婚約破棄を申し出たら相手の思う壺で、婚約解消→告白→失恋→借金→それから?になってしまいました。
「アイシュリート・ラインハンスト嬢、私との婚約解消は承諾してもらえないだろうか?」
カフェに呼び出したアイシュリートはきょとんとして、笑顔で答えた。
「はい。いいですよ」
一世一代の決意で言った婚約解消をいとも簡単に、いいですよ。だと?
「本当にいいのか!」
「はい。勿論エルバトーレ・カイッベッティ様の有責ですよね?」
これに首肯いていいものか自己保身を考えてしまった。
元より、私の我儘での婚約解消。当然私の有責だと考え、条件も固めてきていた。
だが、いとも簡単に婚約解消を認められたのなら、こちらの有責にしなくてもいいんじゃないかと思ってしまったからだった。
「アイシュリートも婚約解消したかったのだったら、私の有責とは認められない」
「そうですか。では婚約解消は認められません。では、お話はここまでですね」
「失礼します」と言いながら立ち上がり、テーブルから離れていこうとする。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「まだ何かございましたか?」
「アイシュリートが望む有責の条件は?」
「エルバトーレ様の有責であると認めること、有責の条件は互いの両親が決めることですね」
「それだけでいいのか?」
「私としてはそれで十分です。ただ、私の両親がどんな条件を出すのか、私には解りません」
どんな条件か分からない事にさすがに了承してはならない事は分かっている。
でも、婚約解消はなんとしてもしたい。
解っていたのに、アイシュリートの条件をのみ、アイシュリートがその場で制作した書類にサインしてしまった。
アイシュリートはうきうきと言ってもいいほどの機嫌の良さで、私に別れの言葉を告げ、踊るようにカフェから出て行った。
呆然とその後ろ姿を眺め、本当にサインしてしまってよかったのか、後悔した。
私が婚約解消を望んだのは、アイシュリートを愛せなかったのと、ミラルーシュ・ホッヘルシーアとささやかな愛を育んでいたからだった。
互いに見つめ合うだけで頬を染めるようなそんなささやかな愛である。
問題を先送りにして、私はミラルーシュに会いに行くことを決めた。
ミラルーシュとは何の約束もしていないけれど、心は通じ合った自信がある。
自分の身の回りを整えてからミラルーシュに告白しようと決めていた。
必ずイエスと言う返事がもらえると私は確信していた。
ミラルーシュがアイシュリートと婚約解消したカフェに到着するまでにはまだ一時間ほどある。
私は一旦カフェを出て、時間をどう潰そうか思案した。
懐にしまったアイシュリートとの婚約解消の書類が、存在を主張するような気がする。
アイシュリートも私のことは好きではなかったのだろうか?
アイシュリートのあっさりと了承した顔を思い出して気鬱になった。
約束の時間が近付いてきてカフェに戻ると、ミラルーシュがもう、着いていた。
ミラルーシュの背後には側付きの男性が控えている。
「すまない。待たせてしまったかな?」
曖昧に笑うミラルーシュにどう話せばいいのか解らなくなった。
「エルバトーレ様、今日はどのようなお話でしょう?」
ミラルーシュから切り出され、ホッとした。
「私は今日、アイシュリートと婚約解消をした」
「そう、なのですか?」
「自分の身辺を綺麗にしてからミラルーシュに告白しようと決めていたんだ」
「こくはく?」
「私と結婚を前提に付き合ってもらえないだろうか?」
「・・・申し訳ありません」
「えっ?」
「私、マスカル・ポロローゼ様と婚約していますので、お付き合いは致しかねます」
「えぇえええっーー?!!婚約っていつ?」
「昨日のことでございます。内々には一年ほど前から決まっておりましたが、マスカル様のお家に不幸がありまして、昨日まで延期になっておりました。やっと婚約できて私、とても幸せでございます」
「ミラルーシュ嬢となんとなく心の交流を計れていたと思っていたのだが・・・?」
「ん?えぇーとっ・・・?あっ!もしかして、数学の問題で同じところが解けなくて悩んでいたときのことですか?」
そんな些細なことだったろうか?
