表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/14

第九章


「お待たせをいたしました」

 しばらくして、御雪が小箱を持って部屋に戻ってきた。その小箱を開けると、何ともいえない柑橘類系の香りが匂ってきた。中に入っていたのは高級そうなティパックである。

 競羅が思わず声を上げた。

「これか、いい匂いだね」

「さようで御座います。いましばらくお待ち願えますか、お造りいたしますので」

 御雪はそう言うと、カップにそのティパックを入れ、お湯をそそいだ。できあがると、

「では、遠慮なくいただくよ」

競羅はティカップを口に近づけた。

「いかがです、ひとごこち、つきましたでしょうか」

「ダメだよ。あの子が、どこに連れていかれたか、場所が判明しない限りね」

「さようなことにつきましては、わたくしも色々と手は打っているのですが、まだ」

「ああ、こんなとこで考えているばかりじゃ、らちがあかないよ。こういうときは・・」

 競羅はつぶやいていたが、すぐに、明るい声になった。

「そうだ! まずは、あいつに聞けばいいんだよ!」

「あいつと申しますと」

「うっかりと忘れていたけど数弥だよ。今回の事件、あの子のことだから、警察に張り付いていると思うよ。ということで、あんたとの話は、ここで終わらせてもらうよ」

 そう言って、競羅は事務所から立ち去ろうとすると、御雪が声を上げた。

「競羅さん。もう、お帰りですか」

「そうだよ。あんたとの用事は終わっただろ」

「ですが、わたくしとしても、まだ、色々とお話をしたいことが」

「けどね、今は一刻も猶予のない状態だろ」

「ですが、お手元にある電話で、連絡を取られるだけでよろしいのに」

 その御雪の言葉に競羅は納得したのか、

「そうだったね。ついつい、あせってしまって」

「さようで御座います。かようなときほど冷静になるのです」

「わかった、うまく、出てくれるといいけどね」

 競羅はつぶやきながら電話を取りだし、その発信ボタンを押した。


 すぐに、相手は出た。少し眠たそうな声で、

「あー、姐さんすか」

「あんた、のんびりしてるね」

「そんなことないすよ。社内で港豪苑の事件について資料を集めていますよ」

 数弥はムキになって答えた。さぼってると思われたのが、いやだったのか、

「資料集めか、では、その港豪苑で第二の事件が起きたことを知らないようだね」

「また、死体が見つかったんすか?」

「いや違うよ。いいかい、驚かないで聞きなよ。あの子ボネッカがね、二時間ぐらい前に、その港豪苑内の自室でさらわれたのだよ」

 競羅は真剣な声で言ったが、数弥の方は、

「またまた、姐さん、冗談を」

と本気にしなかった。

「あんた、こっちが冗談を言っていると思うのだね」

「だって、姐さんも知っての通り、天ちゃんには、例のすごいスキルがあるんすよ。それに、自宅にいるのに、さらわれるんすか。どこかに遊びにいっただけでしょ」

「遊びに行ったぐらいなら、こっちも、あわてて、あんたに連絡を取らないだろ」

「そうすけど、いきなり拉致と決めつけるのは。たった二時間、姿を見せないだけでしょ」

「けどね、情況がそう物語っているのだよ。いいかい、よく聞きなよ」

 そして、競羅は情況について説明を始めた。 最初は本気にしなかった数弥も、

「でも、あの天ちゃんが、そ、そんな簡単に」

 と、さすがに不安に感じたのか、声を震わせながら応答した。

「そのあたりのことは、こっちも、よくわからないよ。けどね、今話した一連の事情から見ても、あの子が裏口から連れ出されたというのは、充分、推理ができるだろ。とにかくね、あんたも、どうこう言わずに現場に行ってみな。警察が、うじゃうじゃいるからね。こっちの言っていることがウソでないことはわかるよ」

