33.お姉ちゃん!
いつもお越し頂き、ありがとうございます。以降、シリアスな場面が続きますので、最終話まで後書きを控えさせていただきます。
尚、ブログの方にて、内容についてのコメントなどを書いていく予定ですので、そちらにも足を運んでいただけたらと思います。
今日も吉永君は学校に来なかった。彼が長野に行ってもう一週間になる。うちの母さんが一度だけ吉永君のお母さんに連絡をもらって、もうしばらく学校を欠席すると聞かされた。おじいさんが元気かどうかは、まだ何もわからない。
そろそろもどってきて欲しいな……。吉永君のいない教室がこんなに味気ないものだなんて思いもしなかった。
先日絵里が麻美を追って行った日の夜、絵里から怒り心頭の電話をもらった。麻美は普段よりは幾分元気がなかったものの、他に変わったところはなくて、絵里が血相を変えてやって来たのを見て、いったい何事かと逆に心配させてしまったらしい。
少し風邪気味だから部活も休んだのという麻美の言葉に嘘はなかったと、絵里の怒りは一向に収まらない。
「鳴崎って、いったいマミのなんなのよ! わけわかんない。おまけに後からあいつがあたしたちと合流した時、マミがなんて言ったと思う? 鳴崎は絵里の新しいカレシなの? だって。冗談じゃないわよ。鳴崎も困ったような顔をするだけで煮え切らないし。あいつってあんなキャラだった? もうちょっとこう、二枚目で、冷静な人だとばかり思ってたんだけど……」
絵里のお怒り、ごもっともだ。勇人君の願いどおりに麻美を追いかけた挙句、彼と付き合ってるとまで誤解されて……。絵里も災難だったねと慰めることしかできない。
勇人君からは、家に帰ってすぐにお詫びのメールをもらったらしいけど、それだけでは許せないと憤りを露わにした絵里に、とうとう勇人君はケーキをおごる約束までしたそうだ。
勇人君は絵里がどれだけケーキ好きか知らないんだ。絵里が何個食べてもいいように、安くておいしいところを探しておくようにってアドバイスしておいた方がいいかもね。
で、勇人君には悪いけれど、彼が好きな人が麻美だって絵里に知られてしまった。彼女に真相を訊ねられた時、正直にすべて話したんだ。勇人君に振り回された絵里には、そのことを知る権利があると思ったからね。
それを聞いた絵里はさすがに驚いていた。麻美も片隅におけないねって、友のモテっぷりに満足そうに頷く。これで鳴崎をからかうネタもできたし……と意味ありげな笑みを浮かべてつぶやく絵里を見た時、突如勇人君の身の危険を感じたのは言うまでもない。
絵里は今日はお姉さんと駅で待ち合わせなんだって。お姉さんオススメの激安ドラッグストアで、これまたお姉さんオススメのコスメを揃えに行くんだと今朝からはりきっていた。
わたしにもとりあえずって感じで一緒に行こうと誘ってくれたけど、答えはやっぱりノー。前に絵里のと同じグロスを買ったけど、それ以上のメイクには、まだあまり興味がないんだよね。
わたしのことをわかってくれている絵里は決して無理強いはしない。じゃあ、次こそ一緒に買いに行こうねと言って絵里が校門前で手を振る。絵里は駅に向かうために。わたしは家に帰るために……。それぞれのバスに乗り、学校を後にした。
マンションのロビーにある郵便受けのダイヤルを合せて扉を開け、中に入っている夕刊とダイレクトメールを取り出した。そこにはいつもと同じように不動産屋さんのチラシも何枚か折れ曲がって混ざっていた。
至急求む、売り物件! の大きな文字が踊る。ここを売って一戸建てに替わって行った同級生も何人かいる。でもうちはその心配はない、というか、わたしたち娘の教育にお金がかかるから、もう家は買えないって父さんにはっきりと言い渡されているんだ。
わたしはもちろん父さんの意見に賛成だ。ここのマンションから出たくないもん。だって、そのわけは……。もう言わなくてもわかるよね。ふふふ。
わたしがにやにやしながら郵便受けの扉を閉めていると、隣のおばさんがやって来て、わたしを見た。
「こんにちは」
わたしはおばさんを見てあいさつをする。
「えっと、優花ちゃん、こんにちは。今日は早いんだね」
おばさんは時々、わたしと妹の愛花を間違える。よかった。今日はちゃんと合ってた。
「はい。部活がなかったので」
「ふ〜ん。そうなんだ。ここは冷えるね。さあ、早く帰ろう」
おばさんもわたしに負けないくらいの郵便物を抱えて、一緒にエレベーターに乗り込んだ。
「そうそう、優花ちゃん。あんた、三階の吉永さんの息子と同級生だよね?」
おばさんがわたしに訊ねる。返事をするより早く、心臓がどくっと鳴ったけど、わたしは気のないそぶりでそっけなく、はいと答えた。
「今日ね、引越センターの大きいトラックがマンション内に入ってきて、吉永さんちの荷物を運び出してたの。ついさっき、出て行ったところなんだよ。優花ちゃん、聞いてた? どこに引越ししたんだろうね? うちはあそことはあんまり付き合いがなかったから……」
よくわからないんだけどね……。おばさんの話が尚も続いている。エレベーターが六階に停止して、おばさん、わたしの順に降りた。
十年近くも住んでると、やっぱり荷物は増えるよね……。おばさんはまだ話し続けている。おばさんは何も悪気は無いんだと思う。ただ、今日見たことを話しているだけ。わたしが吉永君と同級生だから、知らせてくれてるだけ……。
でも。
わたしはおばさんに、さよならの挨拶もしないでそのままマンションの廊下を駆け出し、家の玄関に飛び込んだ。
すると同時に中から愛花が飛び出して来る。
「お姉ちゃん! 大変だよ。真澄ちゃんち、引越しだよっ! さっき、トラックが荷物いっぱい積んで出てった」
中学校のテスト週間は高校よりずっと早い。そういえば来週から期末テストだって言ってたっけ……。
わたしは自分が走って玄関に駆け込んだことなんかとっくに忘れてその場に立ち竦み、ただ呆然と愛花の口元だけを見ていた。
──真澄ちゃんち、引越しだよっ!
愛花の叫ぶような声が、何度も心の中で繰り返される。
ますみちゃんが……。ひっこし……。
わたしは足元にカバンをゴトンと置くと、瞬時に踵を返し、もう一度廊下に出る。そしてそのまま、ありったけのスピードを出して階段を駆け下りていった。