36.名コンビ
「あいつ、黙って行っちまうもんだから、まさか転校するなんて思ってもみなかったんだよ」
「転校……するんだ」
心臓が急にドクドクと鼓動を早める。身体が少し揺らいだ。
「優花、大丈夫?」
絵里がすかさず腕をとって、支えてくれた。一瞬何事かと目を見開いた勇人君が、一呼吸おいて話を続ける。
「俺達さ、ちょっとまえにやり合っただろ? それもあって、しばらくはお互い無視してたんだけどね。エレベーターで顔を合わせた時なんて、そりゃあもう、最悪だったよ。そしたら、長野に行く前日だったかな。あいつから折れてきて、今生の別れみたいなことを言い出すからおかしいなとは思ってたんだ。なら、案の定……。長野のおじいさんが寝たきりになって、向こうに家族で住むことになったって今日突然電話がかかってきて」
「おじいさん、寝たきりなんだ……」
どうなるのかな? おじいさん。また元気になるといいのにな。吉永君もきっと心配してるよね……。なのにわたしったら、自分のことで精一杯で、黙って引っ越した吉永君を責めるばかりだったんじゃないかって、胸が痛む。
「ああ。おじいさん、かなり悪いみたいだ。真澄のお父さんはこっちの仕事の関係で向こうに行くのを渋ってたみたいだけどな。でも、ぶどう園のこともあるし、仕方なかったんだと思うよ。そうそう、新しい高校も決まったらしいぞ……。お、おい。ゆうちゃん? どうしたんだよ」
「あんたって人は、なんでそんなに鈍感なんだろ。自分だって、マミに恋してるんならわかるでしょ? 優花の気持ち」
ついに涙が堪えきれなくなって泣き出したわたしをかばうように絵里が勇人君に詰め寄る。
「ゆうちゃんの気持ち? あ、ああ……。それならわかってるつもりだよ。でも隠しておけることじゃないし、ゆうちゃんだって知っておく必要があるだろ?」
「だからって、何もそんなにストレートに言わなくたって。今日だって、何の前触れもなく急に吉永んちが引越ししちゃうから……。優花がどれだけショックを受けたかわかってんの?」
「本城さん……」
今にも掴みかからんばかりの絵里の剣幕に、勇人君がじりじりと後ずさりする。
「絵里。もう、いいって。わたしは平気だって」
わたしはあわてて絵里の腕を引き寄せた。そうだ。ここでめそめそ泣いてる場合じゃない。絵里に迷惑をかけたうえに、勇人君にまで気を遣わせたら、今度はわたしが最低最悪人間になってしまう。
「勇人君、ありがと。わたしもなんだかおかしいなって思ってたんだ。今の勇人君の話を聞いたら、全部納得したよ。吉永君、きっと前から引越しのことわかってたんだと思う。でも、わたし達まわりのみんなを驚かせたくなくて、何も言わなかったんだね」
「違う。それは違うと思うな」
勇人君の思わぬ否定に、絵里が再び彼を睨みつける。余計なこと言わないでよって、絵里の目が訴えている。
「本城さん、安心して。俺はゆうちゃんの味方だから」
勇人君が、絵里に向かって目を細めた。絵里の表情が、ほんの少し和らいだように見える。
「あいつ、自分が辛いから言えなかったんだよ。本当は行きたくなかったんだろうな、向こうに。ゆうちゃん、最後のチャンスだよ。来週、こっちに帰ってきて、学校の転校手続きをするって言ってた。大園のことは気にせず、おまえの気持ちをちゃんと伝えた方がいいと思うよ。あいつバカだから、ゆうちゃんに言ってもらわないと、自分の本心に気付かないんだよ」
「は、勇人君ったら……。でもね、わたしそうするつもりだったの。ちゃんと気持ちを伝えようって、思ってるから」