「そ、そうすね。今から港豪苑に向かいます」

「では、ついたあと、何かつかんで報告をするのだよ。わかったね」

 競羅は最後にそう言ったが、すでに通話は切れていた。


 通話が終わると、御雪が声をかけてきた。

「どうも、新たな情報がなかったようですね」

「ああ、知らなかったようだね。未成年の拉致事件なのに」

「となりますと、警察の方は、事件の発生を隠された、ようですね」

「隠したって?」

「さようで御座います。未成年者の失踪、誘拐、かような事件の場合、さらわれた方々の安全を確保なさるために、警察は事件をマスコミには報告をいたしません」

「確かにそうだね。『警察に知らせると人質を殺すぞ』というのは誘拐犯の常套手段だからね。本当に殺されたことも何度かあったし、だから、警察も慎重になっているわけか」

「ですから、数弥さんでも、事件をご察知できなかったのでしょう」

「それなら、無理して連絡を取ることはなかったよ。向こうから、『姐さん大変す! 天ちゃんが、自宅で行方不明になりました!』と、いつもの口調で連絡してくるはずだから」

「ほほほ、さようで御座いますね。確かに、数弥さんでしたら、真っ先に、かような反応を、されますでしょうね」

御雪は数弥の性格を知っているので、そう笑って答えた。

「ああ、さっきは、まだ、そこまで考えつかなかったから、思わず電話をしたけど・・」

 競羅の言葉の途中、御雪の胸元が光ったように見えた。そして、声をあげた。

「少し、お待ち願えますか。今、わたくしの端末に合図が」

「何か連絡が入ったのだね。音がしないところから見て、バイブか」

「さようで御座います。では、失礼をいたします」

 御雪は胸元から携帯端末を取り出し、その相手との通話は始まった。

 始まったころは、明るい顔をしていた御雪も、会話が進むにつれ徐々に暗い顔になっていった。最後に、

「どうも、ありがとう御座いました。また、何か新しいことが判明いたしましたら、よろしくお願いをいたします」

 と御礼の言葉を言って、その通話は終わった。

すぐさま、競羅は尋ねた。

「今の相手は?」

 先ほどの捜査員の一人です。天美ちゃんが発見されましたら、連絡をしていただだくように、頼んでおきましたから」

「しかし、わざわざ、警察が連絡をかよ」

「わたくしのお仕事をお忘れでしょうか。探偵たるもの、日頃から、警察の一員の方々と仲良くしておくことは重要かと存じます」

「なんだ。言われて見れば、そんなものか。そう言えば、さっきも、色々と手を打っているとかなんとか、思わせぶりのことを言っていたし。それで、その肝心な連絡の内容だけど、どうも、いい結果ではなかったようだね」

「さようで御座います。残念ながら、かんばしい情況では御座いません」

「まさか、あの子の身に!」

「さようなことでは、決して御座いません。つい、今し方ですか、天美ちゃんを連れ去られたと思われるワゴン車が発見された、ということでしたが」

「でも、肝心なあの子はいなかったのだね」

「さようで御座います。車内には誰も乗っていらっしゃいませんでした。また、さような車体が発見された場所ですけど」

「海の中とか」

「競羅さん!」

 御雪のとがめるような声に、競羅は慌てて弁解を、

「そういう意味じゃないよ。よくあるだろ、逃走車の始末をてっとり早くするために、海の中に沈めたとか、こっちが思ったのはそういうことだよ」

「さようなことなら、よろしいですけど」

「当たり前だろ。こっちはあんたより、ずーと、あの子と親しいのだよ。おかしな事を考えるわけないだろ。それより、その車というのは、どこで見つかったのだい?」

「実は、お車が発見された場所は、東京駅前でした」

「東京駅だって!」

競羅は驚きの声を上げた。想像していた場所と、まったく違っていたのか、

「さようで御座います。東京駅前の地下駐車場でした」

「となると、拉致犯人は、きっと」

「さようで御座います。おそらく、天美ちゃんは駅から電車で運ばれた、と存じますが」

「ああ、その可能性は高いね。手を引っ張るというわけにはいかないから、気絶をしたままの、あの子を、そのままトランクに押し込んだのと思うね。東京駅だったら、大きなトランクを持った人物がいても変に感じないからね。まいったね、これは。そうなると、捜索の範囲が広がって、ますます探しにくくなるよ」

