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そばにいて  作者: 大平麻由理
30/49

29.待ってろ

「ゆう、そこで、待ってろ」

「真澄ちゃん!」

「待ってろ。いいな!」


 吉永君は一度下りかけて立ち止まり、わたしがそこにいるのを確かめるようにしてこっちを見ると、さっき麻美が持っていた小ぶりの黒っぽい紙袋を手に持って、また階段を下りていった。


 あまりにも突然の出来事に、驚く暇も無かったというのが正直なところ。吉永君はきっと麻美を追いかけて行ったんだ。

 でも、なぜ? せっかく麻美が届けた紙袋をどうすんだろう。まさか返すつもり?

 吉永君、麻美に会えるのかな? あの後、すぐにお母さんの車に乗ったとしたら、もうその辺にはいないと思う。なら、家まで追いかける? バスで? じゃあ、わたしはどうしたらいいんだろう。


 そこで待ってろと言われた。真剣な眼差しで、彼は確かにそう言った。

 待ってる理由なんて何もないのに、わたしはまるで魔法にでもかけられたかのように、そこから一歩たりとも動けなかった。


 しばらくして、さっきと同じ靴音が階下から聞こえてくる。吉永君が戻ってきた。彼の手にはまださっきの紙袋が掴まれたままだ。麻美には会えなかったんだね。彼は少し息を荒げながら、わたしを見上げて言った。「……来いよ」 と。


 吉永君が下からわたしを呼んでいる。なのにわたしは、たった今遅れて襲ってきた極度の緊張感に阻まれ、返事すらできないでいた。

 吉永君がわたしを見ている。相変わらず胸はドキドキするし、目だってまともに合わせられない。

 そんなわたしに業を煮やした吉永君が、二段抜かしでここまで駆け上がってきた。そして……。わたしの手を取った。


 ま、まさか……。


 わたし達、手を繋いで……いる?


 わたしはそれから先、どうやって階段を下りて、どこをどう歩いたのか、全く何も覚えていない。

 ただ、吉永君の手が暖かくて、大きくて。歩道の横を車がすれ違う時、ギュって引き寄せるように握ってくれたってことだけは、どうにか憶えている。

 次第にマンションから遠ざかり、わたし達がむかし通っていた小学校の近くの小さな公園に辿り着いた。

 もちろんその間、吉永君は何もしゃべらないし、わたしも口を閉ざしたままだった。繋がれた手ばかりに意識が集中してしまう。彼がいったいどんな表情をしていたかなんて、当然、覗き見るゆとりなどあるわけもなく。


 薄暗くなった公園に灯りが点る。ブランコも滑り台も何もない公園。春には桜が咲き、秋が深まると葉が真っ赤に色付く。

 周囲の住宅からは、テレビの音がかすかに漏れ聞こえ、どこからかシチューの匂いが漂ってきた。


「あそこに座ろう」


 吉永君は朽ち掛けた木のベンチを繋いだままの手で指し示した。わたし達はそのままベンチに腰を下ろし、どちらともなく手を離した。


「大園を追いかけたけど、間に合わなかった」


 吉永君が両手で袋を(もてあそ)びながら唐突にそんなことを言う。


「おまえ、あいつに会わなかったか? こんなもの俺に渡してさっさと帰って行ったけど、とてもじゃないが受け取れない」


 わたしに返事を求めるでもなく、手元の紙袋をじっと見つめながら、吉永君がひとり話を続ける。その袋の中に何が入っているのかは検討がつかないけど、それは吉永君にとって不本意なものだってことくらいはどうにか想像がついた。


「俺は、別にこんな物が欲しくて、あいつと付き合ってたわけじゃない……」


 わたしは思わず息を呑んだ。やっぱり吉永君、麻美と付き合って……たんだ。なのに、わたし。いったい何を期待していたんだろう。

 手を繋いだくらいですっかり舞い上がってしまって、こんなところまでついて来てしまった。絵里、わたし……。どうしたらいい?


「おまえがあいつと付き合うのを勧めた理由が、今日、やっとわかった。前に俺、おまえに辛く当たったろ? 悪かったよ。謝る」

「真澄ちゃん……」

 

 わかったって……。何がわかったの? 麻美が何か言ったのだろうか。 


「大園の奴、俺があいつのことを好きでもないのに付き合っているのを、最初から気付いていたんだよ。付き合ううちに好きになってくれたらいいって、そうも言ってた。それで、どうしても好きになれそうになかったら、その時、別れようって。それを決めるのが今日だったんだ」

「そ、そんな……」


 麻美が心待ちにしているようにみえたデートが、実はそんな残酷な日だったなんて。


「昼にあいつが前から行きたがってたテーマパークに行って来た。すごい人で、アトラクションもろくろく見れなかったよ。それがあいつ……。向こうでずっと泣いてるんだ」


 わたしは黙ってうんと頷くことしかできない。だって、麻美の気持ちが痛いほどよくわかるから。最後のデートになるかもしれない日に、にこにこなんてしていられないもの……。


「昼飯の時、何で泣いてるんだって聞いたんだ。そしたら……。あいつから、別れよう、別れたいって言い出して」

「う、うそ……。マミがそう言ったの?」


 なんてこと? ありえない。吉永君に断られる前に、自分から別れを切り出したとでも?


「あいつ、来年から違う高校に行くんだってな。だから、もうこの先俺と付き合っても仕方ないって言うんだ。こればっかりは俺も寝耳に水だった。おまえはそのこと、知ってたんだろ?」

「あっ……!」


 それって、転校が決定したってことだよね。知らなかった……。麻美、ホントに転校しちゃうんだ。中間テストの成績が芳しくなかったのかな? 総合順位は聞いてないけど、数学は学年で最高点だったって言ってたのに……。


「転校する友達の最後の願いを叶えてやりたい……。おまえの考えそうなことだよ。夏休み明けに長年のおまえとの誤解が解けて、やっと俺達、仲直りしたんだよな? この先、また昔みたいな関係にもどれるかなって、期待してた。もう絶対に、ゆうをいじめたりしないって、あの頃のバカな自分を反省したんだ。なのによ。その矢先に、大園の話をおまえに聞かされて。俺、ホント、どうしていいかわからなかった。おまえがまた、俺から離れていくみたいで、辛かった」


 ああ……吉永君。たとえ、ほんの少しでも、わたしのこと、そんな風に思ってくれてたんだ。わたしだって、苦しかった。心も体もつぶれそうなほど、辛かった。吉永君がわたしと同じ気持ちだったって思ってもいい?


「真澄ちゃん、ゴメンね。わたしだって真澄ちゃんと仲直り出来て嬉しかった。だからマミのこと、本当は言い出しにくかったの。だって、だって、わたし……真澄ちゃんのこと」

「もういいよ。おまえヒヤヒヤしてたんだろ? 俺と大園がいつ別れるかって。もしそうなったとしても、おまえには何の責任もないから。俺の努力が足りなかっただけだからな。だから気にするな」

「真澄ちゃん。そうじゃなくて、わたし、わたし……」

「なあ、ゆう。俺な、今夜から、長野に行くんだ」

「えっ? 長野?」


 もう少しで、気持ちを伝えられたのに……。吉永君がわたしの決心を揺るがすような一言を口走った。


「じいちゃん、相当悪いみたいで。医者に身内を呼んでおけって言われたらしい」


 その時、公園の片隅に集まっていた落ち葉がカサカサと音を立てたかと思うと、一瞬のうちに風に吹かれて空中に舞い上がった。 



 

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