32.サリの告白
「あっ、どうも」
わたしの後ろにいる絵里に気付いた勇人君が、決まり悪そうに頭を下げた。
「ど、どうも」
絵里も勇人君に合わせるようにペコッと頭を下げる。絵里と勇人君はほとんど面識がない。といっても同じ高校なので顔くらいは知っているけれど、話すのは多分初めてじゃないかと思う。
お互いに少々よそよそしいのは、この際目をつぶるとして。
「優花、あたし、先に帰ろっかな? なんかお邪魔みたいだし……」
いたたまれなくなったのか、絵里がわたしの耳元でぼそっと言った。
「そんなことないって」
とわたしが絵里を引き止めるのとほぼ同時に、勇人君が話の矛先を突如絵里に向けた。
「あ、あのう、本城さん? だよね。たしか……大園と仲いいよね?」
勇人君のあまりに唐突な質問に、絵里はポカンと口をあけたまま、はあ? と訊き返す。
「あっ、こんなこと突然訊いてごめん。突然ついでにお願いがあるんだけど……。たった今、彼女が学校を出たところなんだ。本城さん、頼みます。一緒に帰ってくれませんか? どうか、お願いします」
「べ、別にいいけど。何かあったの? マミの具合が悪いの?」
尚もきょとんとしたまま、絵里が勇人君に訊ねる。
「いや、あの、その……。とにかく一人にできなくて。今ならまだ間に合うよ」
「鳴崎君、わかった。ってことはマミは部活も休んだってことだよね?」
「うん。そうなんだ。早く、早く追いかけて!」
不可解極まりない勇人君の言動にも臆することなく、その場の空気を的確に読み取った絵里は、次の瞬間教室から飛び出していた。
わたしも当然のように絵里と一緒に麻美を追いかけようとすると、勇人君に止められた。
「待って、ゆうちゃん! 先輩が俺とおまえを部室に呼んでるんだ。それでここに誘いに来たらちょうど本城さんがいて……。実は、大園が……変なんだ。あいつ、今朝からどうもおかしいんだよ。いつもと違う。顔色も悪いし、授業中もずっと考え事をしてるみたいだったし。もしかしたら真澄が欠席してることと何か関係があるのかもしれないけど。とにかく彼女が心配で。先輩に事情を話して、早めに学校を出してもらおうと思ってる。だから、ゆうちゃん。俺の代わりに、先輩の仕事、手伝ってくれないかな。頼む。それと、本城さんの携帯番号教えて」
「わ、わかった」
勇人君のこんな必死な姿、初めて見た。わたしは大急ぎで絵里に勇人君から電話がかかるかもしれないと短いメールを打つ。ここで起こったことを目の当たりにしていた彼女ならば、すぐにその意味を理解するはずだ。そして勇人君に絵里の番号を教えた。
「ゆうちゃん、ありがとう。恩に着るよ。勝手におまえから番号を聞き出したこと、本城さんにはちゃんと俺の方から説明しとくから。さあ、急ごう。多分、来週のボランティアの打ち合わせと準備だと思うんだ」
わたしはカバンを肩に担ぎなおすと、勇人君を追うように、急ぎ足で部室に向かった。
結局その日、わたしが部室を出たのは、六時頃だったと思う。外はすでに真っ暗だった。勇人君はあの後なんとか先輩を説得するのに成功して、麻美を追いかけて行った。
まだ絵里からも勇人君からも連絡はない。どこにいるのか訊ねようと、携帯を取り出し画面を表示させた時だった。
「石水……さん」
校門を出たところで誰かに呼び止められた。辺りには、闇が迫ってくる。誰だろうと目を凝らしてみるがよく見えない。次第に近付いてくるその人がサリだとわかるまで、しばらく時間を要した。
「んもう! 何、ビクついてんのよ。そんな疫病神見るみたいな怯えた目であたしを見ないでよ」
街灯の下で、サリの厚めに塗られたファンデーションが、異様に白く光る。今日は勇人君はいない。なのに、何だろう? また何か言われるのかな? 怖いよ……。
「ご、ごめんなさい。別に、そういうわけじゃ……」
ドキドキする心臓を隠すように胸に手をあて、謝りながらゆっくりと後ろに下がった。サリとはあれから学校の廊下で幾度となくすれ違ったけど、何も言ってこなかった。だからもう無関係だと思っていたのに……。
「あたしさ、あんたに謝ろうと思ってさ」
下の方で緩めに結んだリボンの上の広く開いた胸元には、金の細いネックレスが見え隠れしている。わたしは大きく息を吸い心を落ち着けると、サリの真意を探るため、ゆっくりと目を合わせた。
「あんたの相手、吉永だったんだ。ヒロにきいたよ。それってマミと三角関係ってことだよね?」
「そ、それは……」
なんてことだろう。広川君、あの時は公言しないって言ったのに……。どうしよう。ちゃんと否定した方がいいのかな? でないと、麻美に知られてしまう。
「あっ、安心して。あたし、あんまりそいうのに首突っ込む趣味はないから。三角でも四角でもあたしには関係ないし」
そうなんだ……。少しほっとしたけど。とりあえず曖昧な笑みを浮かべて、サリが早くここから立ち去ってくれることを祈った。
「でもさ、ヒロ、あんたのこといい子だって言ってた。もういじめるなってあたしに説教するんだよ。ねえねえ、あたし、あんたをいじめたっけ? そんなつもりなかったんだけどな……」
サリは上目遣いにわたしを見ながら、肩に掛けた何も入ってなさそうなカバンを前後に揺する。ぶら下げているラインストーンのハートのキーホルダーが街灯の光を反射しながらキラキラと揺れた。
「とにかく、ごめんね。それとさ、あたし。鳴崎のこと、なんだかこのごろもうどうでもよくなっちゃって。あたしの心変わりの速さは今に始まったことじゃないんだけど。あのさ、ヒロは……。あたしの元カレなんだ。まあ、お互い、似たもの同士なんだけどね……」
……じゃあね、石水さん。サリはそう言ってふふっと笑うと、いつの間にかもう辺りにはいなくなってて。
もしかしてサリは、わたしを待っていたのだろうか? 彼女は部活はやってないはず。こんな暗くなるまで、謝るために待っててくれたのだとしたら。
高校生活も、まだあと二年ある。もしこの先、サリと同じクラスになるようなことがあったら……。案外仲良くなれるのかもしれないなって、ふとそう思った。