第四十六話『モソソクルッペ(眠っている者を目覚めさせる霜)』
「召喚されたバケモノと……頭の上にいる小さなドラゴンはなんじゃ。 お主らは一体何者なのだ」
とりあえずジジイはスルーだ。
なんだか頭から汗がダバダバ流れてくると思ったら、俺の頭に隠れていたまりもが小便を漏らしたらしい。
「おい。 まりも大丈夫か」
「あっ、あばばばばばばばばば」
掌サイズになっているまりもは顔面をサツマイモみたいな色にしてガタガタ震えている。 一連の惨劇を見ていて恐怖に支配されてしまったのだろう。
「これでおあいこだな、俺たちは失禁ブラザーズだ」
まりもはしばらくそっとしといやろう。
サイコパス臭のする水の精霊はちろるの教育に良くないと思い、消滅させてやろうかと考えていたが、思いのほか懐かれてしまった。
「ヘペローニアッ。 パプラリピックリュ〜」
何を喋っているのかはわからん。 しかしなんだか愛嬌があって可愛く見えてきたぞ。
「水の精霊。 俺の言葉がわかるか」
「パップリケ」
ふむ、頷いたな。 人語が理解できるのか。
「お前どこかに帰るのか? 折角召喚されたんだ、ずっとちろるの側にいてやる事はできないか? お前がちろるの身の回りの世話や警護を担えるなら百人力だ」
「モソソクルッペェ〜」
「お、なんだ? 今の言葉は何故か理解できたぞ? 『荒くれ者の雹』だろ」
「カウカウプリウェンペ〜? 」
これはわからん。 しかし何故だ、『モソソクルッペ』は言葉の意味が雷鳴のように脳内で轟いた。 何かのスキルが発動しているのか? リア、どうなってる。
【…………カシュッ! 】
「おいリア」
【あっ、はいはい、なんでしょう】
「……今缶ビールかなんか開けただろう。 こっちは問題が山積みでどこから処理したらいいかパニックなんだ。 しっかりサポートしろ」
【いやいや、状況はわかってますよ……。 んぐっ。 ぷはっ、……こんな時にアルコールに逃げるなんて湊一家のメンバーとして、いや人間として失格です。 ……んぐっ! ぐびっ! 】
「話を戻そうか水の精霊。 お前、さっきのように都合の良い時だけ召喚されるセックスフレンド的な関係は卒業しろ。 ずっとちろるの側にいて、支えてやるんだ」
水の精霊はちろるにおぶさる形になり、後ろから頭を齧っている。 じっとしていればフードの付いた分厚いレインコートのように見えなくもない。
【ちろちゃんの魔力を吸ってますね】
「ふむ。 精霊よ、ハネゴリが溺死するまでのプロセスを自らの腹部にディスプレイするパフォーマンスはちろるの為にやったことなのか? 」
「ピロフィームッ! ペコリャム? 」
【『最高のショーをお楽しみいただけたかな? 』ですって】
「悪役の所業だ下賤な精霊め。 主人公サイドで二度とあんな事をするなよ」
「ピッ!ピロシキィ……」
【『そ、そんなぁ……』ですって】
「まぁいい。 どうなるかわからんが、とりあえずちろるが起きるまでは放置しておこう」
【ちろちゃんの魔力を吸い尽くされちゃうんじゃないですか? 】
「さっきのを見てなかったのか? 魔力があり余ってるから一度くらい空っぽにしたほうがいいだろう」
「お主、誰と喋っておる……? 」
隣でぽかんと口を開けた爺さんが、俺やちろるを睨め回している。コイツには俺の罪がバレているようだからな……。 遅かれ早かれ処理しなくてはいけない。
「さっき俺たちがハヴェドラを殺したなんて素っ頓狂な戯言を抜かしてやがったが、一体どういう了見だ? 向こうを見てみろ、ハヴェドラは宣言通りに捕縛したぞ」
もう暴れる力も残っていないようだ。 精霊が施した『水の枷』が首に巻きついて、地面に突っ伏してぐったりしている。
「……あれは我々が普段目にしている個体ではない。 次の世代だ」
「……む。 ハヴェドラの子供ということか? どうしてお前だけが知っている。 他の者は皆、疑いすらしなかったが」
「ハヴェドラは千年周期で次世代に縄張りの引き継ぎをする、という言い伝えがあるのじゃ」
「ふん。 根拠のない言い伝えなどに踊らされているのか。 文明レベルの低い異世界人の悪い癖だぞ」
【ミナトさんの通知表見せてやりましょうよ。 目が眩むほどの『2』の羅列を見せれば異世界人なんて卒倒ですよ】
「数刻前……。 ワシはハヴェドラが東の上空で長時間に渡って旋回しておるのを見た。120年生きてきて初めてじゃ」
「随分歳がいってるな。 120年も生きて死にたくならないもんか? 」
