第一章
19になる誕生日が迫っていた。
その後はクリスマスがある。今年ももう終わりだ。
小夜香ちゃんとは、相変わらずだ。不本意ながら・・・。
いや、本意なのかな・・・。
今日もいつものように、何気ないやり取りのメッセージが続く。
映画鑑賞という趣味がお互いあるので、だいたいそういう話から、他愛ない話に派生していく感じだ。
俺だって別に、そんな風にやり取りしていること自体は問題じゃない。
ただ彼女は、いつも通りたまに週末になると、一人暮らしの俺の部屋に遊びに来ようとする。
もちろん、普通はそんなこと良しとしないだろう。
いくら幼少期から見知った仲と言っても、俺は18の大学生、小夜香ちゃんは16の女子高生。
家族のような感覚だったとしても、小学生になる頃にはもう疎遠になっていたし、年に一度正月に本家で会うくらいだった。
そして三年程会わない期間があっての、今だ。
恋人同士でもないのに、男の一人暮らしの部屋にくるのはいささか問題だ。
いや、だいぶ問題だろう・・・。お互いにそんなつもりがなくとも、間違いというのは起こりうる。
だが何故か、小夜香ちゃんも、彼女の父である更夜さんも、俺の部屋にホイホイ来ることをよしとしている。
それは二人の俺に対する信用、なのだと思う。
初めは解せないと思っていた。でも彼女は自然に遊びに来るし、お互い身内同士が知り合いで、内輪な話も出来るが故に、気兼ねなく接する仲になってしまった。
そんな関係を半年ほど続けていたある日、俺はついに、自分の中にもやもやしていた感情に色が付いた。
そしてやがて、それからドロドロした感情が追加で溢れてきた。
俺はどこか、小夜香ちゃんを純真無垢な存在と意識していたのかもしれない。
だから自分の気持ちに気付いた時、真っ先にとった行動は、彼女を避けることだった。
自分のリアルな形と色に染まった感情で、彼女を傷つけないように。
いや、傷つけないようにどころか、それを一瞬でも知られることすら嫌だった。
というのも、小夜香ちゃんは普通の女の子よりはるかに、勘の鋭い子だからだ。
観察眼なのか、直感なのか、あるいは両方か、他の何かか・・・とにかく異常に察しがよくて怖い。
だけど何故か、俺が感じている程度だけど、小夜香ちゃんは自分に向けられている好意に対しては、鈍感のように思えた。
いや、鈍感というより・・・あえて受け止めない意識で流すようにしている感じだ。
それが何故だかはわからないけど、今のところ小夜香ちゃんのそれが働いて、俺の気持ちは気取られていなかった。
だけどそれも時間の問題と言える。
彼女がこのまま、気軽に俺の部屋に遊びに来て、二人っきりでカップルみたいな時間を過ごそうものなら、いずれ俺の理性は限界を迎えるだろう。
うん、もう・・・・最悪!!何にも悪いことしていないのに、俺はこのままじゃ一緒にいるだけで拷問を受け続けることになる!
かといって、もう二人っきりで会うことをやめたい、などと俺が急に言っても、頑固な彼女のことだ、はい、わかりました、と引き下がるはずもない。
以前、やんわりとメッセージで伝えることを試みたが、彼女は疑問を持つばかりで、了承はしなかった。
そりゃそうだろう、今までずっと半年間、何気なく遊びに行って、快く一緒に過ごしていたくせに、急に言われてもピンときやしない。
だからこそ大問題なんだ。納得してもらうには、俺は正直に話す、ということくらいしか手が残されていない。
もちろん他にも考えた。酷いことを言っていっそ嫌われてしまおうか、とか・・・
だけどこれに関しては、小夜香ちゃんは賢い子なので、いきなり俺がキャラを変えて悪口を言い出しても、むしろ心配しだすだろう、ということと、仮に真に受けて離れてくれたとしても、美咲や晶、挙句更夜さんの耳にでも入ってしまえば、俺は社会的に終了させられてしまう気がした。
だからもう、正直に言う、という選択肢しかない。
けども更に問題がある。小夜香ちゃんの場合・・・俺が正直に言ったところで、離れることを了承しない可能性の方が高いということだ。
最悪、きちんと振られたうえで、これからもお友達でいようね、なんて展開になるかもしれない。
彼女の快活な性格を思うと、そうなる気がしてならなかった。
何故なら、小夜香ちゃんはまともな恋愛経験がなく、男に対しても警戒心が薄いためだ。
