第三章
結局、週末に家に来そうだった小夜香ちゃんには、友達と予定がある、とつまらない嘘をついてやり過ごしてしまった。
12月半ばともなれば、さすがに寒さが身に染みてくる。
人肌恋しい・・・。もう冬本番だってのに、皆元気だなぁ。
そんなことを思いながら、講義が終わった後、学生たちの喧騒の中帰り支度をしていた。
すると同じ講義に出ていた桐谷が、俺の元へやってきて言った。
「モカフラペチーノが飲みたい。」
「わかる・・・頭使って疲れたわ・・・。でもカフェ行くの怠くない?つかもう寒いでしょ。」
「外のカフェテリアで妥協する?」
「フラペチーノないだろ。」
「めっちゃガムシロ入れて甘くすんだよ。」
「体に悪ぅ・・・。」
無類の甘党である桐谷は、時々心配になる物を口に入れていたりする。
練乳のチューブを咥えていた時はさすがに止めた。
「そうやって時々タガが外れたみたいに甘い物食べるのよくないよ?」
「咲夜は俺のオカンだったのかぁ。」
「こんな不健康な息子持った覚えねぇわ。いやガチで、若いのに糖尿病とかなりたくないだろ?」
そんな会話をしながら講義室を出て、マフラーを巻きながら二人で歩き出した。
すると桐谷は、癖毛の髪をもぞもぞかきながら、唐突に質問を投げかけて来た。
「そういや~・・・恋煩いは治ったん?」
急なその問いかけに少しギクリとした。
「・・・いやぁ・・・悩んでる最中かな。」
桐谷はそうかぁ・・・と呟きながら、ポケットから取り出したカイロを両手で揉んだ。
彼は俺の様子を見てそうだろう、と思ったんだろう。察しがよく、詮索も干渉もし過ぎず、距離感を保つのが上手いやつだった。
「問題に対する答えが人によって違う上に、上手くいく保障もないのに皆試行錯誤するんだろ?恋愛してる奴って大変だよなぁ。」
何とも彼らしい意見だ。
「はは・・・まぁ・・・俺の場合は、気付いたら好きになってた、ってパターンだから、本当は悩みたくないんだけどね。恋愛っていっても、結局は人間関係の悩みだよ。」
「ん~・・・そか。咲夜の中で、今のところ勝算ないのか?」
そう聞かれて、小夜香ちゃんの顔を思い浮かべながら、口元をマフラーにうずめた。
「ない・・・のかなぁ・・・。俺がちゃんと相手を分析出来てなければ、勝機はあるのかもしれない。でも探りを入れるのって結構怖くてさ、ハッキリ脈がないことを知るのもきついし、相手から好きな人の話を聞くのもつらいし・・・。」
すると桐谷は少し黙って、階段の手すりに手をかけて降りながら、いつもの調子で言った。
「俺、咲夜は当たって砕けていいと思う。負け戦だとしても。」
「ええ?なんで?」
桐谷は先に階段を降り切って、俺を振り返って真顔で言った。
というかいつも真顔だけど。
「咲夜だからだよ。」
「・・・もうちょっとかみ砕いて教えてもらっていい?」
俺がそう言って苦笑すると、桐谷はまた正面を向いて歩き出した。
「その相手によっぽど相思相愛の人がいなけりゃ、告白して振られた後でも、咲夜は巻き返せるから。持ち前の人の好さと、気遣いと真面目さで、あ~この人は顔がいいだけの人じゃないんだ、って思わせられるんだよ。というか見た目もいいのに中身のいいのか、って上乗せしてポイント稼げるってわけ。振られてからが本番だよ。」
淡々と語る桐谷に、そんな風に思われてたとは・・・
「めっちゃほめるじゃん・・・。」
校舎から出た桐谷の、カフェテリアに向かう足取りを追う。
「大丈夫だよ、咲夜はきっと、一目惚れだったりちょっと関わっただけの人を好きにはならんだろ?てことは相手もお前のことをよく知ってる人で、それなりに関係性が築けてるなら、告白して振られたところですぐ疎遠になったり、避けられたりすることはないだろ。だからさっき言ったように、巻き返すチャンスは作れるし、告白をただの、意識させるきっかけにして進展していけるんじゃないかな、と俺は思った。」
この鋭さと分析力、さすがだ。
「そういうやり方も恋愛の手法としては有効だろ?」
「ふふ、恋愛経験ないっていうわりには、随分理にかなったこと言うじゃん。」
桐谷は今度は俺の顔を見て、ニヤリと得意気に笑みを浮かべた。
「自信を持て。お前はいいやつだ。そして、良い人止まりで終わらないテクニックも持ってる、勝てるよ、ライバルがいたとしても。」
何とも心強い言葉だった。
何もすべてを話していないのに、そう言ってくれる友人がありがたかった。
「ありがとう。じゃあそうだなぁ・・・頃合いを見て告白しようかなぁ。ライバルの強さわかんないけど、どうせ諦められないし・・・。」
