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そばにいて  作者: 大平麻由理
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34.会いたい

 その間もずっと、耳鳴りのように、さっきの愛花の声が繰り返し鳴り響く。


 そんなはずはない。吉永君が、黙って引っ越すなんてこと、あるはずがない。わたしは自分自身に何度もそう言い聞かせ、先を急ぐ。


 三階に差し掛かった時、わたしはためらうことなく、吉永君の家の前に向かって走った。表札はまだかかったままだ。よしながとローマ字で綴られた表札。わたしが一番に覚えたローマ字はYとO。吉永のよの文字だった。小学生の頃、何度も鳴らしたインターホンに何年ぶりかに指をあてがった。


 一度、二度、三度。何度押しても一緒だ。中からは何の返事もない。玄関前のポーチに置いてあった彼の自転車も見当たらない。おばさんが育てていた鉢植えも、もうどこにもなかった。


 わたしはまだ何も信じられずに、玄関扉を凝視したままそこに立ちすくんでいた。わたしの後ろを通る住人らしき人が、怪訝そうにこっちを見ている。グローブを持った小学生も、不審者を見るような探るような目つきでわたしの顔を見て、目が合ったとたん、逃げ出すようにその場からいなくなった。

 居たたまれなくなったわたしは、時折振り返りながらも、しぶしぶ吉永君の家を後にした。


 階段を降り、マンションの前の道路に出る。引越しセンターのトラックはどっちの方向に行ったのだろう。もしも、おじいさんのいる長野に向かったのだとしたら、高速道路のゲートがある右手に行ったのかもしれない。当然、その方向を見たところで、トラックがその辺りにいるはずも無く。わたしは途方に暮れたまま、ひたすら車の流れを目で追っていた。


 そうだ! 駐車場に行ってみよう。わたしは咄嗟の自分の思いつきに、急に目の前が明るく開けたように感じた。もし吉永君が帰ってきているのなら、おじさんの車が停まっているかもしれない。そう思うだけで、自然と足取りも軽やかになる。

 わたしは、マンション裏手にある吉永君の駐車場に向かった。確か、五十六番の数字が書かれたスペースが吉永家の駐車場だったはず。シルバーメタリックのワゴン車がおじさんの車だ。

 アスファルトに直接書かれた数字は、遠くからもはっきりと見える。五十六番の数字がそこに車がない事をこれ見よがしに知らせるように、わたしの目にダイレクトに飛び込んできた。


 吉永君の家族も、もうすでにここにはいないんだと納得するや否や、わたしはこの目の前の現実が嘘偽りのない真実なのだと、ようやく理解し始めた。吉永君は、本当にどこかに行ってしまったのだ。隣のおばさんが言ったように、そして、愛花が叫んだように……。


 わたしはいつの間にか歩き始めていた。行くあても無く、ただ車の行き交う道路の脇をとぼとぼと歩く。

 秋の終わりを告げる風は思いのほか冷たくて、制服の胸元の隙間をぴゅうっと冷気が通り抜けていった。


 さぶ……。


 わたしは、吹きすさぶ風に首をすくめ、ぶるっと身震いをした。露わになった肌の部分に容赦なく風が吹きつける。その時、目に何かが入ったような(かす)かな違和感を覚えた。

 すると、それを待っていたかのように、わたしの目から次々と涙が(こぼ)れ落ちるのだ。


 やっぱりごみでも入ったのかな? 手の甲でこすってみるけれど、涙は一向に止まらなくて。もう痛みはない。すでに、ごみは流れ落ちているはずなのに……。


 あふれ出す涙を止める方法もわからないまま、立ち止まっては涙を拭い、また歩き始めるというのを何度も繰り返す。


 そう。これは、風のせい。涙が零れ落ちるのは、目にごみが入ったせい。涙の言い訳をあれこれ考えながら、尚も、歩き続ける。


 最初は、涙が勝手に流れ落ちるだけだったのに、それだけでは説明のつかない自分の異変にふと我に返る。それはまるで小さい子どもが母親の手を引っ張っていやだいやだとぐずるように、いつのまにかしゃくりあげて、声を出して泣いている自分がそこにいるのだ。


 すれ違う人が、振り返る。信号待ちをしている車の窓からも見知らぬ人の視線が注がれる。


 もうそんなこと、どうでもよかった。誰に見られてもいい。何を言われてもいい。わたしは、わたしは、ただ……。


 吉永君に……会いたい。彼に会いたいだけ。


 わたしは何度も何度も、彼の名前を呼んでいた。真澄ちゃん、真澄ちゃんと、その名をただひたすら繰り返し呼び続ける。


 今すぐに、会いたい……。会いたいよ。真澄ちゃん、どこにいるの? 返事して。


 いくら呼んでも、彼の返事が聞こえるはずなどなく。わたしの声は、そのまま北風に乗って、車のエンジン音に次々とかき消されていく。


 なんで、帰ってきてくれないの? どうして、何も連絡してくれないの? わたしが、真澄ちゃんの彼女じゃないから? わたしのことなんて、もうどうでもいいから? 


 いやだ。そんなのいやだ。絶対にいやだよ。わたしは力いっぱい、首を横に振った。


 吉永君の声が聞きたい。わたしのことを優しくゆうって呼ぶ声を……もう一度聞きたい。それだけなのに。わたしの願いは、たったそれだけなのに……。


 今、どこにいるの? 何してるの? 引越ししたって本当? おじいさんの具合は? また会えるよね……? こんなにもいっぱいいろんなことが知りたいのに、わたしにはそれを聞くすべが無い。 

 

 吉永君のメールアドレスも携帯番号も、すでに消去したわたしには、彼と連絡を取ることすらもう叶わないのだ。


 こんなにも、どうしようもないくらい彼のことが好きなのに。あきらめることなんて出来ないってとっくにわかっていたのに。


 麻美にいい友達だと思われたくて、偽善ぶってた自分に返ってきた答えがこれだったんだ。何もかも、もう遅かったんだよね。きっと……。 


 真澄ちゃん。ねえ、お願い。わたしに連絡してきて。電話でも、メールでも、何でもいいから。さよなら、の一言でも……いい……から。


 わたしは、手のひらで、指先で、そして制服の袖口で、とめどなく流れる涙を拭いながら、祈るような気持ちで携帯を取り出し、未登録番号の着信拒否を解除した。無駄だとわかっていても、吉永君の連絡が受け取れるように……。 


 そしてふと顔を上げると、目の前に以前見た景色が広がっていることに、今更ながら気付く。いつの間にか、こんなところまで来ていたんだ。

 公園だ。涙で滲んだその公園の風景は、間違いなく吉永君が長野に行く日の夕方に一緒に行ったあの公園だった。

 誰もいない公園の片隅にあの日と同じベンチがある。吉永君と座ったあのベンチに、わたしは一人、そっと腰を下ろした。


 まだ無言のまま何も語らない携帯を両手でぎゅっと握り締めながら。


 

 

        

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