つまり色んなことを考え続けると、鈍感過ぎる上に理性を削られる相手を、好きになってしまったということだ。
「あ~あ、手詰まり・・・。」
俺がスマホを眺めながら、学食を食べるメンツとテーブルを囲んでいると、向かいに座っていた翔が言った。
「ん?なに?咲夜ゲームやってんの?」
「いんや・・・はぁ・・・。」
「・・・最近咲夜元気ねぇなぁ。どうしたんだよ。」
俺の隣に座っていた西田も、少し心配そうに尋ねてきた。
「・・・どうしたらいいんだろうねぇ・・・。」
ここ一月ほどは、小夜香ちゃんがうちに来る、というイベントは回避しているものの、「物理の課題が難しいから、明日教えてほしい~。」という連絡を眺めて八方ふさがりだった。
明日は土曜日・・・カフェのバイトは辞めたから、塾講のバイトが夕方から・・・。恐らくいつものように昼からうちに来たい、ってことだろうなぁ
俺はそんなことを考えながら、テーブルに突っ伏した。
「萎えてんなぁ・・・。」
斜め向かいに座っていた桐谷が、仕方なさそうにつぶやいた。
すると立ち上がった翔が俺の垂れた頭に向かって、元気いっぱいに声をかけた。
「よし!カラオケ行こうぜ!最近四人で遊びに行ってなかったし、お前ら皆レポート終わったっつってたろ?」
他の二人が、俺の様子を伺いながらも了承する言葉を漏らしたが、気乗りするはずもなかった。
「翔、ごめん・・・。俺最近考えること多くてさ・・・後、バイトも片方辞めたからなるべく節約したいし・・・。」
美咲が俺の体調を心配して、家の金で学費を払うから、とのことでバイトを片方辞めることになった。
俺自身も辞めたいとは思っていたし、それはいいのだけど、生活費までも面倒みられるのは忍びなかったので、仕送りはさすがに断った。
つまり塾講のバイトだけで、生活費を賄わなければならないという状況だ。
「何言ってんだよ、カラオケくらい奢ってやるって。」
翔は当然とばかりに俺にそう言ったが、それ以前に気乗りしない。
「翔、咲夜はそういう気分じゃねぇってさ。」
「そうかぁ、まぁしゃあねぇな。いいか、咲夜、どうしようもねぇことだったら愚痴れよ?手伝えそうなことだったら頼れ!」
「ありがとう・・・いずれそうさせてもらうよ。今は大丈夫。」
俺が顔を上げて翔を仰ぐと、納得したようにニンマリ笑みが返ってきた。
それから俺は、何となくいい案が浮かばないものか、と校門近くの中庭でぼーっとしていた。
小夜香ちゃんを納得させて自然に離れる方法・・・。
俺は砕けると分かってる気持ちを伝える度胸はなかった。
いや、かつてはあったのだけど、使い果たしてしまった。
それは今年の春だったけど、晶に長年の想いを伝えて満足して、ふられて・・・
あ~これでよかったぁと自己満足したものの、その後はずるずると振られた事実を引きずり続けていた。
たぶん3,4か月くらい・・・。
「俺は片思いを繰り返すタイプなのかなぁ・・・。」
魂が口から抜けていくように、ため息とともにそんな言葉が漏れた。
それから諦めて、立ち上がろうと腰を上げた時、不意に声がかかった。
「高津先輩・・・?」
聞き覚えあるその声に振り向くと、一瞬わからなかったけど、懐かしい記憶とすぐに重なった。
「薫?薫じゃん!久しぶり、何でここに・・。」
高校時代の一つ下の後輩だったそいつは、今でもそんなに印象が変わっていなかった。
「お久しぶりです、ちょっと見学で来てました。一応第一志望なので・・・。」
「へぇ、そうなのか、マジで久しぶり・・・懐かしいなぁ。」
俺がそう言って立ち上がると、小柄な彼は俺を見上げてニコリと微笑んだ。
薫はかつて、幽霊部員だった俺が所属していた文芸部の後輩だ。
いかにも本が似合う文学少年の薫と、俺は全然タイプが違う人間だけど、妙に馬が合って二年間仲良く過ごしていた。
「先輩もう講義は全部終わったんですか?」
「ん?ああ、終わったよ。」
俺がそう答えると、薫はじゃあ・・・と少し考え込んで、大学の近くのカフェへと俺を誘った。
ぎこちなくも嬉しそうにする薫と、若者で賑わうカフェへ入った。
メニューを受けるレジは、今日も行列を作っている。
「僕、あんまりこういう洒落たカフェ入らないんですけど・・・先輩何飲むんですか?」
「え?あ~別に甘い物が大丈夫なら何でも飲めるんじゃないかな。俺はブラック飲むことの方が多いけど・・・。」