もっとこう、仄かに甘い雰囲気があったと思うんだが・・・。
「婚約されたのは間違いないんでしょうか?」
はい。と答えて、胸元から指輪をネックレスに通したものを取り出し、私に見せてくれた。
「マスカル様から婚約の印に、と指輪をいただきました。まだ指に嵌めるのが恥ずかしくて、今は胸元に隠しています」
うふふっと笑うミラルーシュはとても可愛らしかった。
「申し訳ありません、婚約解消されたと仰ったのに、ご希望に添えなくて。御用がそれだけでしたら私はこれで失礼いたしますね」
側付きの男性に睨みつけられ、ミラルーシュはアイシュリートと同じ様に弾むように出ていった。
私はテーブルに肘をついて頭を抱え込んだ。
アイシュリートと婚約解消する前にちゃんと確認するべきだった!!
婚約していたって仄かに誰かに好意を抱くことなんて誰の身にも起こり得ることだった。
勝手に婚約破棄したのは大失敗だ。
せめてミラルーシュと上手くいっていればよかったのだけれど・・・。
家に帰って父上になんて話せばいいんだろう・・・。
とぼとぼと俯いて歩いていると、友人のレーヴァインが正面から声を掛けてきた。
「どうしたの?こんなところで・・・えらく落ち込んでいるように見えるけど」
「実は・・・」
目の前で腹を抱えて笑うレーヴァインに腹を立てたものの、笑われても仕方ないかと落ちた肩が更に落ちた。
レーヴァインがそんな私の姿を見て、申し訳なく思ったのか謝ってきた。
「気にしてないからいいよ」
そう言って俺はレーヴァインに別れも告げず、重い足を一歩踏み出した。
玄関の扉が開けると、執事のヨゼフが待ち構えていて父の執務室に連れて行かれた。
そこには父だけではなく、母と兄も居て、私の帰りを待ち構えていたようだった。
「どういうことか説明しなさいっ!!」
父が怒鳴り、母が詰め寄る。
「婚約破棄したって本当なの?」
兄は腹を抱えて笑う。
「ばかだなぁー」
「・・・婚約破棄ではありません。解消です」
懐から婚約解消の書類を三人の前に置く。
また三人三様の色んな言葉が出てきて、私は身を小さくさせた。
「どうして婚約解消なんかしようと思ったんだ?」
「・・・好きな人が居て・・・」
三人の顔が複雑なものになる。
「誰なんだっ!」
「フラれてしまいました・・・」
兄が吹き出して、大笑いする。
「なに?思い合っていたわけでもなく、一人でのぼせ上がって婚約解消しちゃったの?」
「残念ながらそういう事になります・・・」
母が少しトーンダウンして、私の隣に座り肩を抱いてくれた。
父が咳払いをして、その場を引き締める。
「婚約解消するにも何故私に話を通さないんだ!こんな自分勝手なことをしてどうするんだ!考えなしにもほどがある!!」
「申し訳ありません・・・」
一枚の紙を差し出され、ラインハンストの条件が書き連ねられていた。
「これは・・・?」
「お前が認めた有責の対価一覧だ」
1.今まで頂いたものは一切返却しない
2.婚約に伴って交わされた契約は破棄しない
3.婚約解消に伴って必要になる費用の一切をカイッベッティが支払うものとする
4.アイシュリートに一切の責はないと発表すること
5.今後、アイシュリートに関わらないこと
6.慰謝料として金貨五十枚支払うこと
7.6の期限は一ヶ月以内とする
「これすべてがラインハンストの条件ですか?」
「そうだ。交渉はしてみるが、エルバトーレが持って帰って来た婚約解消の書類がある以上、出された条件はすべて呑まざるを得なくなるだろう。こんな白紙といってもいい契約書にサインするバカが居るかっ!」
「申し訳ありません・・・」
「今まで次男だと思って教育が足りなかったようだ。今日からしっかりと教育し直す!!」
兄に付けられていた家庭教師が私にも付けられ、重点的に契約について教え込まれることになった。
私は一日で婚約解消して、告白して、振られて、家庭教師を付けられ、借金金貨六十枚を背負うことになった。