「さようで御座います。警察も同様なお考えで、捜査を開始されたようです」

「しかし、今頃、あの子はどうしているのだか?」

「さようなことまでは存じません。ですが、競羅さんの、おっしゃる通り、トランク内でしたら、もし目が覚められた、といたしましても、何ともなりません」

「ああ、そういうことになるね。いくら、能力があるとしても、トランクの中じゃ・・」

 競羅も顔をしかめて答えていたが、突然、声を上げた。

「いや、待てよ、そこまでするっていうことは、奴ら完全に、あの子の能力の存在を知って動いていると思った方がいいね」

「さようとは限りません。人様に怪しまれないような、ただの運搬方法の可能性も」

「そんなわけないだろ! 本当にもう、のんびりするのもいい加減にしないと」

「競羅さん、今一つ、落ち着かれたら、よろしいかと」

「あんたね。前も言ったと思うけど、こういう場合、落ち着いておれるかよ!」

「とにかく、落ち着きを願います。まずは、事実から見つめましょう。判明されたのは、天美ちゃんを拉致した車が東京駅で見つかったことだけです。トランクの中、何とかというお言葉は、あくまでも競羅さんが後付をされただけで」

「けどね、何度も言うとおり、あの子に触れられた途端、能力が発動するのだよ。それを、防ぐには、気絶をしているうちにトランクに押し込むのが普通だろ」

「ですから、競羅さんは、最初から、今回の拉致犯人が、天美ちゃんの、おちからの存在をご承知と申しますか、肯定を前提にしてのお話ですから」

「ああ、そうだよ。違うというなら、そこまでして、あの子をさらう必要はあるのかよ。その、拉致を一人で実行したという何とか言った守衛、そいつに、バックの連中が、最初のあつかいから運搬について、こと細かに指示を与えた、と考える方が普通だろ」

「朽木守衛のことでしょうか」

「ああ、朽木っていう名前だったか。警官上がりの」

「さようで御座います。とにかく、この場所で、これ以上、議論を続けていましても何も進みません。その朽木守衛について背景を調べませんと」

「ああ、そうだね。あんたの言う通りだよ。ぐだぐだ言い合っている時間なんて、もうないからね。それで、どうするつもりなのだい?」

「まずは、港豪苑に戻りまして衛藤氏に事情をうかがいましょう」

「ナル坊にか」

「さようで御座います。衛藤氏に朽木守衛のことにつきまして、お尋ねするのです。天美ちゃんの拉致のときに、お気づきになられたことも御座いますし」

「確かにそうだね。うまくいくと、あの子の行き先がわかるかもしれないからね」

 こうして、彼女たちは再び事件の場、港豪苑に向かった。


競羅と御雪は、事件現場、港豪苑に戻っていた。

 天美の拉致事件から三時間はたっているが、現場は騒然としていた。それは、ある意味そうであろう。前回、バラバラ死体遺棄事件が起きたうえ、今回は、その生首が送られた部屋の主が拉致されたのだ。

情報を察知したマスコミの車がむらがり、住民たちにインタビューをしていた。

その中に数弥もいた。競羅は、御雪と一緒にその数弥に近づくと声をかけた。

「あっ! 姐さんたち、いらしていたんすか」

 数弥も気がつきそう声をあげた。

「ああ、結局のところ、情報を集めないとね」

「それで、いつ来たんすか」

「ほんの今だよ。それより、やはりというか騒々しいね」

「ええ、大変な情況す。現場の部屋には、立ち入りさえさせてくれません」

「そうだろうね。婦警二人が眠らされた上、未成年の拉致事件なのだからね。しかし、思ったより記者の数が多いというか」

「僕も、実際、驚いているところす。一番かと思ったんすけど、二社ぐらい先に来ていました。当然、情報の出所は内緒だと言っていましたが、両社とも知り合いがマンションに住んでいて、そこから通報が入ったみたいすね。ですから、警察の情報統制は厳しく、外部にはもれていないはずす」

 その厳しく、という言葉を聞きながら、競羅は心中では小バカにしていた。徹底的に厳しければ、御雪に捜査状況が入るはずがないからである。だが、一応は、

「確かに、秘密で捜索をしている未成年の失踪事件を、当日に警察から公表することはないだろうね。それだけここに、マスコミの親戚か親友が住んでいたということか」

 と話を合わすように答えた。

「ええ、そうみたいすね」

「何にしても、そうなってくると、やはり、この事件、新聞もテレビ発表もないね」

「ええ、当然そうなります。ですが、天ちゃんとしても、その方がいいんじゃないすか。【生首を送られた少女、謎の失踪】とか、面白おかしく書き立てられるのもいやすから」

「何か、その題名、あからさまに、二つの事件を結びつけているね」

「その方が一般受けするからすよ」

 数弥はここまでは普通の口調だったが、やがて、声を小さくして言葉を続けた。

「実際、被害者の首は、天ちゃんあてに送られたのですし」

「それで、あんたは、どう思うのだい? つながっているのか違うのか?」

「わかりません。でも他社の連中は、ほとんどが、こんな風に結びつけています。潘大人の殺害は、やはり香港マフィアであって、事件の参考人の少女が、警官たちに保護されているところを、マフィアの仲間が助け出したと」

