第四十八話『〝アスカトラ帝国〟のウィル=クレイソン』
俺が攫った男は「ウィル」と名乗った。
アスカトラ帝国とかいう噂のイキリ国家が持っている飛空挺『レッドフォード号』を護衛する空戦機動部隊の隊長らしい。 歳は四十代くらいだろうか? ウェーブした髪がどことなくエロティックでなかなか良い男だ。 服の胸に勲章がたくさんついていたし、振る舞いなんかから見てもおそらく相当なエリートだろう。
「ハァ、ハァッ……くっ、お前らは何者なんだっ。 うぅ……。 ふ、服装を見る限り転生者だが……あぁっ」
「黙れウィル。 何を隠そう、俺は〝エリート〟と〝イケメン〟がこの世の何よりも憎い」
「……うっ! あぁっ……! 」
ウィルの空けておいた方の乳首にも洗濯バサミを装着。 これで安心だ、両乳首が埋まったので授乳は絶対にできなくなった。
【何か意味あるんですかこれ】
リアお前この光景が見えてないのか? 両腕を縛ったイケメンの両乳首を強力な洗濯バサミで塞いでいるんだぞ? 意味がないわけがないだろうが。 かなり需要あるぞ。
【一番喜びそうな人がドラゴンに捕まって死にかけてますけど】
「お前ら所属は……? どこの国から来たっ」
「まだ息があったか。 俺たちは無所属だ。 国境線などという矮小な概念には縛られない」
「冗談だろ。 その強大な魔力を持ちながら、どこにも属してないのか……? 」
その後ウィルを尋問した。 ステータスウィンドウを開くよう脅し、まずは飛空挺を作っている都をマップに示させてから、俺たちを目撃した『レッドフォード号』内部の様子を話させた。
要約すると、聖獣マリリンの背中に乗って五大賢龍ハーヴェス・ドラゴンを追いかけている謎の青年と少女に、船内は大層な騒ぎだったようだ。
「お前は本当にお喋りな奴だな。 こっちの身にもなれ、聞く方も疲れるんだぞ? もうわかったから部下と通信して早く迎えにきてもらえよ」
「いや、アンタが全部話せというから……」
「見てわかる通り、俺たちは今から〝巨大樹・ハーヴェス〟の実を食べに行くんだ。 それが終わったら柏木さんのシフトを確認する作業も残している。 邪魔をするな」
「実を……? 人が食べれるような代物じゃないだろう。 んあっ! 」
「なんだと……? そうなのか……。せっかく最高級ドラゴン肉の後に最高級のデザートが食えると思ったのにな……。 ガッカリだからその狭い乳輪に洗濯バサミを三つずつ噛み付かせてやろう」
「ううっ! あ、痛っ。 うぐぅ。 そ、それに、部下との通信はとっくに途絶えているんだ。 なぁアンタ、さっきのは暗黒魔法だろ? あれを撃たれて俺を助けに来るようなバカは、レッドフォード号には乗ってない」
「あぁわかった。 どうでも良いから早く降りてくれないか? はっきり言って邪魔なんだお前は」
「いやアンタが攫ったんだろうが! というか降りていいのか!? 一体何なんだこの状況は! 」
面倒だな……。 あの時の俺は何を思ってこいつを攫ったのだろうか。 どうするかな、さすがにこの高さから蹴落としたら死んでしまうよな。
迷っていると、ちろるが水の精霊・ピッケに乗ってノロノロと近付いてきた。
「ミナトく〜ん。 なんやその人、ガチ勢っぽいやんかぁ」
「……言われてみればガチ勢ではあるな。 アスカトラ帝国とかいう国の軍人らしい」
「アスカトラ帝国ってなんやぁ? なんか強そうやんな」
「知らん。 強いんじゃないか? ここまでの話から推測すると現世でいうアメリカみたいな感じだと思うぞ」
「ふぅん。 そうなんやぁ。 ってかな、はよ助けんとちょりっさん死でまうで? もう声がな、ぜんぜん聞こえんくなっててん」
ウィルが頬を真っ赤に染めて、茫然としながらちろるを凝視している。