【ミナトさん現世では20年保たずに死にたくなったもんね】
リア? そろそろ本格的にお前を解雇する方法を模索し始めるぞ。
「ハヴェドラはの。 巨大樹の巣で待つ雛に、絶えず念波を送り続けていると言われておる。 長時間の旋回は、縄張りの中で危険なエリアや人間の位置を雛に知らせている時の行動らしいのじゃ。 そうして雛は親から受け取った念波の情報を頼りに、泉までのルートを設定したり、質の高い魔力を持つ人間が存在するエリアを記憶する」
なんだこのジジイは。 ボタンを押したら展示物の説明を始める博物館のスピーカーみたいなやつだな。 ふふむ、ちろるは寝ているし、チョリスが帰ってくるまでは聞いてやるか。
「ハネゴリにやられてしまうレベルの成長過程で、雛が安全な巣を出る事はまずない。 恐らく今回は親の念波がこの付近で途切れた事に混乱し、巣を飛び出して彷徨っていたところをハネゴリに襲われたのじゃろう」
「面白いが根拠に乏しいな。 もしそれが本当だとしても俺が親のハヴェドラを殺したことにはならん」
「ワシも最初はそう思っておった。 なんせハヴェドラにはアスカトラ帝国から厳戒な保護令が出とるからの。 リスクを犯してまで殺そうなんて考える輩はおらん。 それにな、ハヴェドラは単純に戦闘能力が高い。 そこらの冒険者が束になってかかってもすぐに返り討ちじゃ。……精霊でも召喚できない限りはのぉ」
……これはやばいな。 本名は割れてないし気絶させて逃亡するか? できれば手荒な真似はしたくないが……。
湊一家がこの世界にとって超重要な生物を殺したとなれば、騎士団なんかに文句を言われても口ごたえしようがないし、マウントも取りづらくなってしまう。
「お前らは転生者じゃな。 まだこの世界に来て日が浅い。 ハヴェドラの事を全く知らずに、魔物の類いだと考えて安易に殺してしまった。 ちがうか? ……もう一つ。お主はミッダ=ナトダ、と言ったな。 この辺りは貧しい農村ばかりじゃが、随分と腹を膨らませた村の若者がお前さんを崇めていたようじゃ」
「…………それがなんだ。 民衆が神を崇めるのは当然のことだろう」
「遥か遠い昔。 大陸の支配を目前に残虐の限りを尽くした魔王が、殺したハヴェドラ肉のあまりの旨さに立場と時を忘れ夢中となったそうじゃ。 隙を見た勇者は聖剣エクスカリバーでもって魔王の胸を十字に裂き、魔王軍は大陸からの撤退を余儀なくされた……。 そんな伝承がアスカトラ帝国には残っておる。 神の使いを殺して食ってまで確かめる罰当たりはおらんからあくまでも伝承だが……。 ワシはの、火のないところに煙は立たんと思っておる」
「何を言っているのかさっぱりわから——」
「ふぁ〜あ。 なんや騒がしいなぁ。 あ、ミナトくんおはよう。 あれ? ドラゴンのお肉、食べ切ってもうた? あれ? あのドラゴン生きとるやんか。 あぁ、なんや、夢みたいに美味しかったんやけど……。 ほんまに夢やったんかぁ」
「爺さん、欲しいのは金か? 永遠の若さか? 俺のチートスキルでどうにかなる範囲ならなんとかしてやるからこの一件は心の奥底に沈めておいてくれないか。 ……でないと貴様を湖の底に沈めなくてはならなくなる」
【最悪殺すって主人公サイドの発想じゃないですからね? 】
黙ってろリア。 貴様は俺のチート能力を全て投げ売ってでも解雇してやるからな。
……おっと? 何故だ、ジジイがハゲ頭を晒してちろるに土下座している。
「召喚士さま! 頼むぅーっ! あのハヴェドラも殺してくれぇえぇい! 金ならっ、金なら払うっ! といっても、手持ちは少ないんじゃがっ……あぁ、盗んででもかき集めて払う! 決して口外はせんからっ! なっ! 」
「……なんや何事やさっぱりわからん。 ミナトくん助けてやぁ」
「……爺さん、そう言えばさっきも殺せとかなんとか言っていたな。 どうしてだ」
「周りくどくは言わん! ワシは最愛の娘を食われた! これは個人的な恨みじゃ、娘を喰らい、なお神だなんだと崇められるハヴェドラという生物が憎くて憎くてしかたないのじゃ! 出来ることなら自ら切り刻んで食ってやりたいわっ! 」
「落ち着けジジイ、そんな事をしたらお前が村人たちに殺されるぞ」
「ワシゃあ娘を食われてから70年間ずっとハヴェドラを殺す事だけを考えてきたっ! 神様がお前らを導いてくだすったのじゃっ! 」
「落ち着けと言っているだろうが。 爺さんの娘を食ったハヴェドラは不慮の事故で既に召されているんだぞ。 罪のない子供を殺すというのか? 」