「助け出した? では、その記者連中の脳内は、あの子が香港マフィアの一員か」

「ええ、そういうことす。彼らが言うには、天ちゃんの身柄を取り戻すために、女性警察官二人を襲ったと、本当は警官たちも拉致したかったのだが、エレベーターが到着した音を聞いたので、そこまではと断念して逃げ出したと」

「たくましい想像力だね。それで、尋ねてきた人物も、女性二人だったわけだけど」

 競羅は御雪を横目で見つめながら苦笑いをした。

「そのことすけど、あの時点では、まだ、そこまでわかりませんから、マフィア共も、おそらく、仲間の警官たちが護衛に来たと勘違いをして、撤退をしたと」

「なるほど、一応は話は通っているね」

「冗談ではないすよ。いくら何でも、天ちゃんを、そんな組織の仲間に!」

「けどね、背景を知らなければそんなものだよ。こっちだって、あの子のことを知らなければ、そんな風に感じるかも知れないね。《港区一角の超高級マンションに住む、日本人に見えるが得体の知れない一人暮らしの少女、その少女に届けられた香港人大物の生首、その結果、少女が警察にマークされて、二人の婦警が監視に置かれる。少女のバックの組織はまずいと感じ、強引に少女の奪回行動をした》とこんな感じかな」

「えっ! そんな」

「だから、知らないとそうなるよ。もしかしたら、捜査関係者の中にも、その記者連中と同じように、失踪を奪回だと疑っている連中が、そこそこいるかもしれないね。十条警部が指揮をしている限り、妙なことにはならないと思うけど」

「そうだといいんすけど」

 数弥はそう答え、横にいる御雪も曇った顔をしていた。そのあと、競羅は、

「何にしてもね、こっちは、あの子が連れ去られたと確信をしているよ。それよりも、あんたの情報って、それかよ。記者たちの、くだらない妄想というか」

「ええ、残念ながら今のところは」

「あんた、本当に、くらいついているのかい?」

「むろんすよ。天ちゃんが、さらわれたんすよ! 僕だって現場が見られず、ストレスがたまっているとき、いやな話を聞いたから、イライラし始めているんすよ!」

 数弥のボルテージが上がった。

「わるかったね。しかし、本当に他にないのかい? どんな、ささいなことでもいいから」

「ささいなことでよければ、あると言えばあるのですが」

「あるなら言いな」

「でも、余計に混乱しますよ」

「混乱するかどうかは、こっちが決めるよ。隠し事は御法度だとはわかっているよね!」

「そうすね、では言いますよ。実は、天ちゃんが裏口から連れ去られた時間に、近くに三人の主婦がいたんすよ。ラウンジがありまして、そこで休憩をしていたというか。しかし、彼女たちは、裏口から連れさらわれた天ちゃんを、見ていない、って言うんすよ」

「見ていないって、三人の女性がか?」

「いえ、正確には一人なんすけど。あとの二人は、裏口通路に背を向けて座っていたようすから、背中では見ることは不可能です。問題は通路が見える位置に座っていた女性なんす。彼女、佐治さんという名前の主婦すけど、その時間帯、裏口通路を通る人影を、まったく、誰一人見ていない、って証言しているんすよ」

