生人形(いきにんぎょう)
径端、血溜まりの中、倒れ震え悶える仔犬。
馬車にでも撥ねられたのか、出血は酷く眼球と内臓が飛び出し、砕けた骨は皮膚を破り顕わに。
もう助かるまい。誰の目から見ても明らか。
手当も薬も治癒の術も、死に行く仔犬の運命を変える事は出来まい。
其方ならどうする?
吾輩ならこうする。
……
――とあるゴア・ゴッグ・ゴーマの信徒の手記より
※ ※ ※ ※ ※
何故、俺は“生まれ”てきたのか?
答えは潔し、“死ぬ”為、だ。
死の前には必ず生があり、生の前に死等有り得ない。
誕生があってこそ往生があり、往生を迎える為に必ず誕生がある。
創造と破壊もこれに同じ。
だが、共に終焉であるとは限らない。往生も破壊も、それがその儘、終焉とは証明出来ない。
だからこそ、俺は死を意識する。
死ぬ為に生きているのだから。
生とは死ぬる為に必要であり、死とは終焉を迎える上での途半ば。だからこそ進む、その先を目指して。
お前の命を貰うのは、お前に先を譲るだけ。答え探しの苦悩は、取り敢えず俺が背負うとしよう。
ああ、無論、俺も追いつくさ。
先に逝って待っていろ。
終焉の先にこそ、答えが待っている。
然様ならは云わない。また、会おう、我が“敵”よ!
――――――― 0 ―――――――
王者達の泉は凍らない。
万王都ル・カーーン・リの北、大河ジャヴァとその河跡湖に囲まれた諸王の王の直轄地。そこは諸王の王崇拝の中心地にして聖地。その奥の奥、諸王の王本人と特別の許しを得た一部の血縁、諸王崇拝者の高位にある一握りの巫女以外、如何なる者も立ち入る事を禁じられた聖域ヌ・ルグ。
その中央にある“始まりの祠”と“一なる泉”は、諸王の王に絶対の安息が約束された、連合王国唯一無二の絶対不可侵領域。
この禁を破る事はそのまま、連合王国の“大敵”とされる。国法も王命も、この禁の前には無力。それ程の絶対、自明の理。
老王ダンクーガと孫娘ラナの二人がお忍びで泉に訪れたのは年明けの穏やかな晴れた日のこと。
酷寒の王国にあって真冬の旅は忌避される。況して王は高齢。聖所に出向くとは云え、この時期に足を運ぶとはその旨を告げた側近以外、誰一人考えもつかない。
それ程に珍しく、特別なのだ。
礼拝を済ませると巫女達に人払いと立ち入りを禁じ、二人きりで始まりの祠の中へ向かい、一なる泉の畔で暫し休息。
束の間、老王の普段からの厳しい險は消え、穏やかな老人の表情に。
その優しげな顔、唯一の肉親であるラナでさえ、ここ何年も見た事がない。小さい頃にはよく見た記憶がある。勿論、それさえ二人っきりの時に限られはするが。
御爺様の苦悩は理解している、そのつもり。
それでも、及びもつかない大変な苦労を背負っている筈。
多分、わたくしにも関係ある事。
その全ての理由を知る事等、わたくしには到底分からないけれども。
――沈黙。
それが破られたのは、老王の眉間の深い險がいつも通り表れた直後。
「ラナよ――間もなく、間もなくだ。其方の守護者が参ろう」
「――……」
「其奴めの到来と出会いとが其方の運命を大きく、大きくうねり変えようぞ。想像を絶する程に。
今から少しだけ語る余の話、其方の魂に聢と刻み、努々《ゆめゆめ》忘れるでないぞ! よいな?」
「――はい、御爺様……」
―――――
わたくしの両親は物心がつく前に亡くなっている。
両親の父と母も若くして亡くなり、その亦父母もやはり若くして亡くなっている。
血縁としての御爺様とわたくしの関係は高祖父と玄孫。公的な続柄として祖父と孫になっている。
公的な親娘になっていないのは、立太女礼を御爺様が避けている為。これには大きく二つの理由が挙げられる。
一つは、グリザンドラ王家の血筋は代々女系。女子でならなくては王位を継げないという訳ではないし、そんな掟も習わしもない。単に、男子の世継ぎが殆どおらず、生まれたとしても短命な事が多かった結果に過ぎない。
