3.真澄ちゃん
「ちょっと! 母さん! どうしてどうしてどうして、お弁当を吉永……じゃなくて、真澄ちゃんに預けたのよ」
わたしは、遅めのおやつを食べながら、台所で立ち働く母さんに文句をぶちまける。我が家では吉永君のことは真澄ちゃんで通っている。でもわたしは中学生になった時に、真澄ちゃんって人前で呼ぶのを辞めた。だってそんなの、子どもっぽいと思わない? 友達からも馬鹿にされたりからかわれたりするかもしれないしね。それに漫画や小説で、恥らいながら好きな男の子のことを○○君って言っているヒロインに密かに共感してるんだ。それ以来、家以外では必ず吉永君って呼ぶことにしている。もちろん、心の中で彼を思う時も……ね。
「優花ったら、いつまでたっても小さい子どもみたいだわね。何もそんなに怒ることないじゃない」
母さんはちっともわたしの方なんて見ずに、トントンとリズム良く、キャベツを刻んでいる。わたしは見られていないのをいいことに、おもいっきり頬を膨らませた。
「ほらほら、そんなにふくれっ面をしないの」
な、なんでわかるの? 母さんはきっと背中にも目があるんだ。絶対にそうだ。
「だって考えてもごらんなさいな。優花が忘れ物をするからこんなことになったのでしょ? お弁当をバンダナでくるんだ後、自分の勉強机の上に置き忘れたのは誰? 優花に追いつくかなと思って、エレベーターに飛び乗ったら、ちょうどいいタイミングで真澄ちゃんが三階から乗ってきたのよ」
「それで真澄ちゃんにわたしのお弁当を押し付けたってワケだね。あ〜〜ん。おかげで、学校ですっごい恥ずかしかったんだから」
母さんが吉永君の手に、強引にピンクのバンダナの包みを押し付ける様子が目に浮かぶ。吉永君も吉永君だ。なんで、断らなかったんだろう? そんなの困りますって正直に言えばいいのに。
「優花。あなた、何か勘違いしてない? 母さんはね、無理やり押し付けたりなんかしなかったわよ。真澄ちゃんが自分から言ってくれたの。僕が届けますってね。ちゃんとお礼言ったの? 」
し、信じられない。吉永君が自分からそんなこと言っただなんて。でも、母さんが嘘つくはずないし……。わたしの目の前には巨大なクエスチョンマークが消える事なくさまよい続ける。
「それにしても、真澄ちゃん。男前になったわね。惚れ惚れしちゃったわ。ねえねえ優花。真澄ちゃんってモテるでしょ? どうなのよ? カノジョとかいるの? 」
やだ、母さん。鼻歌まで歌っちゃって。そ、そりゃあ、モテる……わよ。今日だって、絵里とそのことについて話したばかりだもの。だからって、はいそうですなんて、誰が言ってやるものか。母さんはそんなこと知らなくてもいいの。それに、カノジョだなんて……。そんなの知らない。いや、知りたくなんかない。でもね、もしいたとしても、わたしが彼を好きなのは変わらないんだから。
「ねえ、優花。聞いてるの? 」
「んもう! しつこいなあ。真澄ちゃんのことなんか、わたし何も知らないってば。だってね、わたしたち、中学の時からずっと話もしてないんだよ。だから……」
わたしはそう言ったあと、重大なことに気付いた。そうだ。今日、久しぶりにしゃべったんだった。お互いにほんのちょっとだけど、会話したんだよね。三年半ぶりの快挙! よっしゃ! と、膝の上で拳を作って気合と共に固く握り締める。
「だから? 」
母さんは尚も背中を向けたまま、続きを知りたがる。
「だから、本当に、何も知らないの! それと、ちゃんとお礼は言ったから。これから先、もしわたしが何か忘れ物をしても、絶対に真澄ちゃんに言付けないでね。真澄ちゃんに睨まれるくらいなら、先生に叱られる方がましだよ。真澄ちゃんだって母さんの困っている様子を見て、嫌々申し出たんだって。そうに決まってる」
「そうかなあ? そんな風にはちっとも見えなかったけど……。低い落ち着いた声で、ゆうちゃんの席は斜め前だからすぐに渡せます、とかなんとか言ってたわよ。にっこり笑ってね」
急に振り返った母さんが、意地悪そうな笑みを浮かべながら、わたしに言った。な、なんで、ゆうちゃんってところをそんなに強調するかな? まさか吉永君がわたしのこと、そう言ったの? ないない。ありえない。小学校四年生くらいの時を最後に、ゆうちゃんって呼んでもらった記憶はないんだもの。だってその後は、ブサイクブッサーとかブス花としか言ってくれなかった。中学になったらそれすら言わなくなって。何もしゃべらないまま、昨日まで過ごしてきたんだよ。
母さんったら、絶対カマを掛けてるんだ。わたしが吉永君のネタを何か話すんじゃないかって待ってるっぽい。その手になんか乗りませんよ。わたしは、おもいっきり不機嫌そうに顔を歪めて、母さんに言ってやった。
「とにかく、もう二度とわたしの前で真澄ちゃんの話はしないでねっ! 今から宿題と、模試の勉強してくる」
そして、わざとスリッパの音を大きく立てて自分の部屋に向かい、力任せにバタンって戸を閉めた。