徹夜のまどろみ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、こーちゃん、おはよう。
よっぽど疲れていたのかな? もう昼になろうとしているよ。また遅くまでなにかやっていたのかい?
なかば昼夜逆転生活送ってるって話だったから、案外これくらいの生活リズムの方がいいのかな? 規則正しさって点においては。
私も若いころは昼夜逆転どころか、人間不夜城だったからなあ。何日連続の徹夜をしたか覚えてないよ。仕事のときもよくあったし、プライベートにおいてもしばしばやった。さすがにこの歳で同じことをすると、翌日以降に響くから、やりたくはないけどね……。
体内時計は25時間周期だと、聞いたことがある。この1時間のずれを、日光を浴びることによって、リセットしているのだとも。
このリセット、うまくできていないと体調を崩したり、様々な不良が現れたりすることがあるらしい。かくいう私も、若いころには何度かやらかした経験持ちだ。
でも今でも思い出すのは、大学生のころに体験したことだね。いま振り返ってみても、不可解な点が多かった。
――聞いてみるかい?
それはおよそ10徹を迎えた日の朝のこと。
――え? 人が10日も徹夜できるわけないだろ?
いやいや、ギネスブックによると、徹夜の最長記録は264時間強、つまり11日は起きていることができている。こりゃ頑張って、あと1日起きていれば良かったかな? はは……。
ま、実際には記憶が飛んでいる時間もちらほら混じっている。分単位の細切れ睡眠つき、といったところだろう。
その日は夜を徹して本を読んでいた。数千ページに及ぶ大部だったけど、歴史に残る古典なだけある。たちまちのめり込んで、朝から晩までぶっ通しで読み続けていた。
気づいたら、外から響くは小鳥の声。もしや夜が起きたのかと、私は勉強机から腰を上げようとしたんだ。
その足元が、ぐらりと揺れた。
思わず膝をついてしまうも、揺れはほんの一瞬だった。余震もなく、地震とみなすにはあまりに短い。
もしや、徹夜続きで足元がおぼつかなくなっていたのかと、ぐらついた右足を見て、私は目を見張ったよ。
右足がすっぽり、畳の中へ埋まってしまっている。
単に穴が開いていたのなら、100歩譲って納得してもいい。けれど、私が目にしている状態は、それとは少し違う。
なんというかな……足を柱のように見立てて欲しい。そしてその周りを足の長い草が囲って囲って、すき間なく埋め尽くしている感じなんだ。
足が踏み抜いたわけじゃない。もともとあった足の周りに、畳のイグサたちが吸い付くように集まって、捕まえてきた……そう感じさせるほどに、すき間がない。どうやって私が中に足を突っ込んだか、分からないんだ。
敷金の心配をしつつ、私はどうにか勉強机の上からカッターを手に取り、最小限だけ畳の表面を切り取り、足を救助する。錯覚などではなく、触ってみれば確かに穴の開いた畳がそこにある。
首をかしげていると、お腹の虫が鳴る。ちょうど冷蔵庫の中は空っぽだ。
コンビニに行くかと、靴をつっかけて徒歩1分のコンビニへ。ここ10日、毎日のように頻繁に訪れている場所だ。
言うまでもない不健康な生活だが、野菜ジュースとビタミンゼリーは欠かさない。数値上は十分なビタミンが摂れているから大丈夫。そんな勝手な自信が私にあふれていた。
ところが、店を入ってすぐの栄養ドリンクコーナー。そこにあるビタミンゼリーを手に取った瞬間、今度は頭がフラリと揺れて、手から感覚が消える。
ゼリーの袋が滑り落ちる。床にぶつかって音を立てるも、私のめまいもまたわずかな間だけ。ブンブンと頭を振り、ゼリーの袋を持ち上げようとして……できなかった。
ゼリーの袋は、浅くだがコンビニの床にめり込んでしまっていたのさ。今度は畳じゃない、リノリウム製の床の中にだ。
先ほどの私の足と同じ。開いていた穴に落ち込んだわけじゃない。元からそこに置かれていたゼリーの袋に、リノリウムが四方から海のように押し寄せて、袋に吸い付き、固めてしまった……そうとしか思えない。
取り出すことはかなわなかった。袋の両端に指をひっかけて持ち上げようとしても、びくともしない。もっと力を込めることもできるが、これ以上は袋の方が持たない。裂ける袋と、そこから続く惨状を考えたら、もう手が出せなかった。
幸い、朝早くで客はおらず、店員もバックヤードに引っ込んでいる。あとは監視カメラに映っていない角度であることを祈りつつ、私は家へ逃げ帰ったんだ。
しばらくあのコンビニは使えない。
部屋のドアに手をかけ、開けたとたんに、私は三度、ぐらつきに襲われる。前二回よりずっと強く、ドアノブにすがるようにして、その場にへたり込んでしまったよ。
このとき私は、内戸で仕切られた奥の部屋をのぞく、手前の部屋すべてを視界に収めてしまっていた。「まずい」と思ったときには、もう遅かったよ。
ようやくぐらつきの収まった私が見ると、まず出していた靴と立てかけた傘が、玄関の床にめり込んでしまっているんだ。
冷蔵庫、洗濯機も同じ。わずかながらも取り付けてあった足の部分が、すっかり床の中へうずまってしまっている。手前のこの空間はフローリングだというのに、私の足やコンビニでのゼリーの袋と同じようにね。
私はほどなく、引っ越しをすることにしたよ。案の定というか、やはり敷金は帰ってこなかった。家具を取り返すのに床を張り替えなおしたんだからね。
もしかして私と一緒に、世界も寝不足だったのかもしれない。
徹夜した私に見られ続けたってことは、世界も気張り続けているってわけだ。うっかりまどろみたくなるだろう。
私たちの睡眠は、そうやって世界を見ないようにして、世界を休ませてやる意味もあるんじゃないかと、私は思うようになったのさ。