「よし! いいぞ、ゆうちゃん! ああ、俺が堂々とおまえ達を応援できたらよかったんだけどな。一発くらい殴ってやれば真澄の目も醒めるんだろうけど。それをやっちゃうと、あいつと大園を無理やり引き離すことになるだろ? そりゃあ、俺だって、一日でも早くあいつらの仲を引き裂いてやりたいけど。これ以上、大園を傷付けたくないし、男としても卑怯な手は使いたくないから……。ゆうちゃん、ごめん。力になれなくて」
「勇人君……。ありがと。そして絵里もありがと。わたしはもう全然大丈夫だから。気をつけて帰ってね。そうだ! 勇人君、駅まで行くんでしょ?」
「そうだけど? あっ、もしかして本城さんもバス?」
「うん。絵里は途中で乗り換えるけど、そこまで一緒に帰ってもらえる?」
「俺は別にいいけど……。でも、本城さんが……」
急激に勇人君のテンションが下がっていくのがわかる。
「あ、あたしだって、別にいいけど。っていうかさ、送ってもらわなくても、平気なんだけど。別に鳴崎がいてもいなくても一緒でしょ?」
「それ、ちょっとカチンときた。そんな風に言われると、何が何でも送りたくなるね。何でキミはいつも怒ってるんだろ。こんな人がゆうちゃんや大園と友達ってのがまずは信じられないよ」
「鳴崎、あんた結構いい度胸してるわね。憶えておきなさいよ、いいわね」
絵里の綺麗な横顔が、ツンと上を向く。
「はん! 俺だって、男ってとこ見せてやる。おまえみたいなあつかましい女、初めてだ」
「なによ!」
「なんだと!」
仲がいいのか悪いのわからないけど、結局あの二人、わたしが手を振ってるのも気付かないまま、ずっとああやって言い合いをしながら、バス停に向かって歩いて行った。
いつのまにか涙も乾き、心が随分軽くなっているのに気付く。あの二人に会ったおかげで、わたしが泣いていたことなんて、ちっぽけなことに思えるようになった。
もうちょっとだけ、待ってみよう。吉永君が学校に来るその日まで待っていようと心の中でそっとつぶやいた。
次の日、学校ではすでに吉永君の引越しの話が話題になっていた。何人もの同級生や陸上部の先輩が同じマンションにいるので、噂が広まるのもすこぶる速い。
そんな中、絵里が浮かない顔をしてわたしに言った。
「マミさ、今日、学校に来てないんだよね。携帯も繋がらないままなんだ。放課後、家に一旦帰ってから、大園医院に寄ってみようと思うんだ。もし、具合悪そうだったら、明日優花も一緒にお見舞いに行かない?」
「うん。行く。それにしても、マミ、どうしたんだろうね。風邪かな? それとも。吉永君のことで、落ち込んでいるのかな……」
片想いのわたしですら、夕べはあんなに取り乱したんだもの。彼女である麻美ならば、もっとショックを受けていて当然だ。
でも、もうわたしは偽善者になるのは辞めたんだし、口先だけの励ましの言葉はかえって迷惑なんじゃないかと思う。ならば……。
「優花。やっぱ、優花は行かない方がいいかも。だって、吉永に告白するんでしょ? もしマミが吉永がらみで臥せってるのだとしたら、優花とマミはライバル同士だもの。会うのは不自然だよ」
絵里の言うとおりだ。麻美には会わないほうがいいのかもしれない。
「そうする。マミのこと心配だけど、行くのは辞める」
「マミにはあたしの方からうまく言っとく。それにしても、吉永。いつ来るんだろうね」
「来週って言ってたよね。今日は木曜日だから、早ければ四日後。遅ければ、一週間以上だよ。……早く会いたいな」
「ふふふ。優花ってば、なんか変わったよね。そんなに吉永のことが好きならば、もっと早く打ち明けてくれてたら良かったのに……」
「こらっ! 本城。自分の席に着けーい」
ホームルームのために担任が教室に入ってきたのだ。絵里はペロッと舌を出して肩をすくめ、わたしの前から瞬時に消え去った。
「えーっと。吉永のことなんだが」
担任の先生の張りのあるテナーボイスが教室中に響き渡った。