その為、家長となる女子の夫が先王の養子となり、王位を継ぐ事が歴史的に多く続き、御爺様も例に漏れず婿養子。
グリザンドラ王家は女王戴冠を禁じている訳ではない。事実、歴史を遡れば幾人かの女王が存在している。併し、連合王国の構成国になってからは、女王は一人しか戴冠していない。
これには複雑な事情がある。連合王国の統率者たる“諸王の王”に女王が選ばれ就いた事はその長い国史の間、一人しかいない。それが奇しくも時のグリザンドラ女王。
その唯一人の“諸王の王”となった女王の時代、連合王国は数多の内乱が相次ぎ、国土は疲弊し、混迷を極めたらしい。連合解消待った無しといった状況に迄追い込まれ、所謂、暗黒時代として語り継がれている。
連合王国史上、最長在位の“諸王の王”として君臨する御爺様が王太女を立てる事に慎重な理由。
もう一つが、王太子礼を執り行った正統な世継ぎが次々と亡くなった為。
曾祖父も祖父も、そして、父さえも王太子になった後、亡くなっている。
この凶事が続いた結果、御爺様にとって宿命めいた因果を意識せざるを得ず、親娘として立太女礼を執り行う事態を避けている。
恐らく、こちらの理由の方が大きいのだろう。
少なくとも、わたくしにはそう見える。
「其方の父と母が亡くなった後、余は喪に服すと称し、遑を取った。
それを機に、余は遠くイ’ズールの北シャンダーファーリィ高地を越え、野蛮な馬賊と混じった一神教徒が交易する禿鷲を信仰する砂山の都“堕落した”バウヴァーウに赴いた。燻された麻薬の香り漂う失当の大地で開かれる呪われた闇市と秘匿された悍ましい邪教と接触する為に!」
「……」
一体、何を?
御爺様はわたくしに何をお伝えなされる気?
―――――
余の目当ては、――奴隷市場。
並の奴隷市など、我が国の街々で開かれておる。併し、余の求める奴隷は、厳格な法整備下の許可制による奴隷取引では決してない。
抑々、一口に奴隷と云ってもそれぞれの国や地域、民族、種族、信教、風習、文化、職種他、取り扱い方や立場は大きく異なり、我々の常識等と云うものは集落毎に異なる思い込みの類に過ぎない。召使、農奴、剣闘士、所従、下人、捕虜、乞胸、無宿、生口、奴婢、山窩、野盗、賤民、放免、穢多、非人、呪難亊――挙げれば切りが無い。
数多の隷属おれど、余の求めた奴隷はいずれでもない。
余の欲した奴隷、それは――
「“生人形”!」
「!? 生人形? ……何ですの、それは?」
空人、憑代、捨鉢、娚弄、生器、植人、死に急ぎ。呼び方は数あれ、どれもが全て同じモノ。そう、生人形。
王国広しと云えど、生人形の入手は我が国では不可能。抑々、生人形の存在そのものが伝説の域を出ない。事実、己自身の目で見、触れる迄、疑念を抱いておった。
生人形とは――
「空っぽの人間」
「からっぽ?」
そう、空っぽ、それが生人形。
生きる為に必要な血肉や四肢、臓腑他、人としての器官全てを持ち合わせ、生物としては何一つ欠損なく、他の者と何等変わりない。
違いがあるとすればそれは……
――魂が無い。
魂の存在しないそのようなモノが、斯様にして生まれてくるのか、神官も医師も長老も賢者さえも分からない。呪難亊の類と推測する者もおるが、抑々稀有な存在である為、確かめる術がない。
名工であれば創作物にさえ魂を与え、長らく珍重された宝物には魂が宿るとされる。物にさえ魂が宿ると云うのに、その人の姿をした生き物にはそれが無い。
魂を持ち合わせないモノは朽ちるのが早い。
極々稀に生人形と覚しきモノを宿しても死産。仮に生まれてきたとしても間もなく亡くなる。魂の無いモノが生き存えるのは奇蹟の為せる業、そう考えざるを得ない。
「その子は、生まれ出でて二年の歳月を迎えていた」
「数えで三つ、二歳児と云う事ですね?」
「そのように聞いた。丁度、其方がそのくらいであったので、凡そ、その通りであったろう」
「――……」
魂の無いモノは乃ち、生きる気力が無い事を指す。
だと云うのに、その子は生き続けていたのだ、二年もの間。
桁違い!
