第4話 回復魔導士
大学から、一人暮らしをしているアパートに帰宅したすみれは、スマートフォンの中の、作成したばかりの自分のアバターを眺めていた。
あの後、美術室で六人はゲームアプリを、それぞれのスマートフォンにダウンロードした。
役職は部長の大志が剣士、千尋が槍使い、麗美が弓使い、亜里沙と絵美里が攻撃魔導士になった。
そして自分のアバターを作成した後、大志はすみれに言った。
「雲井。お前は回復魔導士をやれ。攻略サイトによると、パーティの中に必須らしいからな。頼んだぞ」
自分で役職を決められなかったものの、一応「頼んだ」と言われたからやる気は出る。だが、問題があった。
回復魔導士自身、一人では戦えない役職なのだ。
回復魔導士ができるのは、その名の通り、自分を含む味方への回復や防御力を上げるなどの補助のみで、攻撃技は一切覚えられないのだという。
「一人じゃ何もできない……まるで私みたい」
通常はモンスターと戦ってレベルを上げるが、自分にそれは出来ない。だから、攻略サイトでは、経験値があまり多くないという理由で、非推奨の依頼クエストでのレベル上げが必要になる。
どの役職でも共通しているが、レベルが高ければ高いほど、できることは増える。大志が期待していることは、サポートで使用できるNPCの回復魔導士以上の存在になることだ。ならば、早めにレベルを上げて、上手く補助を出来るようにしなければ。
攻撃技が覚えられない代わりに、他の役職と比べてレベルは上がりやすいらしい。
「よし。やるか」
すみれは気合いを入れると、ゲームをやり始めた。
それから一週間は、各々ゲームを攻略しやすくする為のレベル上げ期間にした。そして一週間後、全員が共通している空きコマを使って、部室でパーティ揃ってゲームを始めた。
メンバーの平均レベルは20前後だったが、すみれはレベルが35になっていて、突出していた。
ある程度進めたところで、お開きとなった後、部室から出ていこうとしていたすみれに、残っていた千尋が言った。
「すごいレベルだね。そこまでレベル上げするの、大変じゃなかった?」
千尋が少し心配そうに尋ねるが、すみれは首を横に振って笑顔で返す。
「回復魔導士って他の役職よりレベル上げがしやすいみたいで、そこまで大変じゃなかったですよ」
すみれの笑顔からそれが嘘じゃないことを察した千尋はほっとした表情を見せる。
「それならよかった。でも、本当に無理はしちゃダメだからね?」
そう言う千尋に、すみれは大きく頷いた。
「はい! 分かりました!」
それから部長の大志をリーダーとしたパーティは、最初にレベル上げを行っていたからか、特に手こずることなく、メインクエストを順調に進めていった。
ゲームを始めて約一か月が経過し、メンバーの平均レベルは40、すみれのレベルは60になっていた。
その頃になると、ゲーム内ではパーティの中である意味絆のようなものも出来ていた。クエストをクリアすれば、喜びを分かち合ったりもした。
だが、そこからさらに一か月が経つと、メンバーの中で軋轢が生じ始めた。
ある日の昼休み、部室に来た千尋は、見覚えのないパソコンを見つけた。
「大志、このパソコンは何? 部で一台あったはずだけど」
部室でゲームをしていた大志に尋ねると、大志は悪びれることなく答える。
「ああ、それか。スマホだとバッテリーを結構消耗するから、ゲーム用にパソコンを新しく買ったんだよ」
パソコンは良いものなら十万円以上する。いくらバイトしていようと中々学生が払える額ではない。
「そのお金はどこから?」
「そりゃもちろん、部費に決まってるだろ?」
聞きたくなかった答えに、千尋は瞠目する。そして怒りで声を荒げる。
「ゲーム用のパソコンを部費で買うなんて、公私混同だぞ!」
千尋の言葉に、大志は鬱陶しそうに返す。
「千尋は固いな。コンクールの賞金と文化祭の売り上げで元なんて余裕で取れているだろ? だから何も問題ないんだよ」
「金額の問題じゃない! 部費を私用で使うのがそもそも―――」
そう千尋が言いかけた時、大志が千尋にぐっと顔を近づけてささやく。
「美術部の部長に推薦したのはお前だろ? だったら、俺を部長にした責任として、きちんと俺の言うことは聞いてもらわないとな」
そう言って大志は自分の荷物を持って、部室から出て行った。
千尋は大志を追いかけられず、その場に立ち尽くしていた。
大志は変わってしまった。こんな自分勝手な人間ではなかったはずなのに。
それとも、本当は元々こんな人間だったのか。
「大志……」
友人だった者の名を、千尋は呆然と呟いた。
そしてまたある日、美術室ですみれが文化祭での販売用のイラストを描いていると、大志がやってきた。
すみれを見つけると、大志は彼女に近づく。すみれの表情がどこか暗いことに気づくと、声をかけた。
「雲井。お前、また入賞も出来なかったのか?」
冷たい響きの声に、すみれはびくりと肩を震わせる。そして大志に向き直って謝る。
「す、すみません……」
その態度の何かが気に入らなかったのか、大志はすみれを責める。
「本当に何の為に美術部に入ったんだよ。今お前が描いてるイラストも、他の奴にだって描けるから、正直いらない。お前は、部員全員の足を引っ張っているんだ」
大志の言葉にすみれは絶句する。
「私が、皆さんの足を……」
つまり、千尋にも迷惑をかけてしまっているのか。
すみれのショックを受けた顔に満足したのか、大志はすみれから離れ、美術室から出る間際に。
「退部届は俺が用意してやるから、いつ退部しても構わないからな」
嘲りの混じった声で言い放ち、美術室から出て行った。
アパートに帰ってきてからも、大志の言葉がすみれの心の中に重くのしかかっていた。
―――お前は、部員全員の足を引っ張っているんだ
すみれの目に涙が滲む。
言い返せなかった。大志の言葉は間違っていなかったから。コンクールで賞は取れないし、自分が描いているイラストは、他の部員と比べたらあまり上手くはないと思う。
大志の言う通り退部した方が美術部の為になるのは分かっていた。だが、そうしたらこの大学に来た理由のほとんどを失ってしまう。
―――大学でも美術部に入ろうと思うんだ。すみれちゃんが良かったら、一緒に絵を描きたいんだけど……どうかな?
千尋にそう言われたから、自分はこの美術部に、大学に来たのだ。退部したら、千尋と一緒にいられる時間も少なくなってしまうし、大学の中で孤立するかもしれない。
「美術部……どうしよう……」
ベッドの上で膝を抱えた時。
―――何かあったら、遠慮しないで相談してね
すみれは千尋からの言葉を思い出した。そして、その言葉に頼るのが今な気がした。迷惑をかけてはいけないと、意地を張っていたら、手遅れになる気がしたのだ。
そして自分のスマートフォンを手に取ると、千尋の電話番号をかけた。
「―――すみれちゃん? どうかした?」
いつもと変わらない千尋の声に、すみれは安堵から涙がこぼれそうになる。
それを抑えて、すみれは千尋に話し出す。
「……先輩、夜遅くにすみません。相談したいことがあるのですが……」
次話は10月31日に投稿する予定です。