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そばにいて  作者: 大平麻由理
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クリスマス番外編 5.それは偶然じゃなくて……

 クッキーのソロ演奏を聴いたら、すぐにホールを出ようと思う。


 というのも。クッキーとは同じマンションに住んでいるので、今後も彼とばったり出会う確立は高い。

 その時のためにも、せめてソロ部分だけでもしっかり聴いておいて、よかったよと感想が言えるようにしておこうと考えたのだ。


 ところが、待てど暮らせど、一向にクッキーのソロが始まらない。

 この調子だと、結局最後まで聴くことになってしまうのではないかと、焦り始める。


 彼がトランペットを構えて誇らしげに立ち上がり、その高校生離れした素晴らしい演奏を聴衆に披露した時、すでにプログラムは最後から二つ目の曲になっていた。


 途中で退散しようというもくろみは、見事に打ち砕かれてしまったのだ。



 でもクリスマスコンサートと名を打つだけのことはあって、知っている曲も多く、一人でも十分に楽しめた。


 クリスマスにちなんだ曲を繋ぎ合わせたメドレーが流れた時には、会場が一体になり、我を忘れて手拍子を刻んでいたほどだった。


 吉永君とクリスマスを過ごせなかったことは辛いけれど、こんなに迫力のあるプロ顔負けの生演奏を聴けてよかったと、素直にそう思ったのも事実だ。


 アンコールは、またもやクッキーのソロ演奏が組み込まれ、それはもう割れんばかりの拍手で会場が沸き立ち、何度目かのアンコール演奏のあと、ようやく幕が下りた。



 人の波に押し出されるようにして、ロビーにたどり着く。


 するとそこには、今まで演奏していた部員たちがそれぞれに楽器を持って、演奏時のユニホーム姿のまま観客を見送るために待機していたのだ。


 両サイドに花道を作るように部員が立ち、聴き終えた観客ひとりひとりに向かって、ありがとうございましたとにこやかな笑顔をふりまく。

 演出だろうか。シャンシャンシャンと、どこかで鈴の音まで鳴り出す始末だ。


 十分にクリスマス気分を味わって、最後の最後まで素晴らしいコンサートだったと余韻に浸っていたのも束の間。


 花道が途切れ、これでもう何事もなく帰れると思ったその時、突然誰かに腕をつかまれ、その人のそばに無理やり引き寄せられてしまったのだ。


「ごめん。お客さんが帰るまで、ここにいて……」


 クッキーだ。彼がわたしにそっと耳打ちをして、その場に引き止めるのだ。

 突然のことにびっくりしながらも、帰ることを伝えようと、彼の背後から話しかける。


「あの。クッキー。遅くなると家族が心配するし、わたし、もう帰らなきゃ」


 これ以上はここに留まる理由はないのだから。

 さっさと帰って、何もなかったことを絵里に報告しなければならない。 

 でもクッキーは、わたしの話などちっとも聞いていなくて。ひたすら観客を見送っていた。


「クッキー、ごめんね。お先に……」


 わたしは、なんとかここから抜け出そうと、クッキーを突き放すようにそう言ったのだが。


「石水、あと少し待って。頼むよ」


 クッキーが再びわたしの腕をつかみ、哀しそうな目をして懇願するのだ。


 帰るタイミングを逃してしまったわたしは、クッキーの背中を見ながら、途方に暮れていた。

 どうしてクッキーは、わたしを離してくれないのだろう。

 ならば、彼の掴んでいる手を振り切って走れば、あるいは簡単にここから逃げ出せるかもしれないと思うのだけど。


 けれど、少し待ってというクッキーのささやかな願いすら聞けないほど、わたしは急ぐ必要があるのだろうか。


 コンサートに来たことに対して、彼がただお礼を言いたいだけだとしたら。

 それを無視して逃げ帰るわたしは、冷酷な人間だと思われないだろうか。


 わたしは、しぶしぶクッキーの願いを聞き入れ、彼を待つことにした。




 ようやく観客の波が途切れ、部員たちも列を崩して、思い思いにお互いをねぎらい始める。

 どの顔も満足げだ。楽器が出来る人がうらやましいと思える瞬間でもあった。


「石水。待たせてごめん。今日はわざわざ来てくれて、ありがとう」


 最後の一人を見送ったクッキーが振り向き、笑顔でそう言った。

 やっぱり、わたしにお礼が言いたかっただけなのだ。


「こっちこそ、コンサートに呼んでくれてありがとう。すっごく楽しかったよ」


 わたしも肩の荷が下りたのか、やっと自然に笑顔になる。

 待っててよかったと安堵する。


「そう言ってもらえてよかった。予想外に大勢の人に来てもらえて、こっちもやりがいがあったよ……って、お、おい。なんだよ!」


 すると突然、むんずとクッキーの肩を掴んだ大柄な男の人が、片側にチューバを携えて、わたしに微笑みかけるのだ。

 この人はいったい、誰なの?