その子の生命力は桁違いなのだ。
気に入った。
その子に、ジクウ、と名付けた。
余が幼少の折、夢で見た啓示にあった書。後日、とある妖術師から手に入れたダルハンブラ手稿。夢で見た書と酷似していた。
その書に記されていた印象的な謎の文字列、或いは記号。有数の神学者と賢者達に解読させ、我が国の発音に置き換えた。それがジクウ。
意味迄は分からないが甚く気に入った音。恐らく、余にとって、余の人生を締め括るにおいて重大な“なにか”を示すであろう音韻、そして、福音。
それをその子に与えたのだ。
「其方の為に」
「――わたくしの……」
大陸において特定の土地に根差した国家や組織を除き、最も謎めいた流浪集団と云えば、半ば伝説化、いや、神格化されている殺人カルト“ゴア・ゴッグ・ゴーマ”。
人種や民族はおろか種族さえ問わず、如何なる文化、風俗、宗派をも問わず、絶対的な畏怖を伴う哲理の下、あらゆる死者を弔う秘密結社。
どれ程調べようと、どれ程探ろうと、絶大な権力を有する余ですら、その実態の一部さえも微塵も把握する事の出来ぬ闇。
そんな暗殺教団に纏わる奇っ怪な噂を聞いたのは偶然。
万王都に訪れたイ’ズール神秘主義を語る坊主から暗殺教団の首長“死主”の選抜法を知った。
奴等は、蝕の起こる年、バウヴァーウで聖祝期に開催される闇市で生人形を競り落とす。その生人形を教団の継承者の一人と見なし、新たな指導者“死主”へと育成する、と。
我が国の天文学では蝕の出現を暦上知る事が出来ず、不確定な予言に頼るのみとなる為、イ’ズールの天文学者を呼び寄せ、事態に備えた。
偶然が偶然を呼び、喪に服す頃合と蝕の発現は合致。
バウヴァーウへ旅立ち、闇市で生人形ジクウを競り落とし、暗殺教団に譲ったのだ。
そして到頭、ジクウは念願の死主の座に就き、愈々教団は約束通り、余への借りを返しにやって来る。
「其方を護りに」
「――わたくしを……」
―――――
御爺様の語り口、妙に熱を帯びている。
大衆や臣下に向けて弁舌を振るわれる際に見せる演技とは亦違う熱意、熱気。
もしかして、酔われている?
酔い痴れていらっしゃるのだわ、ご自身に。御爺様ご自身とわたくしに起こるであろう数奇な運命と未来とに。
――寒い。
御爺様の熱意が、執念にも似た底知れぬその熱気は、わたくしの心から温もりを奪い奪い燃えているかの様。
疾うに壊れていた筈のわたくしの心は、まだ、失われてはいなかったのだわ。
だからこそ、震える。
その凍てつきに――
凍ることのない泉の畔、わたくしは先の見えない運命と云う名の漠然とした焦燥感の中、独り凍えていた。