31.やってらんない
今日の時間割は、数A、国語総合、体育、現社、そして英語1にホームルーム。もちろんどの時間も、斜め後ろの吉永君の席は空席のままだった。高校に入学後、初めての欠席に、どの教科の先生も驚いた顔をしていた。
担任の先生は、吉永君の欠席理由を家の都合としか言わなかったけど、陸上部の人たちから情報が漏れたのか、彼が長野に行っていることは放課後にはすでにクラスの全員に知れ渡っていた。
わたしが一昨日の土曜日に、買い物の途中で絵里を大通りに残したまま帰ったことが、吉永君に関係していると見抜いている絵里は、ふふんと鼻を鳴らし、わたしを問い詰める。
「知らないとは言わせない。あの日、会ったんでしょ? 吉永と」
「もうホント、絵里には敵わないよ……。なんで会ったってわかるの?」
「そんなの簡単よ。優花の顔に書いてあるもん。で、どうだった? 今日のマミの元気のない様子からすると、あの二人、やっぱ、付き合ってないんでしょ?」
誰もいなくなった教室の片隅のひとつの机を囲むように座って、絵里がわたしの顔を興味深げに覗きこむ。
「それが……。付き合ってたみたいなんだ。でもこの先も付き合うかどうかは、まだ聞いてない」
「うそ! それ、ホント? ホントのホントにあの二人、付き合ってたの? 信じられない。付き合ってるったって、形だけなんじゃないの? あたしさ、いつもアネキを見てるから、それとなく、恋愛中の女心ってわかるんだよね。マミを見る限りじゃ、どうも違うような気がする。でも、吉永本人が言うんだから、疑いようがないよね……。吉永が見てるのは優花のはずなんだけどな」
「吉永君はね、わたしが彼を好きだってことは、これっぽっちも気付いてないの。だから、純粋にわたしがマミを応援してるって思ってる。ってことは、逆に考えると、彼もわたしのことは何とも思ってないのかもしれないよ」
「うーん……」
絵里が腕を組み、まだ納得のいかない顔をして低く唸る。彼女の直感どおり、吉永君が少しはわたしのことを思ってくれてるのかなと期待したけれど、公園でそれらしきことは何も言われなかった。でも……。
「ねえ、絵里。ちょっと訊ねてもいい?」
「何?」
「あのね、たとえばの話なんだけど。好きでもなんでもない相手のことが、気になって、心配で心配でたまらなくなることってあるかな?」
「へ? 何それ。誰の話?」
え、絵里。だから、たとえばって言ってるし。そんな疑わしい目でじっと見ないでよ。
「いや、あの、一般的に……」
「吉永に言われた?」
う、うわあー。なんでこんなに早くバレるんだろ。また顔に書いてあったのかな? どうりでいつも愛花にトランプで負けてばかりなわけだ。
「そ、その……。前に吉永君に、そんなこと……言われて」
「ふう〜っ。やってらんないよ。……あのね、優花。嫌いな人やどうでもいい人のことが、心配で心配でたまらなくなったこと、ある? 悪いけど、あたしはない。好きな人と親友と家族以外にはそんな気持ちにならない。で、吉永に何の心配をかけたの? あたしの目が節穴だと思ったら大間違いよ。なんか、テスト前くらいから怪しかったのよね、優花とマミ……」
わたしがミイとサリに言いがかりをつけられた日のことは、絵里にはまだ何も話してない。でも次の日のわたしとマミの態度がぎこちなかったせいで、絵里はずっと不信感を抱いていたみたいだ。絵里自身が先輩のことでごたごたしてたから、その時は追求されなかったのだけど、それも今日まで。
わたしはついに白旗を揚げ、すべてを絵里に話した。
「優花、これからしばらくは絶対に一人で帰っちゃダメだよ。鳴崎でも誰でもいいからさ、一緒に帰った方がよくない? 危なっかしいったらありゃしない。にしても吉永。めちゃカッコいいし。あたしもそんな風に助けられてみたい……。でもさ、吉永も無理してるよね。優花が彼にマミを紹介したのが、そもそも間違いだったんだよね」
「うん。でもあの時は、吉永君は絶対にわたしのことなんて何とも思ってないって、信じて疑わなかったんだもん。……わたしね、決めたんだ」
絵里がはっと何かに気付いたかのようにわたしを見た。
「吉永君に、気持ちを伝えることにしたの。吉永君がどう思っていようと関係なく。それで、彼がマミを選んだら、わたしはきっぱりあきらめる」
「優花……」
「わたし、絵里に背中を押されたの。絵里はちゃんと先輩に気持ちを伝えて、いつも自分にしっかりと向き合っている。だからわたしも決めたんだ。マミにもきちんと説明するつもり」
「そうだね。それがいいよ。あたしだってマミが振られるのは辛いけど、優花が自分に嘘ついて、マミに同情してるってことの方がもっと辛い。マミのためにも、ここは正々堂々と戦うべきだよ」
「絵里。戦うだなんて、大袈裟だよ。それにマミが振られるって決まったわけじゃないし」
「またそんな弱気なこと言って。とにかくすべては、吉永が帰ってきてからだね。さーて、そろそろあたしたちも帰ろっか」
絵里が机をポンと軽やかに叩いて立ち上がり、教科書と副読本でぎっしり詰まったカバンをよいしょと持ち上げた。わたしも重いカバンを肩に掛けて、教室を出ようとしたその時、バタバタと走るスリッパの音が廊下に派手に響き渡った。
「あれ? もしかして、鳴崎君? 優花、ほら、あそこ」
絵里が窓から教室を覗き込む人物に指を差す。わたしはいつになく慌てた様子のその人に、瞬時に駆け寄った。
「勇人君! どうしたの?」
「ゆ、ゆうちゃん。ハァハァ……。大変なんだ」
勇人君のありえないほどの狼狽ぶりに、わたしは思わず絵里と顔を見合わせた。