八
「勝手にフェリーナを連れ出すのはやめてもらいたい」
「サリシファ様、どうしてですか!その人よりもわたしの方がよっぽどあなたに相応しいです!ローズマリアさんは魔力も容姿も平凡で、あなたの目を惹く部分があるとは思いません」
えぇ、えぇ、仰る通りで。フェリーナのどこを好きになったのかはわたしも知りたい。この機会に知れたらわたしはルシファートさんに大変感謝することだろう。
「そんなもの、分かってもらわなくていい。俺だけが知ってればいいんだ」
羨ましいと思った。レオラにこんな風に言ってもらえるフェリーナが。今のわたしはフェリーナの中に存在してるけど、レオラが好きになったのはわたしがいるフェリーナじゃない。本当のフェリーナだ。
「帰るぞ、フェリーナ」
「……はい」
ルシファートさんに背中を向けた瞬間、声がした。小さく、震えた、けれどとても恐ろしい声。
思わず振り返ると、ルシファートさんを包むように真っ黒な煙が巻き上がっていて、昨日とは比にならないほどの氷のナイフが飛んできた。
「レオラ!」
レオラをありったけの力で突き飛ばす。だって氷のナイフはレオラを目掛けて飛んできたから。わたしに来るならともかくなんでレオラなんだ。あなたレオラが好きなんでしょうが!
目を閉じる。レオラが名前を呼ぶ声がした。
分かってる。フェリーナがケガをすればレオラはわたし以上に傷ついた顔をするのだ。その顔を見るのは辛い。レオラはなにも悪くないと言ったって、レオラは聞かないのだ。苦しそうに、申し訳なさそうに眉を下げるのだ。
壁、壁、壁。昨日できたんだから今もできる。壁だ!
昨日同様に体が熱くなって思わず口角があがる。できたと確信したから。その通りに壁はわたしとレオラを守るように立ちはだかり、彼女から飛んできた氷のナイフは全て壁に当たって地に落ちた。
「フェリーナ!!」
「だ、大丈夫です無事です!」
駆け寄ってくるレオラに被せるように答える。レオラは安堵したように息を吐く。それを見て、わたしは今日だけは自分を褒め称えようと決めた。フェリーナが傷つかなければレオラはこんなに安心してくれるのだ。よくやったわたし。偉いぞわたし!
「それよりレオラ!ルシファートさんの周り、黒い煙みたいなのがあるの」
「……見えるのか」
「見える。……レオラには見えないの?」
「ああ、見えない」
訝しげにルシファートさんを凝視するレオラに唖然とする。レオラに見えなくてわたしに見えてるってどういうことだ。あと口調がすっかり素のわたしになってしまった。いけないいけない。
「黒い煙がルシファートさんを包んでます。多分、そのせいでルシファートさんはこんなことを」
「……なるほどな。下がってろ、フェリーナ」
「はい」
不意打ちじゃなければレオラがどうこうなるとは思わない。いや、でも怖い。不安。
レオラになにもないよう祈りながら、言われた通り一歩後ろに下がって行方を見守る。
レオラはルシファートさんに手をかざすと、目を閉じた。ルシファートさんは虚ろな目をしたまま動く気配はない。レオラが次に目を開けた瞬間、ルシファートさんを包むようにあった黒の煙は、一つの雲のように固まって宙に浮かんだ。そしてルシファートさんはその場に崩れ落ちる。
「これか、フェリーナ」
「そうです。今は見えてるんですか?」
「ああ。この女の中にあった闇の粒子をまとめて引き出したからな」
「す、すごいですね」
「すごいのはお前だ。俺は具現化しないと見えないのに、フェリーナはそれより早い段階で認識できてた」
言いながら黒い塊を握り潰すレオラ。
わたしはルシファートさんを抱き起す。
さっきまでの冷ややかな空気は消え、穏やかに目を閉じて眠っていた。本来の彼女らしいと、本来の彼女を知らないのに思った。
「もう大丈夫だ。しかし俺以外にもいるとはな、闇を使う奴が」
「その人がルシファートさんになにかしたんでしょうか」
「恐らくな。けれど誰がやったかまでは分からなかった。ちゃんと痕跡を消してから魔力を使ったんだろうな」
レオラにルシファートさんを背負ってもらい、一緒に街まで抜ける。
この世界には持ち歩きのスマホなんておろか電話もなく、家に設置された固定のオシャレな電話を使わないと連絡ができない。わたしたちは街の宿に入り、事情を適当に話して部屋を借りた。
ルシファートさんをベッドに横たわらせ、レオラは誰かに電話をかけに行く。わたしはルシファートさんの横に椅子を置き、その寝顔を見守った。
戻ってきたレオラは「学園町が来る」と言った。え、今学園長に電話しに行ったの?わたしたちで言う警察は、この世界では特殊魔法者集団、と言われる組織だから、てっきりそこに連絡したと思った。
「……フェリーナ」
「……はい」
レオラは、真っ赤な瞳にわたしを映し、形のいい唇を動かした。
「学園長から話をされていたんだ。後期からは魔法者集団に訓練兵として入らないかと」
「……はい」
「半年間、魔法者集団で過ごした分も学園での授業に換算されるから、フェリーナたちと同じ日に卒業はする。けれど、後期、学園内でフェリーナと会うことはなくなる。俺は今まで自分の魔力を見られたくなくて、学園内でフェリーナに近付こうとしなかった。お前は俺を怖がらないから、だからそのままでいてほしいと思ったから」
レオラは行く気なんだと思った。ここまでわたしに話さなかった理由がなんなのか、なんて、そんなのわたしが頼りないからに決まってるのだけど、今日こういう事件が起きて決意したんだろう。
「じゃあ、魔法者集団にも連絡はしたんですね?」
「ああ。きっとその話になる。……俺が近くにいたから、今日フェリーナは狙われたんだろう。フェリーナを連れ出せば俺が来ると分かっていたから。だから俺は、フェリーナの傍を離れて魔法者集団に行き、帰ってきたときには闇騎士と恐れられることもなく、フェリーナと静かに暮らせるようになりたい」
本当にフェリーナが好きなんだなぁ、と何度目か分からないことを思って、笑う。
「絶対にケガせず、無事に帰ってきてくださいね。なにかあったら怒ります。今まで見たことないほどの剣幕で怒ります」
「……ふ、それは怖いな」
「はい、怖いです。ですから絶対、無事に帰ってきてください。約束です」
小指を差し出す。
「……なんだ?」
首を傾げられてはっとした。
そうか、指切げんまんという概念はないのか。
「小指を絡めて歌を歌うんです。約束の証ですよ」
「へぇ」
レオラの細くて長い、けれど少し硬い小指が絡められる。
「ゆーびきりげーんまん、うそついたらはりせんぼんのーます」
「怖いな」
「ふふ、はい。ゆびきった!」
小指を離せば、レオラはわたしの好きな子どもっぽい笑顔を見せた。
「約束する」
「はい」
レオラの話を聞いて、わたしも決めた。なんとしてでも、この体を本来のフェリーナに返そうと。