪が入った、やせこけた人かな。年は六十過ぎの」
「そんな人物いたかな?」
競羅は首をかしげた。
「だから、いつも、座っていたのに。今、そのタバコの灰皿が置いてある席に」
「覚えてないね」
「それは、ただ関心がなかっただけさ、少なくとも悪魔ちゃんだって、何度かは会っているはずだし。ぼーくが受付で悪魔ちゃんの相手をしていたときも、ちゃんといたよ」
「そうかよ。でも今は姿が見えないだろ」
「だから、何度も言ったように巡回に出かけてさ」
「いつ、戻ってくるのだい?」
「わからないなあ。先輩は、いつも、ふらっと出て、ふらっと帰ってくるからさ。その間、三十分から一時間の間か。すでに十五分はたったから、早かったら、あと十五分ぐらいで戻ってくるかな。本当に聞きたいことがあるのなら、それぐらいは待ってた方がいいね」
「いかがなさいます。待たれますか?」
御雪が尋ねてきた。
「いや、ここで待つのも面倒だから、あの子の部屋を訪ねてみるか」
「さようで御座いますね。わたくしも、今まで調べました事柄につきまして、ご報告をしなければなりませんので」
御雪が答えたとき、
「えっー 上に行くの!」
衛藤君は思わず声を上げた。そのトーンが気になり尋ねた競羅、
「何か都合が悪いのかい?」
「知っているよね。ずっと、例の所轄の二人組が、保護というか監視に来ていることは」
「そうだった。それで、まだあいつら、いるのかよ?」
「しっかりといるよ、事件の夜からずっとね。たまには一人が買い出しに出るけど」
「だってさ、どうする?」
競羅は御雪に聞いた。
「わたくしはかまいません。天美ちゃんに、早くお知らせをしたいですし」
「そうかよ、こっちは遠慮をしたいけどね」
「では、警備室に残られますか。いずれ、おタバコの守衛も戻られますから」
「それも、落ち着かないから、ついていくことにするよ。あんたがいれば、あいつらとの衝突も避けることができるかもしれないからね」
「さようで御座いますか、では参りましょう」
そして、御雪は競羅と一緒に警備室を出ると、ガラス扉前に設置してあるボードに近づき、そのボードに部屋番号を打ち込み、呼び出しボタンを押した。
天美の声が聞こえるはずなのだが、その応答はなかった。二度目を押しても同様である。
「これは、あいつらが邪魔をしてるね」
競羅が顔をしかめ御雪も同様に困った顔をした。
「いかが、いたしましょうか」
「いかがも何もないよ。こういうときのために守衛はいるのだからね」
競羅はそう言うと、応答口の衛藤君の方を向き、命令口調で、
「ということで開けてくれるよね。こっちは顔見知りだし開けないことはないね!」
衛藤君は困惑していたが、結局、警備室内から部屋番号の解除ボタンを押した。
ガラスの大扉が電動式に開き、競羅と御雪の二人は中に入っていった。
建物の中に入るなり競羅が口を開いた。彼女は歩いている御雪に向かって、
「あんたらしくないね。あのタバコの件だけで、ナル坊の言葉を信じたのかよ」
「はっきりとは、信じたわけでは御座いませんが、やはり、容疑者との的確性が今ひとつ、ピンといたしませんでした」
「だから、もう一人に乗りかえたのだね」
「さようで御座います。もう一方の、先輩とおっしゃった守衛の方を犯人像と当てはめましても、おおまかな推理には間違いが御座いませんので」
「しかし、聞いただろ。六十過ぎだよ」
「それが、いかがいたしましたか。かような事件、年齢は関係御座いません。よくよく考えましたら、年配の方ほどショートナイツを好まれるのです。また影で、こそこそと事を運んでいらっしゃったことも、わたくしの心証どおりでした」
「確かにそうかもしれないね。ナル坊はあの荷物を持ってきたとき、先輩に頼まれたと言っていたからね。その言葉を信じたら、先輩が指揮を取っていたということか。何にしても、実際ナル坊が犯人なら、今頃は発覚を怖れて逃げていると思うね」
「でしたら、いかがなさいますか」
「逃げたは逃げたで、犯人ということを証明することになるからね。あとは、警察が手配をしてくれるよ。それで事件は終わりだよ。あの子も、おびやかされることはないね」
「さようで御座いますね。さて、エレベーターの前です。ここからのお話は、天美ちゃんの部屋でゆっくりといたしましょう」
そして、彼女たちはエレベーター昇降口に到着した。ここ、港豪苑にはエレベーターが二基用意されており、防犯上のため、カメラで写しだされたエレベーターの中の様子が、各階フロアごとに外からモニターで見られるようになっていた。
御雪がボタンを押し、二基のエレベーターが降りてきた。まだ、混み合う時間帯ではなかったので、両基ともボタンによって下降してきた。中はどちらも空状態である。
二人は先に降りてきたエレベーターに乗り込み、御雪は天美が住む二十二階を押した。
やがて、エレベーターは二十二階に到着し、二人は降りた。そして、しばらく歩き、天美の部屋、二二一一、琥珀、の前にたどりついた。
御雪がいつも通り、開き戸、横にあるドアホンを押したが、中から返事がなかった。
「おかしいですね。今一度、押してみましょう」
御雪はそう言い、再びドアホンを押したが、今度もまた応答はなかった。
「あいつら、どこまで、あの子の警備を強くする気だよ。応答ぐらいすればいいのに!」
競羅が怒った声を出した。そして、御雪が三度目のドアホンを押したが、
「やはり、返事が御座いません。三度目ですが」
と応答はなかった。
「参ったね。強引に中に入ろうにも、肝心なキーがないし」
競羅が舌打ちをした。そのとき、御雪が声を上げた。
「競羅さん。ご覧願えますか、先ほどからずっと、いつもは、無点灯状態の場所が光っております。液晶表示板と、その下に御座います数字プレートですが、もしかしますと、そこに暗証番号のようなもの、を入力されれば開くかもしれません」
「暗証番号って、六ケタのあれかな。何かのために、あの子から聞いているよ。しかし、それを打ち込んだけで開くのかい。一応はやってみるけどね」
競羅はそう言うと、ナンバーボードに六ケタの数字を打ち込み、エンターキーを押した。すると、カチリと中のロックのはずれた音がした。
「本当に開いたよ。やはり、暗証番号だったんだ!」
「さようで御座いますね。おそらく、カードキーを持ち歩かなくても、すむようになっておられるのでしょう。その都度、警備の方に声をかけられれば、問題は御座いませんから」
「きっとそうだね。大げさに、守衛が四六時中いるわけではないということか」
二人はそう言い、開き戸を開けて中に入った。すると、とんでもない光景が!
「た、大変なことです!」
御雪が、一目見るなり、顔を真っ青にして声をあげた。御雪が驚いたのも無理はない。中では翔子、恭子、二人の警察官が倒れていたのだ。
「そんなことより、あの子の姿が見えないよ。いったい、どこへ行ったのだよ!」
競羅は叫んだ。その言葉通り天美の姿は部屋から消えていた。