薫はレジカウンターに隣同士で並びながら、おずおずと答えた。
「じゃあ・・・先輩と同じもので。」
そう言って笑みを返す薫を見ながら、何だか相変わらずだなぁと思った。
俺はにこやかに接客するお姉さんに、カフェラテを二つ頼んだ。
「あ、支払いこれで・・・。」
俺がスマホを機械に近づけて支払いを済ませると、薫は慌てた様子で俺の腕を取った。
「先輩!払いますよ、僕が誘ったのに・・・。」
「いいよ別に。はいはい、邪魔になるからあっちいこ。」
ごねる薫の背中を押して、カフェラテを二つ受け取って、二階席へと上がった。
小さいソファがある窓際に座って、ふぅと息をつく。
カフェラテを飲もうと口につけようとしたとき、カップにマジックで何か書かれていることに気が付いた。
「ん・・・?」
「どうしました?・・・あ、もしかして店員さんが何か書いてくれてるんですか?常連さんはそういうのあるらしいですね、一言メッセージ添えてくれるみたいな・・・」
「・・・そだね。まぁ、どっちもカフェラテだし、薫こっちあげるよ。」
「え??」
自分のカップを置いて不思議そうに受け取る彼は、それを見てじとっと俺を見返した。
「電話番号書いてありますよ・・・。良かったら連絡ください、って♡マークまでついてます。明らかに先輩に渡したいやつですよ。」
「え~~?薫かもしれないだろ。」
俺がケラケラ笑うと、彼は苦笑いしながらカフェラテを飲んだ。
「相変わらずどこでもモテちゃうんですね。・・・それにしても、さっきはブラック頼むことが多いって言ってたのに、どうしてカフェラテにしたんですか?」
「ん~?あんまりカフェこないなら、美味しいって思うもの飲んだ方がいいんじゃないかな、って思っただけだよ。薫は甘い物好きな方だったでしょ?別に俺も嫌いなわけじゃないしね。」
そう答えながら何も書かれていない方のカフェラテを飲んだ。
「ふふ・・・そういうさらっとしたイケメンな行動も相変わらずですね。」
「別に大したことじゃないでしょ・・・。」
俺が睨み返すと、薫は更にクスクス笑った。
「てか、久しぶりっつっても丸1年も経ってないけど・・・どうしてた?」
俺がそう尋ねると、薫は少し疲れたように頭を傾けて視線を落とした。
「そうですね・・・。結構バタバタしてました。うちの親のことを話したかどうかわかりませんが、正式に離婚して、結局親権は父になったんですが、何分海外で仕事してる人なので、もうお前も18にもなるんだからそのまま一人暮らししてろ、みたいなこと言われたんですよね。」
あっけらかんとそう言う薫は、高校時代より何か、憑き物が落ちたように吹っ切れた様子だった。
「そうなのか、まぁ・・・元気にやってるならそれでいいけど。」
俺が笑みを返しながらまた一口飲んで息をつくと、薫は俺を眺めて少し心配そうな声で言った。
「先輩は・・・ちょっと元気なさそうですよね。」
「ん~・・・?ん~・・・」
どう何を話そうか迷うと、薫は探るような尋ね方をしてきた。
「・・・高校時代に話してた、ずっと好きな人・・・とはうまくいかなかったんですか?」
「ふ・・・普通に振られたよ。ていうかその人はね、幼馴染で、今は兄貴の恋人なの。」
「そうなんですか・・・。じゃあ、どうして元気ないんですか?」
薫に次々質問されては、答えるこの感じ・・・何だか懐かしいな。
彼は決して人間関係に積極的なタイプではなかったが、俺に対しては真っすぐに気持ちを返してくる奴だった。
そして、俺と薫は少し普通の友人、とは違う関係でもあった。
「・・・薫はさ、今でも俺のこと好きなの?」
俺が少し悪戯っぽく聞くと、彼は特に表情を変えなかった。
「ん~・・・あの頃と同じような感情か、と言われると少し違うかもしれません。今は自分のことで精いっぱいっていうのもあって・・・。けど、今でも見つけたら声をかけるほど、人間的に先輩のことは好きです。」
「そっか、俺別にそんなに先輩としていいやつだった記憶ないけど・・・。まぁ友達としてそれは嬉しいな。」
ぐびぐびとぬるくなったカフェラテを飲むと、薫は尚も俺をじっと見つめた。
「友達だと思ってるなら・・・一度くらい連絡してくれてもよかったんじゃないですか?」
目を伏せて寂しそうにする薫を見て、俺は今までの自分を思い返した。