金貨十枚上乗せされたのは、婚約解消に必要な費用と、父の労働対価だそうだ。
婚約解消をした次の日、アイシュリートと第三王子の婚約が発表された。
何でも二人は大恋愛だったそうで、困難に打ち勝ち、互いが求めあった結果婚約へと至ったらしかった。
レーヴァインが私の肩を抱き「気の毒に」と言った。
本当に気の毒に思ってくれていたのか、ある日、一人の女性を紹介された。
一歳年上で、クェンティン・チェルシリーノ。
少し病弱で、儚くて消えてしまいそうな雰囲気を持つ人だった。
年上だからなのか、クェンティンの性格なのかとても落ちついていた。
「今までどうして婚約者が居なかったんですか?」
「いえ、居ました」
「そうなの?」
「はい。第三王子と婚約しておりました」
「えっぇぇーー!!」
「驚かれますよね」
苦笑というか、愁色といえばいいのかとても複雑な表情をした。
「知っておられますか?私の元婚約者は第三王子の今の婚約者です」
「まぁ!」
「レーヴァインはすべて知っていて僕達を会わせたんだと思います」
「それで・・・」
「なんですか?」
クェンティンはクスリと可愛らしく笑った。
「私の婚約解消の経緯を聞いていただいてもいいですか?」
「話すことが苦にならないのなら」
小さく笑ってクェンティンが話し始めた。
第三王子のラングルトと婚約が決まったのは王子が七歳、私が八歳のときでした。
私は当時、幼馴染で大好きなチェルライトと婚約できるのだとばかり思っていました。
それなのに婚約者は第三王子のラングルトだと言われ本当にがっかりしたのを今でも覚えています。
初めて顔を合わせたときから印象は最悪でした。
第一王子も第二王子もまともな人なのに、第三王子になって教育を諦めたかのような子供でした。
立っているべき時に座り、座っているべき時に立ち、黙っているべき時に喋る様な子供でした。
そんな厄介者を押し付けられたと八歳の私でも分かりました。
婚約が決まった理由はラングルトが私を選んだからだと聞かされました。
そこで大事にされたのなら問題も少なかったのかもしれなません。けれどラングルトは女の子にいや、人に優しくするという基本的なことを出来ませんでした。
ラングルトに悪意はなかったのかもしれません。が、乱暴に扱われて私はラングルトに会う度に嫌いになってしまいました。
王妃になることはまずないが、王妃教育だけは婚約と同時に始まりました。
ですが、体が弱かった私は一週間連続で王宮に向かうことは難しくて、二日行っては一日休む。そんなペースで王妃教育を受けていました。
ラングルトは王宮に行った時に顔を見せないと、その次に会った時に機嫌が悪く、その機嫌を取るのに苦心しました。
「クェンティン!王宮に来た時は必ず私に会いに来いと言っているであろう!!」
「ですが、ラングルト様は私の嫌がることばかりなさいます。この間は私に石を投げつけたではありませんか」
「妻となるのだろう!それぐらい我慢しろ!」
「石を投げられても我慢しないといけないのなら、妻にはなりたくありません」
「なまいきだぞっ!!」
手近にあった花瓶を水が入ったまま投げつけられました。
使用人達の前で話した内容は直ぐ、王妃に報告され、次に王宮に向かった時に王妃から呼び出しを受けることになりました。
王妃からは「ラングルトの機嫌を悪くするようなことはするな」と叱られ、王妃教育が終わるとラングルトに虐められました。
毎回ラングルトがしたことは無かったことになり、私が口にしたことを王妃にぐちぐちと言われ、迂闊なことを口にしてはいけないと、幼いながらも悟りました。
成長とともにラングルトの興味も移り変わっていきました。
どうやら好きな子が出来たみたいで、私への関心はなくなり、公務以外で会うことはなくなりました。
つい先日、公務以外で久しぶりに呼び出され、ラングルトに告げられました。
