クリスマス番外編 4.忠告
「はやと君、あのね、その人は……。クッキーなの」
勇人君の目つきが険しくなる。
「クッキー? それって久木のことだよな? なんでゆうちゃんが、クッキーのコンサートに行くんだよ! ゆうちゃんとクッキーがそんなに親しい仲だったなんて、俺は今日まで知らなかった。どう考えたって、おかしいよ。だっておまえは、真澄のカノジョなんだろ? なんで違う男とクリスマスを過ごさなきゃならないんだ!」
一刀両断だ。ものの見事に、すぱっと切られた。
そんな風に言われるのがわかっていたからこそ、このことを誰にも言いたくなかったのだ。
「はやと君、聞いてくれる? あの、わたし、まだ吉永君の彼女だと決まったわけじゃないし。それに、クッキーのコンサートだって、呼ばなきゃいけない十人のうちの一人として、誘われただけなんだもん」
必死に潔白であることを説明して理解してもらおうと思ったけど、相手は思った以上に手ごわい。
「ゆうちゃん、いいかい? 真澄はあのとおり無口だし、自分の気持をうまく伝えられないタイプだと思う。でもさ、おまえのことをとっても大事に思っているのは間違いないと思うんだ。そりゃあ、今日こっちに来なかったのは許されることじゃない。俺だって楽しみにしてたのに、なんで来ないの? って思ってるし。でも、だからと言って、クッキーの誘いにホイホイのるなんて、ゆうちゃんらしくないよ」
「そうだよ。鳴崎の言うとおりだよ。ねえ、優花。そのクッキーって子、なんか下心みえみえって感じがするんだけど。同級生ってことは、吉永も知ってる人なんだよね?」
「うん……」
下心がみえみえだなんて。あまりにもショッキングな絵里の発言に、どんどん気持が沈んでいく。
「ならば、余計にダメじゃん。吉永がこのことを知ったら、怒り狂っちゃうって!」
絵里の言いたいことはわかる。でも、わたしがメールをしなくても気にならない人が、クッキーのコンサートに行ったくらいで怒るとは思えない。
クッキーにも、そしてもちろんわたしにも。コンサートを楽しむ以外の理由は何も存在しないと訴え続けるのだが。
「だからさっきも言ったけど。わたしはクッキーにとってはただのお客さんで、十人のうちの一人なんだってば。吉永君にも、そ、その、コンサートのことはちゃんと報告するつもりだし……」
「ウソ! あれ以来、まだあいつに何も連絡してないくせに。だって、優花ったら、あたしたちにも内緒でこそこそとコンサートに行こうとしたんだよ? 優花だって、心のどこかでマズイって思ってたくせに!」
「絵里……」
絵里にすべてを見抜かれてしまった今となっては、もう反論の余地は残っていないのかもしれない。
「それに」
尚も勇人君が追い討ちをかけてくる。
「さっきからずっと気になってるんだけど。その十人のうちの一人って、何?」
探究心の強い勇人君は、納得するまでわたしを質問攻めにするつもりらしい。
「それは、言葉通りの意味だよ。つまり、部員がそれぞれに観客を集める手はずになってて、クッキーが十人分のお客さんの勧誘を任されてるってことなんだけど。せっかくのコンサートだもの。会場がいっぱいになった方がいいに決まってるでしょ?」
わたしは何の疑いもなくそう信じて、クッキーの話を受け止めていた。
ところが勇人君はまだ首を縦に振ろうとしない。
「あのさ、ゆうちゃん。クッキーの行ってる高校の吹奏楽部はね、コンクールの全国大会にも名を連ねる強豪校なんだ。で、定期演奏会も学園祭も、前売りチケットは即売り切れって聞いてる。そのクリスマスコンサートだって、クッキーが走り回らなくても、すでに客は埋まってるはずなんだけど……」
「ええっ?」
「だから、ゆうちゃんが誘われたのは、もしかしたら家族に割り当てられた座席なのかもしれないな。行ってみればわかるよ。多分、立ち見がでるくらい盛況なはずだから」
じゃあ、クッキーはなぜあんなことを言ったのだろう。
わたしはひざに乗せたファーのバッグを無意識のうちに両手でぎゅっと握り締め、マンション内でクッキーと出会った朝のことを、順を追ってひとつずつ思い出だしていた。
コンサートにはちょとだけ顔を出してすぐに帰るからと二人を安心させ、たった今店を出たばかりだ。
気分転換になるかもしれないから楽しんできたらいいよと、絵里はわたしを信じて送り出してくれたけれど、勇人君は難しそうな顔をしたままで、手も振ってくれなかった。
勇人君は昔から生真面目なタイプだった。男子には珍しいくらい、細かいところによく気がつくし、世の中のしくみにも造詣が深い。
だからと言って、クッキーのことでそこまで深読みする必要があるのだろうか。
クッキーとはたまたま偶然、登校途中に出会っただけなのだし、強引に誘われたわけでもない。
部活のコンサートくらい、誰でも気軽に誘い合ったりするだろうし、到底そこに特別な意味合いがあるとは思えなかった。
たとえ、吉永君に知られたとしても、胸を張って真実を伝える自信がある。
コンサート会場に向かって歩きながら、なんだか無性に腹立たしくなってきた。
たかだか近所の同級生の部活のコンサートに行くだけで、どうしてここまで友だちに指図されなければならないのだろうと。
徐々に行き場の無い怒りがこみ上げてくる。
何も間違ったことはしていないのだから。もっと自信を持って堂々としていればいい。
わたしは、花のモチーフが編みこんであるお気に入りのマフラーをふわりと巻きなおして、スクランブル交差点を小走りで駆け抜けた。
受付でクッキーにもらったプログラムを見せ、パンフレットを受け取る。
ホールの後方部の端席に座って、場内アナウンスの指示に従い携帯の電源を切った。
勇人君の言ったとおりだった。ホール内の客席はすでに人で埋め尽くされ、ここしか空いていなかったのだ。
背筋に緊張感が走る。もし勇人君の言ったことが本当で、クッキーが嘘をついていたのだとしたら……。
わたしは気持を落ち着けるため、胸に手を当てて大きく深呼吸をしてみた。
絶対に大丈夫。クッキーは一人でも多くの人に演奏を聴いてもらいたかっただけ。
きっとそうに違いない。
舞台にはまだ誰もいない。指揮台を中心に、扇状に並べられた椅子と譜面台が、薄明かりの中ぼんやりとシルエットを浮かび上がらせている。
今ならここを出ることが出来るのではないだろうか。
やっぱりコンサートに行くのはやめたと言って、絵里たちと合流することも可能だ。
しかし。根拠のない憶測でクッキーとの約束を破ってもいいの?
あの日、満面の笑みを浮かべて手を振っていたクッキーを裏切れるとでも?
わたしはとうとう何も決断できないまま、開演のブザーが会場内に鳴り響くのを聞き、コンサートが始まってしまったことを知った。