「何だ、一人だけかよ」

「ええ、一人だけす。絶対に、誰一人通ったものを見ていない、って証言しています」

「あんたねえ、そんなの、その女性の見落としに決まっているだろ。つまらない報告をするものじゃないよ。一瞬、三人の女性が、見ていないと思って戸惑っただろ」

「ええ、ですが、姐さんが、どんな、ささいなこと、でも教えろと言いましたから。それに、混乱をするとも忠告しておきましたし」

 数弥は面白なさそうな顔をして答えた。

「確かにそうだったけど、他にはないのかい。もっと、事件のカギになることとか」

「すみません、まだ」

 競羅はなおも追求を続けようとしたが、横から御雪に洋服のすそを引っ張られた。

「何だよ!」

「おそらく、数弥さんは、本当に何もご存知ないようです」

「それで?」

「それで、では御座いません。わたくしたちが、ここを再び、訪れました理由をお忘れですか。守衛の方のお話を、うかがうためではなかったのでしょうか?」

「おっと、そう言えばそうだったよ」

「思い出していただければ、よろしいのです。さようなことで、まずは、この場を」

「ああ、そうだね」

 競羅は、まずは御雪にそう答えた。そして、次に数弥の方を振り向き、

「とにかくね、何か情報が入ったら、必ず報告をするのだよ」

 と言葉を残すと、その場をあとにした。


 そのあと、彼女たちは、本日二度目の港豪苑の入口をくぐった。警備室内では、衛藤君が、窓口前でむずかしい顔をして宙をにらんでいたが、二人の来客に気がつくと、仕切りガラスの応答口から、いつもの口調で声をかけてきた。

「おや、大天使ちゃん悪魔ちゃん、また来てくれて。愛のささやきが足りなかったのかな」

「あんた、いい加減にしな! こんなときに、ふざけている場合ではないだろ!」

 競羅の一喝に、一瞬、衛藤君は目を丸くしたが、まずいと気がついたのか、

「わるかった、確かに、今は冗談を言っている場合ではなかったかな。ここに来た用件はわかっているさ。あの子がさらわれたことかな」

 と今回は、すぐに、普通の言葉使いになって応対を始めた。

「そうだよ、よくわかっているね。それで、朽木っていう奴について聞きたいのだけど」

「まずは一言、裏切られたっていう感じかな」

 答えながら、衛藤君は顔をしかめた。

「感想はどうでもいいよ。奴のことについて知っていることさえ、話してくれればね」

「警察にも言ったけど、実のところ、よく知らなくて。無口で何も話さない人だったし」

「まったく知らないってことはないだろ。一緒に仕事をしていた同僚のはずだしね」

「同僚と言われても、会話なんて、ほとんどなくてさ」

「それでも、仕事上の話ぐらいはあっただろ」

「そうだけど、本当に仕事のことだけしか、話しかけてこなかったし」

「何か聞いていないのかよ。よく行く、立ち回り先とか店とか」

「それもないね。逆に穴吹さんなら、そういうことについて、Hな話ばかりしてくれるから、その分退屈しないけど、なじみの店の姉ちゃんのおっぱいが大きいとか・・」

「衛藤守衛!」

 御雪の厳しい声がした。その声に、衛藤君は思わず肩をすくめた。その御雪は、いくぶん顔を赤らめながらも、質問を始めた。

「まったく、何もご存知はないのでしょうか。主任の正式なお名前とか?」

「名前ぐらいは、さすがに知っているさ。朽木留治て」

「とめはる様ですか。あとのことは? たとえば、確か元警察官でしたね。やはり、警視庁にお勤めでしたのでしょうか?」

「いや、神奈川県警。現役時代は有名な刑事だったらしいね」

「さようで御座いましたか。それで、お住まいはどこでしょうか?」

「だから、プライベートのことにまでは知らないよ。どうしても気になるなら、あとで本部で、尋ねればいいと思うけど」

「となりますと、ご家族のことも存じ上げませんよね」

「主任は一人暮らしさ。だから僕と同様に、ほとんどここが、ねぐらということで」

「一人暮らしですか」

「前に奥さんはいたけど、死別したということを、何かの拍子で言っていたから。あと、どうも、娘さんもいたらしいのだけど、ちょっと、その話は・・」

 ここで、衛藤君の言葉が止まった。すかさず、尋ねた競羅、

「何か、隠し事があるみたいだね」

「いや、本当のプライバシーさ。だいたい、今回の事件には関係がないし」

「関係あるかないかは、こっちが決めるよ! 知っているなら言いな!」

 競羅は厳しい顔をして詰め寄った。その顔に衛藤君は観念したのか次の言葉を、

「もうーこわいね、わかった言うよ。これは主任からではなく、会社の他の人から聞いた情報だから、確信は持てないけど、その娘さん、十七年前に水死体で見つかったとか」

「水死体だって。殺されたのか」

「どうも、話によると、海への身投げらしいね。主任に愛想がないのは、その事件が大きく人生を変えたのではないかな。話してくれた人も、『まあ、そういうことだから退屈でも我慢な』と言っていたしね」

