2.ベストスリー
絵里がささやいた男子の名前は……。わたしがこの世で一番敏感に、まるでパブロフの犬みたいに条件反射しちゃう名前。吉永真澄君……だった。
「吉永ってさ、まだ校内でそんなに騒がれてないけど、うちらの学年で三本の指に入ると思うんだ」
「さ、三本の指? それってモテるってこと? 」
「うーん。それもあるけど、はっきりとモテだすのはまだもう少し先だと思う。そうじゃなくて、イケメンランクが上位ベストスリーってこと。もしあの目で見つめられたら、あたしだってときめきすぎて息が止まっちゃうかも」
そ、そんなあ……。絵里がときめいたら、わたしなんて到底勝ち目が無い。お願いだから、彼を、吉永君を好きにならないで。わたしは心の中で、絵里がライバルにならないようにひたすら祈る。
「だからさ、あたしはマミって見る目あるなと思ったんだ。そうそう、優花は吉永と同じ中学出身だよね。今度マミに情報提供してあげれば? 」
じょ、情報提供? どうしよう。困るよ、そんなの。
「何、ビクビクしてんの? なんか優花って、吉永に過剰反応するよね。あんたが吉永嫌いっていうのはうすうすわかってるけど、この際ちょっとくらいマミに協力しなさいよ」
わたしって、吉永嫌い……って思われてるんだ。しかたないよね。片想いがバレないようにするためには、まずは身近な絵里に悟られないようにするのが先決だもの。だからと言って、麻美に協力するってのは無理な相談だ。だって、わたしの初恋の人なんだよ。いくら麻美が友人だからって、仲を取り持つようなことだけはやりたくない。こういうことは最初にきっちり言っておかないと、後で辛い思いをすることになるのは、目に見えている。この際、友だちがいがないと思われてもいい。
「情報ったって、わたしは何も、し、知らないし。本当に吉永君のことは、何も知らないんだ」
そう。これでいい。ここは知らぬ存ぜぬでくぐり抜けるしかない。その時だった。わたしと絵里の頭上を人影が覆ったのは。
「おい……。これ」
突然わたしの横にぬっと現れたその人影の主は、目の前に見慣れた包みをぽんと置いたのだ。ピンクのバンダナで包まれた、二段重ねの弁当箱……。なんでわたしのお弁当がこんなところに? もしかして、落としたのかな? 拾ってくれたの? わたしは恐る恐る、その親切な人物を見上げた。
よ、吉永……くん。
「吉永君。な、な、なんで? わたしのお弁当、どこかに落ちてた? 」
確か走ったのは、マンションのエントランスからバス停までの道だ。それと、学校に着いてからも廊下を小走りで駆け抜けた。そのどちらかで落としたのだろうか? それにしても……。名前を書いてるわけでもないのに、わたしのだってよくわかったよね。不思議そうに吉永君を見上げていると、怖い顔をして案の定、ギロッと睨まれた。
「よしながくん、だと? ……まあいい。エレベーターの中で、い、し、み、ず、のお母さんから預かった」
それだけ言うと何事も無かったかのようなすました顔をして、わたしの左斜め後ろの自分の席に座る。
にしても……。吉永君って呼んだのが気に障ったのだろうか。そういえば、直接彼のことをそうやって呼んだのは初めてだったのかもしれない。だって、ずっとしゃべらなかったんだもん。苗字で呼ぶチャンスがなかったんだから、しかたないよ。だからと言って、わたしに対するあの呼び方も聞き捨てならない。あそこまで一語一語を強調して言わなくても……。
「あ、ありがと。吉永……君」
わたしはまるでロボットのようにカクカクした動きで後ろを振り向き、小さな声で彼に向かってそう言った。もちろん、吉永君と言うのも忘れずに。するとやっぱり吉永君は、いつものようにチラッとこっちを見るだけで、何も言わずに一時間目の授業の準備を始めるのだ。吉永君、怒ってるよね。絶対怒ってる。ああ、やばいよ。マジで気まずいよ、このどよんとした空気。よりによって、あの吉永君に、忘れ物の遣いっ走りをさせてしまったんだもの。もう、マジでどん引きされてる。
わたしは前方から、もうひとつの刺すような視線をひりひりと全身で感じていた。しまった。ここにも恐ろしい関門が控えていたのだ。すべてを見ていた絵里のとげとげしい視線。おっかなびっくり顔を挙げると、腕を組み、上から目線の絵里とピタッと目が合ってしまったのだ。
「優花、これはいったいどういうこと? 今日の昼休み、覚えておきなさいよ」
怖い。絵里の顔が、二時間ドラマの女すご腕検事になってる。そんなに睨まないでよ。っていうか、口元がにやにやしてグロスが不気味に光ってるんですけど。
ああ……。きっと今のこと、説明しなきゃいけないんだろうな。うちの母さんからお弁当を預かったって言ってたよね。それもエレベーターの中で。それって、わたしと吉永君が同じマンションに住んでるの、バレちゃったってこと、だよね。
読んでいただきありがとうございます。
吉永君、ついに初登場!
これからもどうぞよろしくお願いします♪