「ん~俺も俺でそれなりに忙しくしてたからなぁ。悪かったよ・・・。つかお前だって俺に連絡してきてないだろ。」
そう言い返すと、彼はばつが悪そうに視線を逸らせた。
「いや・・・その・・・僕の場合は・・・連絡取ると、そのまま先輩に依存しちゃいそうでしたし・・・。本当は卒業式のときも、会いに行って挨拶しようと思ってたんですよ。でも・・・なんか無理で・・・。」
薫は手に持ったカフェラテをくるくる回転させながら続けた。
「それに・・・先輩は元々普通に女性が好きな人なんですから、僕がひっついてると邪魔になるのは明確じゃないですか。お人よしだし、ずるずる妙な関係が続くのもよくないでしょう。」
まだ制服を着て、文芸部の部室で二人で話をしていた頃を思い出した。
口下手だけど、好きな物には真っすぐで、俺よりもずっと細い体格の薫は、どちらかと言えば女性的に見える。
元々育ちがいいのか、仕草も所作も綺麗で、大人しい性格が故にクラスで孤立しているタイプの男子。
仲良くなったきっかけなんてもう忘れてしまったけど、興味本位で家のことを詮索してきたりはしない薫に、俺は数少ない友人として心を開いていた。
けれど薫の俺に対する当時の気持ちは、先輩への敬愛ではなく、恋愛対象としてのそれだった。
「今でもきっとダメなんですよ。こうやって目の前にして話すとわかりましたけど・・・壁を作って話していないと、絆されるんです。」
さっきまで俺の目を見据えて話していた薫は、手元を見つめたままそう言った。
「だから・・・先輩、無意識かもしれませんけど・・・その、イケメンだから許されるみたいな言動辞めたほうがいいですよ。」
「何だよそれ・・・。」
「さっきの・・・俺のことまだ好きなの?ってやつですよ。普通そんな聞き方しません・・・。当然好きなんだよな?っていうイケメンのセリフですよ。」
「・・・ごめん・・・。」
俺の根底にはそういう悪いものがあるようだ。
「まさかとは思いますけど、僕だけじゃなくて、他のセフレだった人にも会った時そんな聞き方してませんよね?」
薫は怪しむような視線を俺に向けた。
「してないわ。てか今は別に女遊びしてないから!かつての人と会うこともないし・・・。」
「・・・そうですか・・・。」
苦い思い出をカフェラテで流しながら、俺はもう一つため息をついた。
頬杖をついて窓の外を眺める。
「今はさ・・・好きな子がいるんだけど・・・。まったくそういう対象として見られてない上に、向こうは好きな人がいるっぽくて、今までずっと仲良くしてたから家に遊びに来るし・・・困ってるんだよ。」
俺が吐露すると、薫は同じく残念そうに、あ~・・・と声を漏らした。
「それは・・・同じように返したらいいんじゃないですか?」
「同じように・・・?」
俺が眉を顰めると、薫は曖昧な笑みを返しながら言った。
「同じように、好きな人がいるんだよね、ってアピールするんですよ。脈があるならちょっと焼きもち妬いてくれるかもしれませんし。好きな人に誤解されたくないから、家に来るのはやめてほしい、って真っ当な断り方も出来ますよ。」
「・・・・薫・・・頭よ・・・。」
「・・・そうですかね?初手で様子見に使われる処方な気もしますけど・・・。」
「ていうか俺、先に小夜香ちゃんに好きな人いるって言われて焼きもち妬いたわぁ・・。それで自覚したし・・・。」
「それは先輩の様子を見るためじゃなくて、ですか?」
「違うねぇ・・・完全に誰かいるよ・・・。それに俺のこと好きだったら、ストレートにアピールする子だから気付くと思うな。というか、めっちゃ頻繁にうちに来るから、期待しちゃってたんだよねぇ・・・。マジ痛いやつだよ。」
「ふ・・・イケメンなのに痛いやつって・・・。」
笑いをこらえる薫を睨みつけた。
「先輩は昔から、好きになってくれる人を好きにならず、好きな人に片思いする人、なんですね。」
「おい・・・お前この短時間会話しただけで、俺にトドメ刺しに来たなぁ?」
「先輩の意地悪を返したんです、正当ですよ。」
薫はそう言いつつ、カフェラテをぐいっと飲み干した。
「はぁ~あ・・・。でもいいアドバイスもらえたし、実践してみようかな。後は・・・理性強化のバフでも授かりたいわぁ。」
またもクスクス笑う薫をよそに、行くか、と立ち上がって、俺たち二人は店を後にした。