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そばにいて  作者: 大平麻由理
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28.靴音

 まだ外は人が見分けられる程度の明るさはある。普通、こんな早い時間にデートを終えて帰ってくるとは思えないけど、絵里の言ったことが本当だとすれば、吉永君がいつ帰ってきても不思議はない。

 わたしは、ロビー奥の観葉植物の陰に立って彼を待った。部活帰りの中学生が賑やかにエントランスを通り抜ける。買い物を終えた家族連れも、大荷物を抱えて何組かそこを通った。

 でも、吉永君はまだ帰ってこない。もしかして、とっくの昔に帰っていて、もうすでに家にいるのかもしれない。朝から麻美と会っていたのならその可能性もある。

 あと五分だけ。わたしは心の中でそう決めて、祈るような気持ちで彼を待った。


 バスが到着するたび定期的に、帰ってくる人が群をなす。見知った顔の人が次々と帰って来た。土曜日なので中高生も私服の人が多い。その人波が去ってしばらく経ってから、チュニック風のワンピースに黒のレギンスを合わせた女の子が視界に入る。

 わたしは目を凝らしてよく見た。……麻美だ。


「マ……」


 マミと言いかけて、わたしは咄嗟に口を(つぐ)んだ。そして一歩後ろに下がる。麻美はわたしがいることに気付かないままエレベーターに乗り込んだ。まさか、今から彼のところへ? 小さな紙袋を胸の辺りで抱きしめるように持った麻美が、思い詰めたような顔をして上階に上がっていったのだ。


 どうしたんだろ。足がガクガク震えてる。喉もカラカラだ。こんなところにいても仕方ないのに、足が前に進まない。次第に指先が冷たくなり、立っているのも辛くなってきた。麻美がここに来たってことは吉永君は家にいるんだよね。

 デートが終わって、麻美が何かを渡しに来たんだ。それとも。今から彼の家でデートの続き? お母さんは頻繁に長野に行っていると言ってた。誰もいない吉永君の部屋に麻美は行くのだろうか?


 わたしはなんとか気力を振り絞って観葉植物の鉢の前に出た。周りに誰もいないのを確認して、エレベーターホールに向かい、ボタンを押す。二基あるエレベーターの一基がすっと降りてくる。幸い三階に停止した様子もなく、誰も乗っていない空っぽの箱が私の前で止まった。

 するといつの間にか駆け込んできた五才くらいの男の子がわたしの横を潜り抜けて、エレベーターに飛び乗った。そして中からわたしを見てニッと笑う。後ろからその子の母親らしき人が走ってきて、これ! とその男の子を叱った。


「どうもすみません。あれほど言ってるのに、この子ったらちゃんと並べなくて。ごめんなさいね」

「い、いえ、別に」


 これくらい、いつでもあること。小学生のランドセル軍団のあつかましさは、これどころの騒ぎではない。わたしだって昔はそうだったのだし、別に取り立てて、その男の子を非難するつもりは無かった……のだけれど。

 わたしがその子の母親とぺこぺこと頭を下げあっているうちに、隣のエレベーターが下りてきて、中から出てきた人と目が合った。長いまつ毛に縁取られた黒目がちなその目の持ち主は、麻美しかいない。


「優花……」

「ま、マミ」


 わたしは麻美の前に立ち止まり、男の子と母親を乗せたエレベーターが上がっていくのぼんやり見ていた。


「優花。今帰り?」

「うん」


 わたしはあわてて麻美に視線を戻し、怪しまれないように、いつものように頷く。麻美はわたしが今日、絵里と会っているのは知っている。


「絵里、どうだった?」


 麻美は絵里と先輩のことを心配しているのだ。本当なら一緒に行って絵里を慰めてあげたいんだけど、行けなくてごめんねと昨夜メールを受け取っていた。麻美も絵里の失恋に心を痛めている一人だ。


「泣いていたけど……。もう大丈夫だと思う。マミは? 今日のデート……。楽しかった?」


 どうして吉永君の家に行っていたの? なんてやっぱり聞けなかった。ただ……。麻美が上にいた時間はほんの数分程度だ。さっきの紙袋が手元に無いのをみると、何かを渡しただけだっていうのがわかったから、訊ねるまでもないと思ったのもある。


「あっ、う、うん。楽しかったよ」


 麻美がにこっと笑った。けれど、その笑顔はどこか寂しげで、心から笑っているとはとても思えないほど、違和感があった。


「そう……なんだ」

「優花、あたし、そろそろ帰る。マンションの前で、ママが車で待ってるの。じゃあね」


 麻美は長いストレートの髪を揺らしながら外に走って行った。


「マミ、バイバイ! また明日……」


 わたしがそう言った時、もうすでにエントランスのドアは閉まった後で、その声は彼女に届かなかったのだろう。麻美が振り返ることはなかった。

 わたしは気が抜けたように、がっくりと肩を落として、エレベーターホールに向かった。何をしたというわけでもないのに、例えようのない疲労感が襲ってくる。

 エレベーターで見知らぬ人と一緒に乗り合わせるのも気が引けて、わたしは階段をとぼとぼと上がり始めた。ブーツのかかとがコツコツと音を立てる。その音がますますわたしの心の空洞に虚しく響き渡る。

 もしかしたら絵里の予感は、思い過ごしだったのかもしれない。麻美は着実に吉永君との関係を深めていってると思えなくもない。

 ぼんやり考えていると、誰かが下りて来る靴音が聞こえた。かなりのスピードだ。あっという間にその人とすれ違う。そして、わたしのすぐ下でその靴音が止んだ。


「ゆう!」


 吉永君が、驚いたような声でわたしを呼んだ。



 

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