「お前のような面白みのない女と結婚などしたくない。ここにお前の名前を書け!」
そう言って差し出された文書を読むと合意の上の婚約解消でどちらにも一切の責任はないというものだった。
私はラングルトの目の前で破いてみせた。
「何をするんだっ!」
「ご自分の都合のいいように書かれたものではなく、相応しいものを用意して下さい」
ラングルトは手近にあった本を投げつけてきましたけど、馴れって凄いですよね。最近では当たること無く回避できるようになりました。
家に帰ると父にラングルトの目の前で破いた文書を見せ、ラングルトに好きな子が出来たようだと伝えました。
婚約解消は望むところなので、受け入れるが、王家から搾り取れるだけ搾り取れるように、調査を頼みました。
そして、私がラングルトにされたことを書き綴った日記を父に渡しました。
○月○日 目撃者 サーシ・カルミ
石を投げないで下さいとお願いすると、池に突き飛ばされた。
その日の夜から四日間熱が出て起き上がれなかった。
○月×日 目撃者 騎士マーク・キャル・サーシ・カルミ・ゲーテ
昆虫の卵を食べろと私の口元に突きつけ、断ると拳で殴られた。
二週間青痣が消えなかった。
○月×日・・・・・・・・・・・。
目撃者がないことも稀にはありましたが、腐っても王子殿下のため、侍女や騎士が目撃していました。いつかこういう日が来るだろうと八歳から今日までずっと書き連ねてきました。
いつか王子の身勝手で婚約破棄か、解消されるだろうと思っていたので。
父が証拠集めをして、私の日記を持って王宮に行ったのは、ラングルトに殴られた日でした。
唇の端が切れており、血が流れて顔ははれあがっていました。
ラングルトに付いていた騎士が、止めなければもっと酷い怪我を負っていたと思います。
殴られた理由は婚約解消の書類に私がサインしないからでした。
私の証言と日記、今回の怪我の診断書と父が集めたアイシュリート・ラインハンストとの逢瀬の証拠を差し出し、婚約解消を望みました。
父は王家より慰謝料と迷惑料として金貨七百枚と婚約解消の原因はラングルトにあると認めさせました。
「これ、ラングルト様とアイシュリート様の逢瀬の証拠です。エルバトーレ様と婚約していた頃からの不貞になりますので慰謝料を取れると思います」
そう言ってクェンティンが十枚ほどの報告書を私に差し出してくれた。
「いいの?」
「はい。私はたっぷりいただきましたので、エルバトーレ様も取れるだけもぎ取ってきて下さい」
「ありがとう!!」
次に会う約束をして、クェンティンを家まで送り届けて私は急いで家に帰った。
父にクェンティンから受け取った報告書を見せた。
父も喜色を顔に浮かべ、ラインハンストへと使者を出した。
二日後父はラインハンストから金貨二百枚をもぎ取って帰ってきた。
私の借金は0となったが、家庭教師だけは付けられたままだ。
知らなかったことが多かったので、これはこれで良かったと思っている。
翌日、アイシュリートが私のもとにやって来て私に怒鳴り散らしていたが、恥の上塗りをしただけとなった。
クェンティンの父が第三王子とアイシュリートの不貞を公表したからだった。
私とクェンティンはちょっとずつ前に進んでいる。
互いに傷ついていたこともあるし、あっちがくっついたからこっちも・・・みたいで、ちょっと・・・ね。と二人で考えてしまったせいもある。
半年もせずに第三王子がアイシュリートに暴力を振るったと、アイシュリートが皆に触れ回っていたけど、俺達にはもう関係ない。
だって、今日初めてクェンティンと手を繋いだから。
内々に婚約の書類にサインした。
クェンティンは頬を染め、私に極上の笑顔を見せてくれた。
婚約の発表は、クェンティンが卒業する少し前にしようと両家で決められた。
私が卒業したら直ぐに結婚しようとクェンティンと約束をした。
また馬鹿な子が書類にサインする話になってしまいました。