「あの弱ったハヴェドラを解き放てば必ず人を食う。 その前に殺すのじゃ! 」
「悪いが他を当たれ。 そんな胸糞の悪い憎しみと殺戮の渦の中に自ら身を投じるバカがどこにいる? 」
「お前にもメリットがある! ハヴェドラの肉、角、牙はもちろん、眼球からケツの毛まで捨てるところは一つもない! 闇市場に流せば一生遊んで暮らせるぞ! リスクはあるが、ワシは裏社会の要人とパイプを持っておるんじゃ! 仲介して全ての責任を負うから! 」
「いくら積まれたってやらん。 日本人はバチが当たるような事は徹底的に避けるんだ」
「……そ、そんニャあ」
「猫撫で声を出しても同じだ。 おい水の精霊、あのドラゴンの首に巻いた枷を外して逃してやれ」
「あぁーーーーー! ダメじゃダメじゃダメじゃあーーーっ! わしゃ復讐するんじゃあーっ! 」
ジジイが水の精霊に突進していったな。 ……おお、デジャブだ。 そのまま水の身体に吸収されてさっきのハネゴリよろしく溺れてしまった。 やれやれ。
「あらぁ……。 お爺ちゃんどないしてん。 それよりお水の化け物……これ私のポケモンやんな? なんで出てきたんや? 」
「ポケモンとか言うな、怒られるだろう」
「ようわからんけど……ちょりっさんとまりもっちはどないしてん」
「はいっ! ここにおります! ちろるひめしゃまっ! 」
まりもが飛び出して敬礼している。
見苦しいのでジジイを引っ張りだしてやると、去りゆくハヴェドラを視線で追ってから絶望を顔面に張り付けて天を仰いだ。
「大体な、人間一人の命と引き換えに豊作を齎らす生物なんてコスパ最強過ぎるだろうが。 10人食われても文句は言えないレベルだぞ」
「また犠牲者がでる……。 また犠牲者が出るぞ」
「仕方ないだろう。 爺さんの個人的な恨みなんて村人はなんとも思っちゃいない。70年も前の話だしな」
「最愛の……一人娘じゃった。 この辺りでは一番の美人でのぉ……。 結界魔法の名手なんて持て囃されていた……。 村の男どもは誰がワシの娘を娶るかで毎日のように——」
「そうか。 じゃあ俺たちは行くからな? ハヴェドラがもたらす恵みと、娘の尊い犠牲に感謝を忘れずに余生を過ごせよ? 老いぼれ。 アバヨ」
ちろるに声をかけて立ち去ろうと思ったが……。 遊んでいるな。 ビビり気味のまりもと一緒に水の精霊をつっついたりして戯れている。
「おいみんな行くぞ。 ちろる、水の精霊は名前あるのか? 」
「わからん。 キミ名前あるん? 」
「ピッケルポコゥ」
「なんて? 」
「ピッケルポコゥ! 」
「ミナトくん、ピッケルポコらしいでぇ。 ピッケでええなぁ」
リア、水の精霊は何と言っていたんだ。 ピッケルポコ、はどう言う意味だ?
【おっぱい、ですね】
ふむ、悪くない名前だな。
「おーーーいっ! 我が湊一家のメンバー達ぃーっ! 待ったせたなぁーっ! 」
「あっ、ちょりっさんやぁ」
「ちょりすのやつ何やってたでしゅかね! 」
「見ろーっ! ハヴェドラ様の角、牙! 背びれの硬いとこ! こりゃ闇で流したらいい金になるぞぉーっ! 」
嬉々として走り寄ってくるチョリス。
しかし俺たちには見えていた。
バカの後方からもの凄いスピードで近付いてくる、真っ赤なドラゴンが。
「あぁ、若者よ……。 すまない、すまない、どうか成仏しとくれぇ……! 」
ジジイが地に伏せて拝み始めた。
「しっかしミナトゥ! 今まで食った肉の中でダンットツに美味かっ……あっ。 あーーーーーーーっ! なんでぇーーーーーっ!? 」
「チョリーーーーーーーッス! 」
「……ちょりっさん盗まれたでミナトくん」
「半分はお前のせいだぞちろる。 悪いがまりも、膨らんでくれ」
「えっ? 追うんでしゅか? 食われるのはちょりすでしゅけど……」
「ナチュラルに見殺し路線に乗るな。 そういえば巨大樹の果実はハヴェドラの大好物らしいぞ? お前も食ってみたいだろう」
あんなに弱っていたハヴェドラだが、最後の力を振り絞ったのか、チョリスを足でガッチリホールドしたまま猛スピードで飛んでいく。 すぐにデカくなったまりもの背中に水の精霊とちろるを放り投げた。
「おい爺さん、お前も来い」
「なんだこのドラゴンは……人語を操るわ巨大化するわ……ワシゃ夢でも見とるんか」
「いいから早く乗れ。 まりも、全速力でハヴェドラを追うぞ」
簡単に殺すわけにはいかんが、チョリスを食ったら食い返してやるからなクソドラゴンが。