「……おい、ウィル。 おいウィル! ……さてはお前」
【ちろちゃんモテますね】
「このロリコン野郎がっ! オラっ! オラッ! 」
「あっ痛っ! やめてくれっ、やめてっ」
洗濯バサミを三つ同時に引きちぎっては新たに三つ付ける、という地獄のムーブを8回で勘弁してやった。 知らない人の家のベランダから拝借した洗濯バサミの残弾がゼロになったからだ。
「ひっ、引き剥がす時が一番痛い……あぁ……怖くて見れないんだが、俺の乳首はまだあるのか……? 」
「安心しろ、取れても生えてくるだろ。 大体お前な、空で戦うんだからパラシュートとか緊急離脱的な装置持ってないのか? 送り届けるなんて悠長なマネをしている暇なんてないぞ」
「……え、本当に帰っていいのか? 本当に? いや実はアンタが脱がした俺のジャケットに、緊急離脱用の魔術式が仕込んであるんだ」
脱がした服を全部返してやった。 身体の隅までチェックするためにブーツ以外は全部ひん剥いたからな。
「さっきから帰れと言ってるだろ。 そもそも人質に取ったのもノリだ。 俺たちはお前らに攻撃されたから威嚇しただけだし、〝ハーヴェス〟の実が食いたくて旅行しているだけでな、何も悪いことは企んじゃいない」
「アンタ正気じゃ……いや、正気みたいだな。 そんな正気の目をした人間は久しぶりに見た」
【ウィル隊長。 私には狂気の目にしか見えないんですが】
「ウィル、帰ったら飛空挺に乗ってたアスカトラの偉いさんに伝えとけ。 強さを盾にしてイキり散らしているといつか痛い目……。 いや、やっぱりこれは伝えなくていい」
【もう少しでブーメランぶっ刺さる所でしたね】
「……なぁ。 本当にハーヴェスに行くのか? 果実を採りに? 」
「あぁ。 どう見ても向かってるところだろ」
「ハーヴェスがどんな木だか知っているのか。 あれは人間が立ち入れる領域じゃないぞ」
「巨大な木ということしか知らんが、俺の力は人間の域を越えてるから大丈夫だ」
「……アンタ、この世界をどこからスタートした? 最寄りのギルドに案内されただろう? どこだ」
「スタートしたのは草原だな」
「草原なんて至る所にあるだろ」
「最寄りかは知らんが〝ハイ・シコリティ・シティ〟という街のギルドにはお邪魔したな」
「ハイシコリティ・シティ……。 聞いたことのない街だ。 そこで冒険者登録したのか? 」
「いや。 一杯飲んで、あまりの民度の低さにウンザリして建屋ごと解体した」
「民度の低さ? 冒険者の質が悪くて、登録する気にならなかったということか? 」
「あぁ、女冒険者が軒並みブスだった。 全然シコれないレベルだ。 ありゃ新手の詐欺だな」
俺とウィルの間に緊張感が走る。
走り去った緊張感の残滓が、沈黙としてのっそりと横たわった。 ジョークが通じない相手かもしれんな、などと考えていると、ウィルは飛び続けているまりもの背中をひと撫でした。
「今乗っているこのドラゴン……。 いまだに信じられないが、聖獣マリリンの変異種だろ? 風貌は幼体なのに、サイズは完全成体だ。 一体どうやって手懐けた」
「手懐けた? まりもは俺の友達だ。 まぁスキルみたいなもんだな、人間力という名の」
「さっき放った暗黒魔法はどこで? 」
「標準装備だ。 俺は中二の頃から闇属性だからな」
「向こうにいる女の子と、召喚霊は? どうして戦闘中でもないのに召喚している? 」
「知るか。 消す必要がないから出しっぱなしにしているんだろう」
「それじゃタダで魔力を垂れ流しているようなものだ。 魔力の供給源は? 」
「……どうした。 人が変わったように質問責めに転じたな。 俺はまだこの世界に来て一週間も経ってないから、お前と同じ会話のステージには立てん。 色々と詳しくないんだ。 悪いな」