「うん。・・・あ、そうだ、親父が言ってたんだけどさ・・・」
桐谷は財布を出しながら呟いた。
「一度きりの人生なんだから、好きな女にくらいは本気出せ、って言ってた。頑張れ咲夜。」
カフェテリアに着いて、桐谷はメニューを眺めながらそう言った。
「・・・頑張るよ。何飲む?元気づけてくれたお礼に奢るよ。」
俺がそう言うと、桐谷はまた笑みを浮かべて、カフェオレと短く答えたので、備え付けの砂糖を2本程取ってやった。
すると少し不服そうな顔をして、追加で砂糖を取ろうとしたので、俺はその腕を払いのけつつ別の話題を振った。
何事も結果を恐れてはいけない、ってことかな。
確かに桐谷の言う通り、成功の見込みもないのに試行錯誤して精神すり減らすのって、ホント非効率的だし、事によっちゃトラウマレベルの終わりを迎えるかもしれない。
でもまぁ、これから先人間関係に悩むことなんて山ほどあるだろうし、適当にあしらったり流したりするスキルも大事だけど、どうしたら上手くいくか試行錯誤する経験も必要なんじゃないかな、とも思う。
恋愛経験ってものが、自分の人生の糧になるのかどうかなんてわかんないけど、諦めたくないって思うなら実行しなくちゃだよなぁ。
飲み物を購入した後、テーブル席には座らず桐谷はそのまま歩き出したので、俺もそのまま背中を追って歩いた。
寒さを感じてポケットに手をつっこむと、スマホを握った右手がわずかに震えて着信音がした。
そのまま取り出して画面を確認すると、小夜香ちゃんの名前が大きく表示されていた。
「え・・・小夜香ちゃん?」
あまりに動揺してその名前を口にすると、少し振り向いた桐谷が電話に出ろ、と言うように顎をしゃくった。
俺は一つ息をついて落ち着いてから、画面をタップした。
「もしもし?」
「あ、咲夜くん、今大丈夫?」
可愛らしい小夜香ちゃんの声は、逸る気持ちを抑えたように跳ねていて、耳をくすぐられるような気分だった。
「うん、今帰ろうとしてたとこ・・・。どうしたの?」
なるべく平静を装って話してはいるけど、俺は俺で嬉しさを抑えられているのか自分ではわからない。
「あのね、15日さ、夕方から美咲くんたちの家に来れる?」
誕生日の予定の確認だろう。メッセージでもいい気はするが、早く返答を聞きたいのかな。
「あ~うん、空いてるから行けるよ。」
毎年特別何かをしているわけではないので、初めて小夜香ちゃんに祝われる誕生日に、照れくささが隠しきれなかった。
「バイトもない?」
「うん・・・まぁ。」
俺が歯切れ悪く答えると、彼女は少し心配気に尋ねた。
「もしかして、お友達と予定あったりした・・・?」
「いや、ないよ全然!そもそも毎年誕生日に何かしてたわけじゃないし・・・去年は美咲も晶もまだ本家にいたから一緒にいなかったしね。」
「そっか。じゃあ今年は・・・私と晶ちゃんで、二人の誕生日祝わせてくれる?」
その言葉にを聞いた時、機械越しに聞いているだけの小夜香ちゃんの声に、バッチリ表情が浮かんだ。
優しくて、ちょっと甘えたような笑顔。
けど一緒に居る時、その笑顔を解くと、たまに寂しそうな顔を見せるから、俺はまたそれに不安になって、笑顔になってもらおうと声をかける癖がある。
一緒にいるようになった半年間で出来上がった癖だ。
そうしていた時点できっと・・・。
「ありがとう。じゃあ・・・15日の夕方にまた家出る頃、美咲に連絡入れてから向かうね。」
「うん、楽しみにしててね!じゃあね。」
小夜香ちゃんはそう言ってあっさり電話を切った。
恐らく外にいたと思われる喧騒も相まって、一緒にいるような気分に浸っていた俺は、急に現実に引き戻された。
「・・・結構久しぶりに話したのに・・・。」
自分で避けておいて、こんなことを思う俺もダメだな・・・。
ふぅと少し安堵したため息を漏らすと、少し先で立ち止まっていた桐谷が、わずかに微笑んでまた歩き出した。
「先帰ってもよかったのに。」
俺がまた隣に並んでそう言うと、カフェラテのカップに口をつけながら言った。
「友達思いの俺やさし~。」
「はは、自分で言うのかよ。」
小夜香ちゃんからの久しぶりの電話に、俺は少し有頂天になってた。
あれ程どうしようかなぁと、距離感に悩みながら手をこまねいていたのに、いざ声を聴くと嬉しくてたまらなかった。
早く会いたい。
四人で会えるなら、二人っきりの気まずさなんてないし、余計なことを考えずに済む。
きっといつも通り仲のいい幼馴染になれる。
校門で桐谷と別れ、家路につきながら、今度会った時なんて声をかけようか考えていた。