華子の帰宅
『お父様からスマホ頂きました。』
孝明は華子から届いたメールに目を細める。
昨日の会議の書類を読みながらも頬は緩んでしまう。
仕事を中心に生活しているような専務が昨日会議をサボった、今日は明らかに機嫌がいい。
どうなっているんだ、と噂が流れる程である。
無愛想が標準装備の専務が笑っている、と女性社員の間では騒ぎになっている。
和泉沢の家に華子が戻ると大騒ぎであった。
年配の親戚が集まっていた。
昨日の夜で今朝なのに、よく集まったなと感心さえする。
和泉沢の事業は自社物件不動産の管理、運用と投資である。
なにより、華子は和泉沢の総領娘、全ての力が華子に引き継がれるはずなのである。
和泉沢家では歴史古く、真実かは確かめようもないが、怪異の多くが系図と共に残されている。
異能のある一族として取りまとめているのが総領である。
幸子の呪術を跳ね返した和泉沢靖親の力。
幸子は一人で呪術をかけたわけではなく、背景に団体がいたらしいのだが、警察の捜査では証拠を見つける事は出来なかった。
幸子自身も力のあることが華子にかけた呪術で証明されている。
それを凌ぐ力が華子には総領娘としてあるはずなのだ、でなければ猫に変化などできない。
「華子が無事に戻って来た。
皆にはこれからも華子を助けてやって欲しい。」
靖親が皆に挨拶をすると宴が始まった。
華子は場を抜けると使用人達がいる厨房に向かう。
8年の間に華子の知らないメイドが多くなり、知っている顔はないかと見渡すと、料理長の顔が見えた。
「市野さん。」
華子が声をかけると料理長の市野は調理の手を止め顔をあげた。
「華子様、よくお戻りで。
これでお屋敷も華やぎます。」
「これからも、よろしくね。
それで、時々黒猫が現れるかもしれないの。
私の猫だから。
少しでいいので人間用の食事を用意してくれる?
毎日はいらないの、猫が姿を見せた時に。」
「はい、昨日のうちに旦那さまから聞いております。」
ありがとう、と華子が笑うとその場の雰囲気が和らぐ。
「新しい方達ね、紹介してもらっていい?」
華子にとって8年間留守にした家である、いろいろ変わっているだろうと思っている。
知らない使用人が多い、これから覚えていかねばならない。
使用人達の側のテーブルに週刊誌が置いてあるのが目に付いた。
もう長い間、世間の情報というものに触れていない。
梅子ばあちゃんとの生活は穏やかな優しい生活だった。
朝起きて食事の後は畑に行き、収穫したものを調理して食べる。
熱い夏も寒い冬も梅子ばあちゃんと一緒だった。
『これから孝明さんの会社に行ってもいい?
仕事が終わるまでロビーで待っているから。
会いたいの。』
「安川、夜の時間の調整はできるか?」
孝明は華子のメールを確認すると秘書の安川にスケジュールの調整を指示した。
孝明の弛んだ頬に安川も不信に思う、今まで見た事のない顔をしている。
嬉しさを隠しきれない、そういった感じである。
アメリカの大学院を卒業して、取締役として入社してきた是枝孝明。
社内外の中傷もあったが、頭角を直ぐに表し、2年後には専務に昇格した。
秘書の安川でさえ、仕事以外の話をめったに聞くことがない。
朝早くから深夜まで、土日も関係なく仕事している人間、それが孝明だ。
「もしかしてデートですか?
女性関係で時間を作るなんて珍しいですね。
週刊誌に撮られますよ。」
ああ、そう言えばそんな事もあったなと孝明は思いだす。
「あんなのとは比べられない、大事な大事な相手なんだ。
婚約者だ、週刊誌にかかれようとかまわない。」
「ええ!」
婚約者がいたんですか、と安川も驚いている。
「大事なんだ。やっと、やっとなんだ。」
「専務、嬉しそうな顔してますね。今日だけですよ。
昨日も会議をすっぽかすし、明日は無理やり休みを取ったんですからね。」
休みを取らずに働いていたから、代休も有給も山ほどありますよ、と思う安川は声には出さない。
「ありがとう、安川。
華子を後で紹介するよ。華子は生まれた時からかわいい子だったんだ。
数あるライバルの中から華子が僕を選んでくれた時は二人で学校を抜け出して遊びに行ったよ。
華子は1つ下なので、幼稚園から小学校まで同じだった。僕は進学校に、華子は女子校に進学して離れてしまうまでね。」
嬉しそうに惚気る孝明は別人のようである。
「専務そんな人がいるなら、何故に。」
安川の言わん事はわかっている。
「そう言えば、何かきてたな。」
孝明は、付き合っているモデルから連絡が来ていた事を思い出す。
『今夜いつもの所で待っている。』
スマホを取りだし画面をだすと返事を打ちだした。
『もう終わりだ。二度と連絡してくるな。』
横から覗いていた安川もさすがに慌てる。
「専務、刺されますよ。」
「華子が見つかった今、こんなのに関わっていられない。」
見つかった?
安川には理解のできないことばかりだ、孝明の父の社長室も今日はあわただしい。
昨日、雨の中に出かけた孝明は黒猫を拾って屋敷に戻った、あれからだ、と安川は昨日の事を思い出していた。
「安川、もし今後、前足にミサンガをつけた黒猫が社に現れたら、僕の部屋に連れて来るように。
大事に扱えよ、僕以外に触らせるなよ。」
専務、まさか黒猫が婚約者とか言わないでくださいよ、と心の中で安川が思っているが、それは当たっている。
それからも、孝明は次々と女性と見られる相手の連絡先を削除している。
「今日中に終わらせないといけないのはどれだ?」
早く出せとばかりに孝明が安川に手を出す。
「華子様をお待たせする訳にはいけませんね。
こちらの決済とこちらの企画案の承認、それから・・」
安川から受け取った書類の束を怖ろしいスピードで読み始める孝明。
そんなに早く帰りたいんだ、たしかに今までの彼女達の扱いとは違う、表情が活き活きしていると安川が観察する。
「専務これで終了です。」
終業時間を1時間ぐらい過ぎたところで安川が孝明に声をかけた。
「華子様はどちらでお待ちですか?」
「ロビーだ!」