「やあ、こんばんは。えっと、こちらのかわいい人は……。まさか、クッキー。おまえのカノジョなのか? 腕なんか握っちゃってさ」


 クッキーが慌てて手を離した。そして、カノジョなんかじゃないよと言って、迷惑そうに肩にあるチューバさんの手を払いのけた。 


「あらあ、かわいいカノジョさん。クッキーにもこんなカノジョがいたんだ。どうりで、今日は張り切っていたはずだわね」

 

 今度はきれいな女の人がやって来て、クッキーに意味ありげな目線を送る。

 他にも次々と部員たちが集まってきて、あっという間にわたしたちの周りに人垣ができた。


「せ、先輩。違いますって。彼女は、その、近所の友だちで……」


 クッキーが、必死になって、先輩らしききれいな女の人に弁明をする。


「ええ? うそー。またまた照れちゃって。クッキー、よかったわね。カノジョが来てくれて」


 先輩が、クッキーの背中をぽんと威勢よく叩いた。


「だから、違うんです。お願いです、これ以上からかうのはよしてくださいよ。石水も困ってるし」


 クッキーはしきりに照れ笑いを浮かべ、トランペットを持った手で器用に頭をぽりぽりと掻いた。


「さあ、みんな。もうひとがんばりお願いね!」


 先輩が、手に持ったクラリネットのような縦笛を振りかざし、声を張り上げた。

 するとその声に反応した部員たちが一斉にはいと返事をして、楽器を手に散り始める。


「石水、何度も悪いけど……。この後、ステージの片付けがあるんだ。すぐに終わるから、それまでここで待っててくれる? 一緒に帰ろうよ」

「でも、わたし……」


 周りの部員たちに冷やかされ、さっきからいたたまれない気持になっているわたしは、すぐにでもここから立ち去りたいというのに、クッキーはまだ待っててなどと言う。

 そして、あろうことか、一緒に帰ろうだなんて……。


「石水。何か用でもあるの?」


 クッキーが不思議そうに、わたしを覗き込む。


「そうじゃないけど、でも、クッキーも友だちと帰るんじゃないのかなって、そう思って……」

「いや。だってほら、うちの高校は私学だろ? みんな遠くから通ってるから、帰る方向もばらばらだし。だから別にあいつらとはいつも一緒に帰るわけじゃないんだ。それに、どうせ俺たち、同じところに帰るんだし。ちゃんと家まで送り届けるよ。だから、絶対にここで待ってて。じゃあな」

「クッキー、待って! ねえ、クッキー」


 わたしの叫び声が虚しく響き渡る。でも彼は、またあとでと言って、にこやかに手を振るのだ。 

 わたしがここで待っているのを、微塵も疑っていないような眼差しで。



 ぽつんとひとり、ロビーに取り残された。

 本当にわたしは、このままここで待っているべきなのだろうか。

 そして、クッキーと一緒に帰って。そのあとどうなるというのだろう。


 わたしはもうどうでもよくなっていた。いったい自分に何が起こっているのか、それすらも考えたくないほどに、頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。


 でも、さっきクッキーが言ったように、帰るところは同じマンションなのだ。

 別々に帰ったとしても、バスで再び顔を合わせることだってある。


 じわじわと押し寄せてくる不安で胸が痛くなってくる。

 勇人君や絵里の言ったことを、もっと真剣に受け止めるべきだったと、今ごろになって後悔し始めていた。



「石水! お待たせ」


 制服に着替え大荷物を持ったクッキーが、息を弾ませてわたしのところに駆け寄って来る。


「クッキー……」


 意気揚々と現れたクッキーとは反対に、わたしの声は弱々しく今にも消え入りそうになる。


「石水、なんか元気ないよな。もしかして、腹減った? 俺、実はさ、もうぺこぺこなんだ。午前中からずっとリハーサルやってたし、楽器吹いてるとハンパなく腹が減る。そうだ、何か食っていかないか?」


 クッキーが手で胃のあたりを押さえ、空腹をアピールしてわざとよたよたと歩いてみせる。

 でも彼に同調はできない。

 なんとしても、クッキーとの食事は避けなければならないのだ。


「ご、ごめん、クッキー。わたし、もう帰らなくちゃ。その……。妹がひとりで留守番してるし」


 クッキーに悪いと思いつつも、ひとりで待っている愛花を理由に断る。


 もちろん、中三にもなった妹が寂しがっているはずがないのだが。

 ここは妹の名を借りて、うまく切り抜けるしかない。


 だってわたしがクリスマスの夜に一緒に過ごしたい人は……。たとえクッキーがいい人であっても、それは彼ではないのだから。


「そっか。だめ……か。愛ちゃんのために、石水は家に帰るのか……」


 急に悲しそうな顔になったクッキーが、肩を落とし心なしか伏目がちになる。


「ごめんね。で、でも、クッキー。今日の演奏、とてもよかったよ。クッキー、すっごく上手だった」

「あ、ありがとう。そう言ってもらえて、嬉しいよ」


 少し元気を取り戻したように見えるクッキーが、荷物を担ぎ直し、ゆっくりと歩き始める。


 なんて気まずいんだろう。クッキーの誘いを断った今となっては、このまま二人で並んで歩くことすら、申し訳なく思ってしまう。


「おい、石水。帰らないのか?」


 クッキーが、急に立ち止まったわたしに訊ねる。


「う、うん。気にしないで。クッキー、やっぱり先に帰って。わたしは、その……」

「何言ってるんだよ。そういうわけにはいかないだろ? 同じところに帰るんだし、おまえをこんなところに置き去りには出来ないよ。それに」


 クッキーが、じっとわたしを見つめる。


「俺、石水とこの前の朝、会っただろ?」

「うん」

「あれ、偶然でも何でもないんだ。俺、実は、石水のこと……」


 その時だった。クッキーの肩越しに、こっちに向かって走ってくる人物に釘付けになる。


 カーキー色のジャケットを着て、紺色のスニーカーをはいて。

 力強く地面を蹴って駆けてくる、その人に。


「えっ? う、うそ……」


 わたしはそれがとても現実の出来事だとは思えなくて、驚嘆の声をあげる。

 そしてぽかんと開けた口元を、咄嗟に両手で覆い隠した。


 わたしの異変に気付いたクッキーが、怪訝そうな顔をして後を振り返り、そして……。


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