那須の森
朝も早くからなる呼び出しに、眠い目をこすり広田が枕元のスマホを見た。
先日、番号をいれたばかりの御玉からの電話だ。
何かあったのかと慌てて電話に出ると、のんびりとした御玉の声がする。
「まだ寝てたのかぇ、声がかすれている。」
そこで、すみません、と条件反射する広田は御玉の好感を買ったようだ。
「素直でよろしい。」
10分で迎えに来るようにと言われたのを、何とか20分に引きのばし、広田は慌てた。
道が渋滞していなくとも15分以上かかる、しかも寝起きで用意もしていない。
コートを着ようとして、クリーニングに出していることを思い出した。
あれだけ、臭いと言われて置いておくわけにもいかなかった。
ジャケットにマフラーを巻き、急いで部屋をでる、御玉はいかにも時間に厳しそうだ。
おかしい、自分の依頼主は是枝孝明なのに、この間から御玉に振り回されている。
わかってはいるが、考えている時間はない。幸い信号に止まらず20分でたどり着けた。
和泉沢家の正門につけると、数寄屋門を開けて御玉が出て来た。
車に乗り込むと早く出せと、せっついてくる。
「皆には内緒で出て来たのじゃ。靖親がすぐ心配するからはようだせ。」
広田は門についているカメラを見ながら、まるで僕が御玉様を攫っているように映っては困ると思いながら、車を発進させた。
「もう一度、那須へ行くぞ。」
「またチーズケーキですか!」
「あれは美味かった。後で買ってたもれ。
幸子は警察から逃げてまで何をしたいのかのぉ。」
華子も幸子も御玉の子孫である、何故に命を狙うのか。
「もっと奥じゃ、森まで行ってたもれ。」
御玉に言われたとおりに、広田の運転する車は国立公園に入って行った。
駐車場に止め森の中に入って行く。
迷いのない御玉の足取りに広田は無言でついて行く。
かなり歩いた頃、1本の大きな木の根元に御玉が座った。
「ほれ、探偵も座れ。ここは気持ちいいぞ。」
「探偵と呼ばれると、街中では困ります。周りが警戒する。
広田義弘です。」
わかった、とゴニョゴニョ御玉が呟いている。
小さな声はヒロタ、ヒロタ、ヨシヒロ、ヨシヒロと聞こえる。
「御玉様はここに来た事があるんですか?」
「初めてじゃ。
じゃが、気の澄んだ道をたどって来た。この木は、この森で古い木の一つであろう。
この奥に行きたいが、この姿ではいけん。」
広田は御玉のカジュアルな服装の事だと思った、この先はその靴じゃ無理だろう。
御玉は狐の姿を言ったのだが、広田にはわからない。
「ここの空気は美味い、生き返るようじゃ。」
御玉の言葉に広田も賛同する。
御玉の生き返るは、まさに言葉の通りだ。最近はチョコやケーキを気に入っているが、あくまで嗜好品。
長い年月、和泉沢の奥宮でほとんど寝て暮し、起きては庭の林の気を摂取していたが、ここで堪能するまで気を取り込む。
幸子の行方が知れないことで孝明は益々、華子の側にいるようになった。
「孝明さん、仕事は?
定時で終わっているってこと?」
部屋で家庭教師と勉強中の華子の元に孝明がやって来た。
あとは宿題と言って家庭教師が帰って行くと、孝明は華子に問い詰められた。
「当然だろ。サラリーマンだよ。イテテ。」
華子が孝明の耳をひっぱった。
「安川さんから連絡が来てます。
専務が行ったら、会議があるので社に戻らせてくださいって。」
いつの間に、華の連絡先を知った、と孝明が文句を言っているが、華子の方が孝明の動向を教えるように安川にお願いしたのだ。
「華、一緒に会社に戻ろう。」
心配はわかるが、呆れてしまう。
「部外者の女連れてってダメでしょ。」
「猫、猫なら大丈夫だ。」
それもダメでしょ。
ドキンドキン。
華子の心臓の音だ、猫にはなっているが孝明のスーツの懐に入れられて会社にやって来た。
咎がめられないかと、心配である。
カチャと扉の音がして、どうやら孝明の部屋に戻って来たようである。
「専務、6時から会議を知っていて、どうして5時に退社するんですか。
もうすぐ始まります。
その荷物はなんですか。」
安川が孝明の手荷物バッグを聞いている、中には華子の服が入っている。
「これは華の荷物だ。」
孝明がスーツの胸元から黒猫の華を出した。
「専務、何しているんですか!」
聞いてくる安川は無視して、孝明は女性秘書に声をかける。
「君、この子に紅茶とお菓子を用意したら、帰っていいよ。」
「かわいい、専務の猫ですか。」
女性秘書がすぐに猫の元に寄って来た。
「そうだ、大事なんだ。」
そう言いながら、孝明は応接のソファーに華を降ろし、華子の部屋から持って来た本をセットし、華の喉元をなでる。
ソファーにテーブルをひっつけ、そこに紅茶と菓子を置くように指示すると、会議の用意を始めた。
「猫ちゃん紅茶飲むの?熱いわよ。」
と言いながら、女性秘書がカップと菓子をテーブルに置いた。
「華、冷ますか?」
猫がウンウンと頷くのを安川と女性秘書がビックリしてみている。
孝明は紅茶をソーサーに入れると残りの入ったままのカップを横に置いた。
ピチャピチャと冷めた紅茶を猫が舐め、クッキーを両手で挟んで食べている。
「すごく賢い猫なんですね。」
安川が感心して言うと、
「時間だ。会議に行ってくるが、安川、華を頼んだぞ。」
安川は何を頼まれたか、わからない。
「変なやつがきたら、華を守れよ。」
孝明が真剣に言うので、安川は不安になって来る。
「専務、頭打たれましたか?」
孝明は華の頭をなでると会議に行った。
安川は猫が気になって仕方ない。
会社に猫だぞ、ありえない。
しかも猫が本を読んでいるように見える。
ページがめくりにくいらしい、猫の手だものな。
安川がページをめくってあげると、
「ミャー。」
と礼を言っているように聞こえてくる、自分まで頭がおかしくなったか。
『センター試験過去問題集』
猫が読むには不似合いな本だ、いや、猫が読むほうがおかしいのだ。
「ミャー。」
呼ばれて見ると尻尾で紅茶カップを指している。
ソーサーに紅茶を継ぎ足すと飲み始めた。
「専務が大事にしているのがわかるな、天才猫だ。」
そう言いながら安川は猫が読んでいる本のページをめくった。
帰るはずの女性秘書は秘書課から、他の秘書達を呼んできて、猫鑑賞会になっていた。
「専務の婚約者の猫ですって。」
「あの、ロビーの!」
現場にいなかった者も知っている大事件である。
「この猫ちゃん、ミサンガしている。」
可愛い、賢いとかまわれ、華は女性秘書達に強くインプットされた。
もし、華子が猫の姿で社に来ても、間違いなく孝明の部屋に連れて来られるだろう。