「そうかよ。それで、その自殺をした原因は何だよ?」

「そんなの、わかるわけないよ。探偵なのだから、自分たちで調べれば」

「さようで御座いますね。では、さようにさせていただきます」

 御雪が中に入って言った。そして、そのまま質問を続けた。

「では、別の質問に入らせていただきます。その朽木主任のことですか、今回の事件の前に、何か妙な様子は御座いませんでしたか?」

「妙と言うと?」

「落ち着きが御座いませんとか、よそよそしいとか、ですけど」

「そんなことは、なかったなあ。あるとすれば、さっき、警察に話したことぐらいかな」

「あったのかよ! それって何だよ!」

 またも、突っ込んできた競羅、

「今日の午前中、メンテナンスの会社から、夕方に空調器械の点検をする、っていう電話がかかってきたのだけど、その電話、主任が取ったとき、一瞬、顔をしかめたような」

「それって、本当に点検の会社だったのかい! 今回の拉致の命令とか」

「急な連絡だったから、十条警部も怪しんだみたいで、そのメンテナンス会社に確認を入れたら、向こうも、その時間に電話をかけたことを認めたよ。だから、絶対に違うね」

「しかしね、もしそうだったら、奴は、いつ指令を受けたのだよ!」

 その納得をしてない競羅に向かって、御雪が声を出した。

「競羅さん、落ち着きませんか。あったといたしましたら、おそらく、携帯等でしょう」

「携帯、確かに言われて見れば、そっちを使うよ。ばれたら面倒だからね」

 競羅は、ばつが悪そうな顔をしたが、すぐに思い出したように、次の質問を、

「それで、その肝心な点検は、どうなったのだい?」

「中止さ、こんな事件が起きたら、それどころじゃないからね。今から思うと、主任の態度、行方をくらます予定だったから、面倒なことはいやだ、と感じたのじゃないかな」

「きっと、そうだろうね。それで他に、奴について何か気づいたことは?」

「あとはないね。たいていのことは警察に話しておいたから、そっちで頼むよ」

「承知いたしました。このたびは、お手数をおかけさせてすみませんでした」

 潮時と感じたのか御雪は最後にそう言い、衛藤君との会話は終わった。


 マンションを出ると、すぐに競羅が口を開いた。

「思ったより、話が進まなかったね」

「わたくしは、衛藤守衛のお話、かなり、参考になりましたけど」

 御雪は収穫があったのか、機嫌よさそうな顔をしていた。

「実行犯が、口数が少ない愛想がない人物、とわかったことだけだろ」

「さようで御座いますか。わたくしとしましては、ある程度の背景が判明したということで、調査がしやすくなりました」

「けどね。あの子の連れ去られた場所がわからなければ、意味がないだろ」

「確かに、さようで御座いますが、神奈川県警の朽木留治氏ですか。なかなか、興味をそそられます過去をお持ちでしたね」

「過去というのは、十七年前に娘が自殺したことか」

「さようで御座います」

「関係ないだろ。人生観を変え、悪党に成り下がった動機にはなるけどね」

「さようなことも含めまして、今、一度調査をいたします。時間は御座いませんが」

「それなら、しっかりと頼むよ。しかしね、何というか。つまらない内容が多かったね」

 その競羅の言葉に、御雪は反応した。

「競羅さん。一言申し上げますと、一見、つまらないと思われるものでも、実は、真相につながっていく重要な要素ということが、結構あるのですよ」

「けどね。見落としを意地張る女性とか、点検の話なんて、真相とは、ほど遠いだろ」

「そちらの話でしたか。さすがに、わたくしも、さようのことにつきましては無関係だとは存じますが、世の中いかようなことになるか、わかりませんので。何にいたしましても、ここで、一度、行動を別々にいたしましょう」

「ああ、こっちも事件からずっと、あんたとつきあってるから、少し休まないと。あんたとしても、こっちが、いないほうが調べやすいと思うし、いい報告を頼むよ」

「ご期待にそえられるようには、するつもりです」

御雪はそう答え、二人は、天美拉致の現場、港豪苑をあとにした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