「一週間……!? 」
ウィルは大層驚いた様子で、目をギョロっとさせながら俺とちろるを交互に見て、再び口を開いた。 心なしか唇が震えているように見える。
「〝ハーヴェス〟の次はどこに? 」
「まだ決めてないが、異種族の島を巡る。 お前らが外界と呼んでいる、大陸の外側だ」
「……来たばかりで、まだ何も知らないのに? 」
「まだ何も知らないから行くんだ。 冒険とはそういうものだろう」
ウィルは初めて白い歯を見せた。
何かを企んでいる笑みじゃない事だけはわかる。
「名前を教えてもらえないか」
「ミッダ。 ミッダ=ナットゥーダだ」
「向こうの女性は? 」
「トロルだ。 お前にはやらんぞ」
「ラットゥーダ兄妹か……。 なるほど、合点が行ったよ」
「……なぜだ。 合点がいっても困るぞ。 まず俺たちは兄妹じゃ——」
「じゃあな、また近いうち会えるだろう」
「ちょっと待て、ふざけてすまなかった。 いろいろ訂正させろ」
「最後にこれだけ言っておくよミッダ。 アスカトラ帝国は間違いなく——」
『アンタらを獲りにくるぜ』ウィルはそんな謎の言葉を呟き、またニヤリと笑ってからちろるに近付いていった。
「ティロル=ラットゥーダ様。 あぁ、雲の上でこんなにも美しい方に出会えるなんて。 リタニアの迷宮で見た鍾乳魔石のように透き通った瞳。 フラノモック雪原と見紛うほどきめ細やかな白い肌……。 あ、いや失敬、わたくしアスカトラ空戦機動部隊〝紅影〟隊長、ウィル=クレイソンと申します。 以後お見知り置きを……」
「へ? なんなん? 」
「ッツオラァッ! 」
俺の真空跳び膝蹴りを喉元に受けたウィルは、カエルのような唸り声を残して落下していった。 そのまま落ちて死んだら面白いと思ってしばらく眺めていたら、パラシュートではなく、滑空するグラインダーのような羽が広がるのが微かに確認できた。 色々と勘違いしていったが、まぁ放置で構わんだろう。 大国との人脈が出来たと考えればいい。
【ここから脱出できると分かってからはミナトさんの情報を抜きにきましたね】
「というか俺の滑舌はそんなに悪いか? 名前が全部間違って伝わっていたが」
色々と勘違いされたが、まぁ暗黒魔法の使い手が平和主義者だということさえ伝わればOKだ。 結構フレンドリーに対応できたからな。
「おいっ、ミナトとやら〜! 見えた、見えてきたぞい! 間違いなく〝ハーヴェス〟じゃっ! なんて光景……! この世のものとは思えんっ」
「うはぁ、なんやあれぇ! 」
想像を絶する光景だった。 最強チーターの俺が息を飲むほどに壮観だ。
——雲から突き出たエベレスト級の高峰。 そのうず高い山に寄生するかのように、巨大な〝木〟が生えている。 いや、もはや根元のシルエットは〝木〟というレベルじゃない。 まるで山の上にもう一つの山が乗っているみたいだ。 当然〝ハーヴェス〟の頂上はまるで見えない。
「あんなん登れる人間おらんよなぁ。 魔法とか使えば、行ける人もおるんかね」
下から順当に登るとしたら、半分以上を雪に覆われたエベレストレベルの高峰を登頂する必要がある。 そこで初めて 〝ハーヴェス〟という巨木の根元に到着するのだから、俺の苗字が野口でも登り切る事は出来ないだろう。
「なんて光景じゃ……! 山脈の稜線かと思いきや、ありゃハーヴェスの根じゃぞ。 剥き出しの根が山に這っている! 」
「うわぁ、あれ根っこなん? なんや蛸の足みたいやなぁ。 山がタコに襲われとる」
「ふむ! これは全世界の男子をときめかせる風景だ。 しかしあそこまで高いと、てっぺんに辿り着く前に死なないか? 」




